評価:★★★★ 4.0点
この混乱した小説の意味するところは何だろうかと考えてきた。
正直に言えば、小説の体を成していないとすら思う。
ほんとうに漱石は、その言わんとするところを文中に、明快に描き出そうとしていたのだろうか・・・・・・・・・
実際、3部構成のそれぞれが放り投げられたように散らばる様は、途中で書く気がうせて放擲したのではないかと疑うほどだ。
他の漱石の作品を見ても、ここまで粗雑な構成の作品を私は知らない。
しかしこの作品は、この形で完成形であるとされているし、漱石自体も何度かの修正のうえでこの小説を上梓しているのだから、意味があるのだと思っては読んではみるものの違和感が消えない。
上 先生と私
小説『こころ』あらすじ
語り手は「私」。時は明治末期。夏休みに鎌倉由比ヶ浜に海水浴に来ていた「私」は、同じく来ていた「先生」と出会い、交流を始め、東京に帰った後も先生の家に出入りするようになる。先生は奥さんと静かに暮らしていた。毎月、雑司ヶ谷にある友達の墓に墓参りする。先生は私に何度も謎めいた、そして教訓めいたことを言う。私は、父の病気の経過がよくないという手紙を受け取り、冬休み前に帰省する(第二十一章から二十三章)。正月すぎに東京に戻った私は、先生に過去を打ち明けるように迫る。先生は来るべき時に過去を話すことを約束した(第三十一章)。大学を卒業した私は先生の家でご馳走になったあと、帰省する。
中 両親と私
語り手は「私」。腎臓病が重かった父親は、ますます健康を損ない、私は東京へ帰る日を延ばした。実家に親類が集まり、父の容態がいよいよ危なくなってきたところへ、先生から分厚い手紙が届く。手紙が先生の遺書だと気づいた私は、東京行きの汽車に飛び乗った。
下 先生と遺書
「先生」の手紙。この手紙は、上第二十二章で言及されている。「先生」の手紙には謎に包まれた彼の過去が綴られていた。「K」や「お嬢さん」らとの関係とその顛末、「先生」が「私」に語った謎めいた言葉たちの真相が明かされる。(wikipediaより)
そもそもこの小説は、この3部の中で突出して長い「下 先生と遺書」の部だけを、当初書き上げたという。
なるほど、この一編で十分終始一貫した小説として通用する作品に仕上がっている。
このまま発表されていれば、私はこの小説に対して違和感を持ちはしなかったろう。
しかし、漱石は「下 先生と遺書」だけでは、この小説で取り扱う「こころ」の主題を十分表現できていないと考えたのだろう。
そこで、取ってつけたような、残り2部を加えてこの小説とした。
となれば、この作品の作者の意図を読み取ろうとするとき、この2部の存在が鍵となるだろう。
しかし、その前に「下 先生と遺書」という完成された一編は、この小説の「基調演説=主弁論」としての役割を、その作品形成の経緯からいって、持っていると思われる。
それゆえ、まずこの部が言わんとするところを、汲み取らねばなるまい。
この先生と遺書の部では、先生からの若き友人への手紙という体裁で描かれる。
まず、先生が複雑な家庭環境にあり叔父が先生の財産を簒奪したこと、それゆえに人間不信に陥ったことが語られる。
次に、下宿先の娘(後の先生の妻)を巡る、先生とその友人Kの三角関係が語られ、その果てに先生に裏切られた友人Kの自殺が語られる。
そして、先生は結婚はしたものの、友人の死の原因が己に有るという罪悪感に苛まれ続けていたため、ついに乃木将軍の殉死をキッカケに、先生も自殺を決心したという内容である。
この一編で語られているのは、多くの研究者が言及するように、近代を迎えた明治日本がそれまでの村落共同体における集団的調和の生活から、否応なく個人として社会に放り出されてしまった混乱を、描いているという点に間違いはあるまい。
つまり、財産や結婚という公的な社会上の問題を、例えば叔父との確執で表現されたように、資産の自己管理を求められ、また結婚も恋愛という形で、個としての愛情問題をベースにして考える自由を得たが故に生じた、悲劇だと語られていると思える。
実際、江戸時代の士農工商的な帰属集団の中で、周囲に同調して人生を歩めばよかったものが、今日からは自由に自分で人生を選べといわれても、実際のところ右往左往するのが関の山であったろう。
しかしそれ以上に日本社会にとって危険だったのは、滅私奉公で表わされる「公」の前に「私」を滅する「江戸的倫理観」が、「個」の自由・権利を基にして構築される「近代的倫理」と相容れなかった点にある。
そんな明治期の混乱の犠牲者として、先生よりも更に保守的であった友人Kは、倫理的な潔癖さゆえに先生よりも先に自死する。
それは、友情という社会的・道徳的な信頼を基礎とする「公的」人間関係が、個人的な恋愛という「私事」によって蹂躙されえる時代になったという事実を、許容できない「旧弊な倫理」を強く保持する者の象徴であり、そんな存在は近代という場から去るしかないと語られているのであろう。
