評価:★★★★ 4.0点
黒澤明の用心棒を、無断盗用でリメイクしたこの作品。
結局、裁判に負けて黒澤側に利益を上納せざるを得なくなった。
しかし、黒澤いわく「用心棒」よりこの「荒野の用心棒」のロイヤリティの方が多かったというのだから、アメリカを制する商品が世界を制するという確かな証拠だったろう。
映画『荒野の用心棒』あらすじ
アメリカ=メキシコ国境にある小さな町サン・ミゲル。
流れ者のガンマン・ジョー(クリント・イーストウッド)が現れた。
ジョーは酒場のおやじのシルバニト(ホセ・カルヴォ)から、この町がドン・ミゲル・ベニート・ロホス(アントニオ・プリエート)とジョン・バクスター(ウォルフガング・ルスキー)保安官の勢力が敵対し、常に争いを繰り広げているため棺桶屋(ヨゼフ・エッガー)だけが儲かると聞かされる。 ジョーは、早撃ちでバクスターの子分を殺して、ミゲルに100ドルで手下になる。しかしミゲルの息子でライフルの名手であるラモン(ジャン・マリア・ヴォロンテ)が帰ってきて、バクスターと協定を結んだため、もうお役ゴメンだとシルバニトの家に移り中立を守った。そんなジョーとシルバニトは、ラモンがメキシコ軍を襲い、金を奪ったのを目撃する。ジョーは、ラモンとバクスターとの間の対立を煽り、町の二大勢力を一掃しようと画策した。しかしそれがバレて、ジョーは酷く痛めつけられ、命からがら逃げのびた。ラモンは更にバクスターを襲い、一派を一掃した。
ラモンとミゲルが町を支配する中、ジョーは手の負傷で銃が充分使え無いにも関わらず、ラモンの前に姿を現した・・・・・・・・
映画『荒野の用心棒』予告
クリント・イーストウッド(ジョー:名無しの男)/ジャン・マリア・ヴォロンテ(ラモン・ロホ)/マリアンネ・コッホ(マリソル)/ホセ・カルヴォ(シルバニト)/ヨゼフ・エッガー(ピリペロ)/アントニオ・プリエート(ドン・ミゲル)/ジークハルト・ルップ(エステバン・ロホ)/ウォルフガング・ルスキー(ジョン・バクスター保安官)/マルガリータ・ロサノ(ドナ・コンスエラ・バクスター)/ブルーノ・カロテヌート(アントニオ・バクスター)/マリオ・ブレガ(チコ、ロホの部下)/ベニート・ステファネリ(ルビオ、ラモンのライフル持ち)/ラフ・バルダッサーレ(フアン・テディオス、鐘つき)
映画『荒野の用心棒』出演者
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映画『荒野の用心棒』感想 |
・・・・・・・・・しかし、よくよく考えてみれば黒澤も、無断盗用では人のことは言えない。
「用心棒」のストーリーはダシール・ハメットの「血の収穫」が元なので、これもパクリだ。
更に言えば、黒澤明が従来のチャンバラ映画から隔絶したは重厚な殺陣を生み出した理由に、ハリウッド西部劇の「決闘=ガンファイト」の迫力を出したいという意向があったことを考えれば、「用心棒」 の表現の多くがパクリだったと言わざるを得ない。
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そしてその日本の時代劇「用心棒」が、遠くイタリアでパクられ、西部劇に生まれ変わるという凄まじさだ。
それでもクロサワのパクリは、日本の江戸時代にリアリティを求めようとする「良心」が有った。
しかしセルジオ・レオーネに至っては、イタリアで西部劇という、根も葉もない「空想物語」と化した。
イタリアでチャンバラをしなかったのは、サスガに冗談が過ぎると思ったということか?
なんにせよ、このように、現実から作られた「一次物語=西部劇」は現実の背景が見えるために、リアリティーを疎かに出来ない。
それは、現実というネタを知っている観客からすれば、物語に含まれた非現実とは、現実から生まれた物語の否定を意味するからだ。
つまりはウソ臭くて見るに耐えないと言われてしまう。
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しかし、その「一次物語」から派生した「二次物語=黒澤の用心棒」は一次物語ほど現実世界に縛られない。
それは、たぶん現実世界を模した物真似を、時空を越えて更に物真似するときに必然的に物真似の物真似となり、現実がデフォルメされるからだろう。
さらに「二次物語」から派生した「三次物語=荒野の用心棒」に至っては、でもはや何でもありのファンタジーストーリーと化すだろう。
それは「二次物語」の僅かなリアリティーをすら捨て去った、虚構の上の虚構であるから、もはやモラルも真実も道理も神も悪魔も超越し、あるのは純粋にエンターテーメントの追求へと収斂していく。
このように、現実を離れる度合いが強くなればなるほど、物語世界はファンタジーに近づき、ファンタジーであればこそ、ドギツイ暴力や殺人が虚構世界の出来事として、観客から許容されると思うのである。
この映画が先鞭を付けた、アクションのファンタジー化は、タランティーノに見るごとく、いまや「千次物語」ぐらいの重層化を果たし、その暴力と破壊が映画全体を覆うぐらいの進化を見せた。
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しかし、その破壊や暴力が血まみれの表現を生み出したとしても、見るものに衝撃を持って響かないのは、すでに架空の世界の嘘だという整理が、観客に着いているからだろう。
この作り手と観客の共通認識としての「ファンタジー作用」があったからこそ、映画の表現が過激になっても許される道を開いたのだと思える。
考えてみれば大衆芸術である映画は、常に人々が求める刺激を提供し、同時に人々の欲望が映画の表現を加速してきた。
そうであれば、映画の夢想力とは観客と製作者の共犯作業の結果だったのだろう。
クリント・イーストウッドの無機質なキャラクターが、この映画の「ファンタジー化=非現実化」に果たした役割は、実に大きいと個人的には感じる。
そう思えば、セルジオ・レオーネとイーストウッドの邂逅とは、映画史的事件だと言えるだろう。
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