評価:★★★★ 4.0点
カンヌでこの映画を見たタンラティーノ監督は、興奮のあまり審査員特別グランプリの授与を強硬に主張したという。
私も、そのタランティーノの評価に深い共感を覚える一人だ。
この、突然誘拐された主人公が理由も分からず15年間監禁され、己を監禁した相手を突き止め復讐しようとする映画をみて、私はその過激なドラマ性に強い衝撃を受けた。
ブッチャケ、コーフンもし、カンドーもし、サケビ声すら上げたくなった。
まず、この過剰な復讐を破綻なく構築した脚本がスゴイといいたい。
さらに、現実離れした物語を更にショーアップして見せた、構図や特殊効果、編集などのコッテリとした映画的技術がスバラシイ。
また役者陣も、熱い情念の、見るものを焼き尽くすかのごとく見据える眼の力が、ブッ飛んでいてシビレル。
変に聞こえるかも知れないが、この映画はまるで、その圧倒的なパッションとテンション、そして叙情的なシーンで、レッドホットチリペッパーのアルバム「カリフォルニケーション」を想起させた。
それ位のパワーを持って、まるでブラックホールのように、見るものを異世界に力ずくで放り込む。
観客は問答無用で、この異常で歪んだ世界で延々と続けられる復讐という名の非日常行為を見せられ、自らの平常時では決して出会えない事態に直面するはずだ。
この現実離れした、過激な、異様な、不可思議な、挑発的な、激情に満ちたドラマを、現実世界を舞台に語られるとき、観客は自分のいるこの世界に潜む誇張された歪みに直面するだろう。
この映画を見る者は、その現実世界の日常に潜む澱や淀みを極端に表現されることで、自らの心の奥に閉じ込めていたその無意識の領域に有る情念を噴き出させるに違いない。
この映画は、観客に成り代わって物語内の登場人物が復讐を代行する事で、そんな隠れていた危険な歪みを浄化させるのである。
そういう意味で、この映画は超絶的な非日常を観客に経験させることで、「祭祀」と同様のカタルシスを生む力を持つ。
そしてまた、この効果を劇として現すとき、それは「ファンタジー」と呼ばれるはずだ。
それゆえ、祭りにおける一種の狂気に近いトランス状態や、ファンタジーの本来持つ残酷でグロテスクさとは、過激であればあるほど現実を異化することが可能となり、同時に浄化作用を強める効果を持つだろう。
それゆえ、この映画における過激さ執拗さが必要とされたと思うのだ。
またこの方法論は、そのままタランティーノのハイテンションムービーが求めるものであったがゆえに、彼はこの映画に対し賛辞を惜しまなかったのだろう。
と・・・・・・・書いてきて、ナンナンデスガ・・・・・
韓国ドラマ好きのとある女性が、この映画に関して恐るべき情報をもたらした。
この映画で描かれた、怨念に満ちた過激な行動は、絵空事ではないというのだ。
「エ、マジ!」と言わざるを得ない。
彼女が言うには、チョットでも韓国ドラマを観てみれば、この映画に類した復讐が何千回も繰り返されるのを見る事ができるのだそうだ。
最初はエンターテーメントとして捉えていた彼女も、ドラマを見るにつけこれは韓国の人の国民性として、「復讐」など他者を攻撃する事に強い執着を持つのではないかと考えるようになったという。
たとえば「ナッツリターン事件」や「セオルグ号事件」の容赦ないバッシングや、「慰安婦問題」も含め日本に対する執拗な官民上げての非難も、結局その国民性から生じていると彼女は言うのである。
そう言われてみれば、サッカーファンの私にも心当たりはある。
サッカー国際試合における、まるでスポーツとは思えないぐらい陰惨な「日韓戦」の記憶だ。
その試合では韓国選手の異様な情念と、勝利に対する執着心に、最終的に勝とうが負けようが見ていて憂鬱になってしまう。
韓国チームも日本戦以外では、さほど粘着質の試合をするわけではないのだが、やはり日韓戦の韓国チームは異様だ。
最後にはもう「そんなに勝ちたいんだったら負けでいいです。でも日本選手を傷つけないでね」と言いたくなる。
やはり韓国の国民性として、「復讐」に対して強い執着心を持っている事を認めないわけには行かないだろう。
そう考えれば、この映画のように「復讐」が人生の目的と考える人々・民族が、現実にいるということを日本人は知るべきだろう。
それと同時に、日本のような島国の単一民族が考える「全て水に流すとか」「人を恨んではいけない」というような人種を、韓国人には理解できないだろう。
この違いを考えれば、日本人が戦時中に犯した罪を、韓国の人は子々孫々まで許さないかもしれない。
そして、日本人は「もう昔の事だし水に流そう」なんて平気で言っては、さらに火に油を注ぐだろう。
このお互いの国民性の違いは、驚くほどの隔たりを持っているように思えるが、それをどっちが正しい悪いというのは不毛な議論だ。
どんなに毛色が違っていても、お互い隣人として付き合って行くという運命は変えようがないのだ。
それでは、この二国間に真の友愛が生まれる事がありえるだろうか?
私は希望はあると思っている。
なぜなら韓国ドラマ好きの女性は、こんな韓国の「復讐心」の強さに辟易しつつも、韓国ドラマは大好きだと言い切る。
そう「愛」が有ればナントカナル。
という訳で話が横道に逸れたが、映画の話だった。
ことほどさように、この映画の「ファンタジー性」ゆえに傑作だと思った私にとっては、この映画が現実となりかねないという話は、驚天動地の事態なのだ。
それはまるで「オレ実は宇宙人で、地球征服にキテンダヨネ。ハハハ」といっていた友人が、ある日本当にUFOの中から冷たい眼でこちを見つめていたというぐらい、怖い話だったのである。
だからスミマセン、☆いっこ、減らします。
いや〜ビックリダワ〜ぜひタランティーノに「これファンタジーじゃないんだって」と伝えてあげたいものだ。
キット彼も「エ、マジ!」というんじゃないかナ。
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