そういう意味では、友人Kの死は明治に殉じた乃木希典の死と同様の意味を持っていただろう。
乃木希典の死は、それこそ「殉死」という、「君主=公」に絶対的忠誠を示すための「滅私」の行為であった。
乃木の場合は更にご丁寧に、自らの老妻とともに割腹自殺するという念の入れようである。
今から思えばなかなか理解しがたいが、この乃木将軍の行為は明治の人々の心を強く打ったことを忘れてはなるまい。
このことは、近代としての価値観が求められた明治末期においても、日本人の心情として「滅私奉公」に強い美を感じたという証拠であったろう。
乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の武士(長府藩士)、軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇の後を慕って殉死したことで国際的にも著名である。
小説『こころ』解説
乃木希典の殉死
大正元年(1912年)9月13日、乃木は明治天皇大葬が行われた日の午後8時頃、妻・静子とともに自刃して亡くなった。享年64(満62歳)没。(右:乃木と妻・静子)
乃木の訃報が報道されると、多くの日本国民が悲しみ、号外を手にして道端で涙にむせぶ者もあった。乃木を慕っていた裕仁親王は、乃木が自刃したことを聞くと、涙を浮かべ、「ああ、残念なことである」と述べて大きくため息をついた。
乃木の訃報は、日本国内にとどまらず、欧米の新聞においても多数報道された。特に、ニューヨーク・タイムズには、日露戦争の従軍記者リチャード・バリーによる長文の伝記と乃木が詠んだ漢詩が2面にわたって掲載された。(wikipediaより)
そんな「前近代的な日本の情」に訴える「旧弊な倫理」に殉じたKや乃木の死に対して、同時代人であるはずの先生が選んだ死は、明らかに違う意味を持っている。
よくよく見てみれば先生の自殺とは、自己の権利としての恋愛・結婚を、友人という社会的な関係に背いてでも押し通した時に生じた、良心の呵責の結果としての死の選択であった。
この先生が選んだ自殺の動機を考える時、同じ自死でありながらその動機が違うことが明瞭だ。
Kや乃木は「自己の権利」のためにではなく「公の倫理」に殉じたのに対し、先生の場合は「利己の権利」を主張したが故に「公の倫理」に殺されたというべきであろう。
つまり先生の場合は、より近代人としての自己を持っていたには違いないが、最終的には「殉死」を賛美する日本的な倫理観に、彼自身も囚われていたことを示している。
しかし更に微細に見てみれば、先生は近代人としての己を全うする事はできずに死を選ぶには違いないが、しかしその死は「個」としての自分に殉じた死とも思えるのだ。
それは、Kや乃木のように、自らの死を持ってその集団・社会に対して何事かを証明するためではなく、個人として生きる事が適わないがゆえの自己完結としての死と映じる。
その証拠に先生は、その妻に死を秘匿しようと努める。
例えば、「公の倫理」に殉じる死であれば、先生は自らの悪行を妻に告白し、倫理にもとる行為の発端となった妻も、共に死に向かわせなければならないだろう。
乃木将軍が成した行為は、正しくそれであったはずだ。
しかしあくまで、先生はその死を「私的」に留めようと努力する。
こう見てくれば、先生は「近代的な個」を確立しようとして、己の内の伝統的な日本倫理に抗しきれず結果的には死を選ぶ。
しかし、その死をかろうじて「個」として迎えることで、近代人としての矜持を証明しようと努めているように思える。
そういう意味では、先生は「近代の精神=個の自由・権利」を理解し求めながらも、日本的な道徳律に殉じざるを得ない存在だと考えられる。
こう見てくれば、この部が描いているのは、明治を生きた近代人達が古い日本の倫理と新しい個人意識の狭間で、もがき苦しむ姿だと言えるだろう。
そして、それは明治期の日本人が近代に向かうときに、等しく感じた痛みだったのではないか。
だからこそ、そんな旧来の美を体現した乃木の「殉死」が、明治末期においても称揚され感動を呼んだのであろう。
それでは、この本編たる「先生と遺書」に書き残した部分とはなんだったのだろう。
残る2部「上 先生と私」「中 両親と私」を読んでみて分かるのは、そこで描かれている先生と私の心理的な温度差であったろう。
それは、「先生と遺書」における明治早期に人格形成を成した者と、明治中期に生を受けた「私」との、世代間の意識・価値観の差を描写しているのではなかろうか。
この私にとって、先生が苦闘した日本的倫理観は、すでに「公よりも私を優先」するのが当然だとして、解決が済んでいると描かれていまいか。
それは「両親と私」の最後で、親が死んだという公よりも、私的な人間関係である先生を優先し、親の死を放擲して先生の下に急ぐ事で象徴的である。
