2020年05月16日

映画『I am Samアイ・アム・サム』感動させすぎ!だけど実話?/簡単あらすじ・感想・解説・タイトル意味

あなたに愛の花束を

原題 I Am Sam
製作国 アメリカ
製作年 2001年
上映時間 133分
監督 ジェシー・ネルソン
脚本 クリスティン・ジョンソン
ジェシー・ネルソン


評価:★★★★  4.0点



この映画は実際「あざとい」とは思うのです。
子供というだけでも強力なのに、さらに障害者まで出て、しかも「子別れ」の話となっています。

また、障害者を演じる ショーン・ペンにしても、子役を演じる ダコタ・ファニングにしても、本当に巧すぎます。
脇を固める、弁護士役の ミシェル・ファイファーや、 ダイアン・ウィースト、 ローラ・ダーンにしても、本当に必要な演技をしっかりしていて見事なプロの仕事だと感じます。

しかし、その技巧性や「あざとさ」を越えて、輝く真実がここには在ると感じたのです・・・・・
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<目次>
映画『アイ・アム・サム』簡単あらすじ
映画『アイ・アム・サム』予告・出演者
映画『アイ・アム・サム』解説/アメリカの悪評
映画『アイ・アム・サム』考察/実話?タイトル由来とは?
映画『アイ・アム・サム』感想

映画『アイ・アム・サム』簡単あらすじ

サム・ドーソン(ショーンペン)は、7歳児の知能ながらスターバックスで頑張って働き、娘ルーシー(ダコタ・ファニング)を育てるシングル・ファーザー。二人は、障害者仲間と、外出恐怖症の隣人ピアニスト・アニー(ダイアン・ウィースト)に助けられ、楽しく日々を暮らしている。 しかし父親サムに養育能力が無いとして、ルーシーは施設で保護されてしまう。サムは、ルーシーと再び暮らすため、エリート弁護士のリタ(ミシェル・ファイファー)を味方につけ、裁判をはじめるが・・・・・

映画『アイ・アム・サム』予告

映画『アイ・アム・サム』出演者

サム・ドーソン(ショーン・ペン)/リタ・ハリソン・ウィリアムズ (ミシェル・ファイファー)/ルーシー・ダイアモンド・ドーソン(ダコタ・ファニング)/アニー・カッセル(ダイアン・ウィースト)/ランディ・カーペンター(ローラ・ダーン)/マーガレット・キャルグローブ(ロレッタ・デヴァイン)/Mr.ターナー(リチャード・シフ)/イフティ(ダグ・ハッチソン)/ロバート(スタンリー・デサンティス)/ブラッド(ブラッド・シルバーマン)/ジョー(ジョセフ・ローゼンバーグ)/ウィリー・ハリソン (チェイス・マッケンジー・ベバック)/コナー・ローズ(メイソン・ルセロ)/フィリップ・マクニーリー(ケン・ジェンキンス)/ジョージ(ボビー・クーパー)/レベッカ(キャロライン・キーナン)/ライト(ウェンディ・フィリップス)/ブレイク(メアリー・スティーンバージェン)/リリー( ロザリンド・チャオ)/ジャスロウ(マイケル・B・シルバー)

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映画『アイ・アム・サム』解説

アメリカ批評家の批判

アメリカ映画サイト「ロッテン・トマト( Rotten Tomatoes)」の総括
「誘導性が高いだけでなく、『アイ・アム・サム』では複雑な問題を単純化し過ぎ、それを甘くコーティングしすぎている」(サイトの144人の批評家の評価は、35%の低支持でした。)

新聞『ニューヨークタイムズ』の 批評家A.O.スコット
「『アイ・アム・サム』は悪い映画ではなく、その意図は揺るぎないものです。しかし、そのセンチメンタリズムは過剰に過ぎ、その物語はあまりにも予定調和すぎ、その命を絞りつくされている。」

