2016年05月02日

ギャング・オブ・ニューヨーク

アメリカ創世記



評価:★★★    3.0点

もしあなたの祖先が、敵対する集団と決闘の末に殺され、その息子が敵対集団に対して復讐をしたとしたら、あなたはその事実に、感動にせよ、恐怖にせよ、戦慄にせよ、強い感銘を受けないだろうか。

この映画は日本人から見れば、凡庸で、ありきたりで、古典的な復讐譚は、さほど魅力的だとは感じない。
しかし、この主人公が日本人で日本の初期の物語だとすれば、途端に印象は変わるのではないだろうか。

全ての民族、国家は建国神話を欲する。
これは、アメリカにとっての創世記の物語だと感じた。

通常建国神話は歴史の彼方の口承であるとか、古文書によって記されるが、アメリカだけは建国からの距離が近すぎて、歴史として語られる事はあっても、民族としての神話を創造しえていないのではないだろうか。

結局のところ、国民、国家にとって必要なのは、歴史的事実ではなく、その民族が成り立った伝説であり、神話であるのは、それが物語の形を取った民族のバックボーンの証明だからだ。
その民族が、なぜ成立し、なにを理想としたのか、そしてどこに向かうのかという基本を示した物語だからだ。

そのアメリカにとって持ち得なかった、欠落した神話的物語を補ってきたのが、ハリウッド映画だったように思う。

例えば、西部開拓は西部劇という形で神話化され、アメリカ人が真摯に荒野と向き合い開拓したという、アメリカ白人達にとっての理想的物語を生み出した。
また、アメリカに遅れてやってきた非英語圏の移民たちの物語は、イタリア系移民の苦闘という形で「ゴッド・ファーザー」で神話として共有された。

この映画で語られるのは、アイルランド系移民の物語だ。
それは「ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント=WASP」と「アイルランド系移民」(WASPの後に移民した第2陣・カトリック教徒)の縄張り争いというよりは、生きるためのギリギリのせめぎ合いだったろう。

そこでは先に移住したWASPによって、アイルランド系移民の迫害があり相互に対立し、大規模な決闘に発展する。

しかしその両陣営の対立は、南北戦争で表される中央集権の力が強くなっていったとき、アイルランド、WASPの対立を超えて、ニューヨーク市民と政府という対立に変わる。

この映画の最後でデカプリオと対立するデイ・ルイスの決闘とは、両者の間に受け渡された権威の継承の瞬間を描いたものだったろう。

そして、それこそがニューヨーク市民の、誕生の瞬間だったように思われる。
そういう意味ではアイルランド系のアメリカ人と共に、今まで映画としてあまり語られる事のなかった、東部の歴史絵巻を描きえたと言うのは、ある種エポック・メーキングな作品だったろう。

この映画はアメリカ創生神話にとっての、「市民の誕生」という欠落した一章を補完する物語であるに違いない。

そう思えばアメリカ人にとっては、大事な作品なのかもしれないと想像する。

また同時に、このアイルランド系移民の物語を、デカプリオとスコセッシというイタリア人コンビが、イタリアのチネチッタ撮影所で撮影したという事実が、アメリカという国の懐の深さであるようにも感じる。


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posted by ヒラヒ at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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