更に言えば「上 先生と私」は過去形で書かれていることを考えれば、この語り手の「私」はすでに先生の死を乗り越えて生きている事を表わしている。
そういう意味で、漱石は「先生と遺書」に描ききれなかった、「私を優先」する「近代的個性」をこの「上 先生と私」「中 両親と私」において、私という語り部を通じて表現したのであろう。
しかしなぜ、そんな「利己的な私欲」に満ちた、日本的な美と相容れない「近代的個性」を、漱石はことさら書き足したのだろうか。
なぜ、「近代的な個」と「伝統的な日本倫理」の相克を描くだけで良しとしなかったのだろうか。
私は答えは明瞭であると思う。
漱石は因習的日本が生んだ、乃木に象徴される日本的価値を否定する為に、残り2部の「近代的個性」を描いたのだと信じる。
漱石自体は、その心性として日本的な倫理観を愛していただろう。
それは、小説中の日本的な規範に殉じた友の名を「K」としている事に現れているように思う。
この「K」とは、漱石の本名(夏目)金之助の「K」としか思われない。
また、漱石は日本的な倫理観を愛する己を、嫌ってもいたように思える。
文中の私と先生の出会いのシーンで、唐突に「先生が外人と一緒だった」と描かれるとき、この「先生」もまた英国留学を経た漱石の分身だったろう。
その「先生」は「個の権利と自由」を理解し求めながら、自らの中の「古い日本の美意識」に殉ずる。
しかし、乃木のようにその「殉死」を「正義の行い」として捕らえるには「先生」は「近代人」でありすぎた。
それゆえ、個としての死を「私的行為」として秘匿しようとするのである。
この先生の自殺が意味するのは、おそらく「乃木の殉死」に見られる日本的伝統を「賛美」する意識に対する、アンチテーゼだったろう。
こう考えてきたとき漱石が、この小説で描きたかった「こころ」の姿が、明瞭になったと思う。
つまり漱石は、日本の前近代的な倫理観に縛られつつ近代人として生きざるを得ない、日本人の「こころ」をこの作品で描いたのである。
その「こころ」の行く先は、多かれ少なかれ「近代的個」を許容し得ない「日本的美意識」を前に、傷つかざるを得ないと「先生と遺書」の部で語られる。
それは英国留学で、近代の坩堝に放り込まれた漱石という日本精神が、極限まで追い詰められた事を考えれば、それは漱石の「日本のこころ」に対する危うさの実感であったろう。
そんな日本人の「こころ」を考えたとき、漱石は近代を日本人が生き延びられるかを考えざるを得なかったろう。
この問題を前にした漱石の回答こそが、「上 先生と私」「中 両親と私」に描かれた主人公「私」の姿だったに違いない。
その利己的に「私的利益」を貪ることに躊躇しない姿こそ、漱石の個人的倫理観としては許容し得ないにしても、近代的「こころ」であり新しい日本人の姿として正しいのだと、漱石は描いたのではなかったか。
しかし、個人として古き日本の心を慈しんだ漱石の精神は、その新しい心に美を感ぜず、ついに不体裁に放擲するように小説中に描かざるを得なかったのであろう。
それでも、この漱石から希望を託された「私」は、小説中に明瞭に描かれていないものの、この先生の奥さんを最終的に我が物とする予兆が、文章の端々に埋め込まれているように思える。
その想定に立てば漱石は、先生が「公的倫理」ゆえに苦しめた「妻」を、「私的恣意」によって救い得るのだという、メッセージが籠められてはいないだろうか。
この漱石の、利己的な個人としての近代人の「こころ」が求められるのだという提言は、その後の日本の進みを見るとき重要であったと気づくはずだ。
即ち漱石がこの小説を書いた後も、日本人の「こころ」は「殉死」を美しいと感じるままで変化がなかったからである。
その結果として、個人主義を国是とする近代国家アメリカ合衆国を前に、日本人全てが殉死を覚悟した昭和20年の敗戦を向かえる事となった。
1914年に執筆の「こころ」の真意と日本人が真摯に向き合ったならば、1945年の敗戦までに約31年という期間を持ちえたのであるから、日本の近代はまた違う結果を生んだのではないかと惜しまれる。
と書いては見たものの、ま〜じっさい漱石さんもヨクナイッす。
いかに国家主義的な日本の時代だったにしても、モーッチョットはっきり「乃木さん、今時殉死でもないでしょ」って書いてくれたら、言ってる事が伝わりやすいのに。
奥歯にモノが挟まったような小説なものだから「青春小説」見たいに思われて、未だに中学生にまでこの本を読ませようとしてるんでしょう?
そんな本じゃないでしょうコレ?
少なくとも最初にコレ読んだら、小説読みたくなくなっちゃうんじゃないかしら?
ほんとワケわかんないしょコレ・・・・・・・・
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ラベル:夏目漱石
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