雑誌『バラエティ』の批評
「善意の意図にもかかわらず、『アイ・アム・サム』はハリウッドのメッセージ映画の、特に油断のならない例だ。」

新聞『シカゴ・サンタイムズ』のロジャー・エバートの批評
「映画の技術のあらゆる装置は、ルーシーがサムの所にとどまるべきだと、我々に信じさせるように設計されている。しかし、前提となる常識からは、ラストまで到達することを不可能にする。」そして映画の道徳的特徴を批判し「悪の対象に最高の価値を置かれた場合、観客にはヒーローと悪役を区別できない。」と批判している。

これらのアメリカの批評を読むと、この映画が「サム=善」として描き出し、本来守られるべき「ルーシー=子供の命」を危険に晒しているのではないかと、危惧しているのが見て取れます。
エバート・ロジャー
アメリカ合衆国では幼児虐待を含め、社会的なテーマとして「弱者=子供達」を守るのを重視しています。
例えば、ある州では「自動車で子供と同乗した状態での喫煙」が「児童虐待」で罰せられるほどだと言います。

つまり、アメリカ社会において、特に貧困家庭において「子供の犠牲」が日常的に報じられている中では、この映画の語る「障害者の子供養育」のリスクは、無視し得ない問題であることがこの批評の背景にあるように思えます。
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映画『アイ・アム・サム』考察

この映画は実話?タイトルの意味は?

この映画は、監督ジェシー・ネルソンと脚本家クリスティン・ジョンソンのオリジナル・シナリオです。
つまり、フィクションと言うわけですが、そのフィクションを構築するために、2人は実際の障碍者支援団体を訪問し事実を調査しているのでした。

2人は障碍者支援施設、ロサンゼルスの非営利団体「LA GOAL(Greater Opportunities for the Advanced Living=生活向上のための機会増大)」に赴き、知的障害を持つ成人が直面する問題を数多くの人々より調査しました。
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そして、ここで出会った、障害を持つ2人の俳優ブラッド・シルバーマンとジョセフ・ローゼンバーグ(写真)をサムの友人として大きな役割を担う役で起用もしています。

つまり、上で書いた批評家が評価を下げた原因である「社会的な制度としての安全を維持する」事とは、「障碍者の現実の権利や自由」を阻害する部分があるという事実を、障害者の中に身を置いて知ったからこその、この映画の主張だと思えます。

そういう意味では、この映画は障碍者の「実話=現実」を理解したがゆえの、「フィクション=理想」の提示だと信じています。

実を言えば、映画で障碍者を描いた初期の映画『レインマン』では、この映画ほどのハッピーエンドを迎えられませんでした。
関連レビュー:障碍者と社会の関係
『レインマン』
ダスティン・ホフマンがオスカー受賞の大ヒット作
トム・クルーズ共演!自閉症の兄とのロードムービー

この『レインマン』の当時、1988年の社会では、障碍者への社会的な受け入れ態勢が整わず、このラストで描かざるを得なかったように思います。

しかし、それから障碍者に対する意識も変わり、『アイ・アム・サム』では「理想」を描いても嘘に見えない所まで進んできたのではないでしょうか。

またそんな、「理想」は映画タイトル「アイ・アム・サム」にも現れていると思うのです。

sam_Dr_thuse.jpgこのタイトル名は、映画中でサムがルーシーに読み聞かせる絵本、アメリカのマザーグースと呼ばれるドクター・スースの絵本に由来しています。
<ドクター・スース>
アメリカ合衆国の絵本作家、画家、詩人、児童文学作家、漫画家。(写真)
60冊以上の作品には、史上最も人気のある児童書が多数含まれ、総計6億部以上の本が販売され、彼が死を迎えた時には、20を超える言語に翻訳されていた。

その著書の中でも有名な一冊の絵本『緑のたまごとハム』の冒頭が「アイアムサム」なのでした。

I am Sam (私はサム)
I am Sam (私はサム)
Sam I am (サムアイアムだ)


こう始まるこの絵本は、サムと名乗る動物が、もう一匹に「緑のたまごとハム」を勧め、拒否され、それでは、家では、外では、電車では?としつこく問いかけ、そのつど拒否されます。
その掛け合いの英語としてのゴロ、リズムが音楽的で楽しい一冊です。
そして、その最後は、ついに「緑のたまごとハム」を口にした相手が「これが好きだ」というところで終わります。


個人的に、この絵本の意味を解釈すれば、「緑の卵」という他と違うものであっても、差別せずに認めるべきだというテーマが潜んでいると思います。

つまり映画内の「サム=障碍者」であっても、その権利と人権を認めようという呼びかけであるように思います。

もちろん社会的セフティーネットとして、子供の命を確実に守れる仕組みを前提にしての話ですが・・・・・・

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映画『アイ・アム・サム』感想


冒頭でも言いましたが、この映画はある意味巧く作りすぎたという気がします。
ここまで、作品としての完成度が高くなってしまえば、やはり嘘くさいとか鼻に付くという感想にならざるを得ないでしょう。
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しかし、それでも、私は感動しました。
その感動の源を探っていったとき、出てきた答えとは「愛が有る映画」だと信じられたからです。
それは、この映画が描いたストーリーが現実問題として起きていて、その問題に対して真摯に解決を目指そうという、理想を語った映画だと思えるのです。

更に言えばこの映画には、悪人が誰も出てきません。
それは、この映画の中心問題が7歳の少女の未来だったからだろうと思うのです。
ショーンペンがドラマの中央に立っているから混乱もしますが、ショーン・ペン演じる主人公もまた女の子の幸福のために一番だと思って、一緒に暮らしたいと言っているのです。
それは、主人公が里親の下で幸福そうにしていたときには、会わずに帰るシーンで明らかでしょう。

そういう意味でこの映画は、「障害者が子育てをする」という現代社会でも不可避の現実問題に対しても、皆で一番の方法を考えようと提議している映画だと思うのです。
子供が傷つかずに、障害者にとっても幸福な社会を実現できるのではないかと、問いかけている映画ではないでしょうか。

つまり障害者の親が十分にケアできない部分は、里親にしても、社会にしても可能な限りバックアップしてやって、子供にとっても障害者にとってもベストの道を考えようと語っているのだろうと感じました。

けっきょくこの映画は、そんな子供や障害者という、今現実社会で弱者の立場の人々に「愛」を贈っている、映画だろうと思うのです。

これを偽善だという事もできるでしょう。
確かにハリウッドの商業映画ですから、利益の事を考えないはずはありません。

しかし、こんな社会的に難しい問題をワザワザ題材に選ぶのは「志」が有ればこそだろうと思うのです。

考えてみれば、そんな困難な現実世界の問題に対して、かつてのハリウッドの映画は、全世界に「志=理想」を届けていたのです。

『素晴らしき哉!人生!』や『アラバマ物語』など、社会をより良くしようという理想と、その輝ける未来図を人々に提供して来たのです。
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グレゴリー・ペックのアカデミー男優賞受賞作
私は映画が世界を変えるというのを、夢物語だとは思いません。

かつてのハリウッド映画は、間違いなく世界をよい方向に変えたと信じています。

私はこの事実を踏まえた「フィクション映画」に、かつての、そんな理想と夢を見ました。

そんなわけで、私には製作者・出演者も含めて、純粋に「愛」を届けたいという思いを、この映画には感じました。

私はこの映画の、製作者と出演者の善意を信じます。

あなたにも、この甘い「愛の花束」を、おススメします。



posted by ヒラヒ at 17:30| Comment(2) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Stay Home中の12歳の息子と見ました。
私は、素直に子供への愛=本能だ。知能ではない。
と、私もリタ同様サムの愛情に癒されながら、見ました。
一方、息子には正直難しかったみたいです。この映画が分からないのかー
って、軽くショックでした。障害者もビートルズも縁遠いから?
親子に通う愛情は理解していると信じておりますが。。。
Posted by ムク at 2020年05月20日 18:00
>ムクさん

コメントありがとうございます。
お読みいただいて感謝申し上げます。
この映画に癒されたお心をお持ちの方の息子さんなら、優しい心をもってらっしゃるでしょう・・・・素直に感動を表すのが恥ずかしい年ごろだったり・・・・・大人になってから、この映画一緒に見たな〜なんて、いい思い出になられるんじゃないでしょうか。
勝手を申しましたが、この映画を好きな方の声が聴けてうれしかったです。
Posted by ヒラヒ・S at 2020年05月21日 22:43
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