評価:★★★★★ 5.0点
劇場版のこの作品を見て、やはり強い磁力を感じる。
それは、宗教的な暗喩であるとか、SF的造形の革新性であるとか、登場人物の性格描写の複雑性など諸要素が相まって、物語の深みを作りだしているのは間違いない。
しかし、何よりも「綾波レイ」というユニークなキャラクターを生み出した事が、この物語の成功を導いたと思える。
「綾波レイ」という存在は、自ら傷つき疲れボロボロになりながら、主人公の少年を守ると言う。これは過去の物語における、子供を守る母性と、戦う少女、この二つのイコンを合わせて持つ存在である。
古来、わが子を守るために戦う母の姿は典型的な原型であったし、戦う少女=乙女もジャンダルクも含め多く語られてきた。
しかし、「綾波レイ」において語られているのは、戦う乙女でありながら母性を保持するという、相反する要素をを内包した存在である。
つまり、乙女=処女でありながら、わが子を守って戦うという、普通であれば不可能な使命を帯びているのだ。
これは単純に、「エヴァ世代」と呼ばれる物語の受け手の中に、同世代の少女=恋愛対象によって、母のように守って欲しいという願望が有るという、単純な図式に収斂すべきではないだろう。
これは、主人公の父親である「碇ゲンドウ」に象徴されるように、男権という従来の世界秩序が崩壊した現代において、新たな世界秩序が希求される時、世界を再構築する力は乙女にして母になりえる者にしか、成し得ないという事実を意味している様に思われるのだ。
そもそも、男権という一つの世界観の成立が、キリスト教の絶対神と密接に関わっている事を考えれば、それが崩壊した今となっては、新たな宗教=世界構築を成し、補完せねばならないであろう。
そして、新たな宗教はキリストを生んだ聖母マリアで判るように、過去との世界と断絶した=乙女による処女懐妊を介する事によって、過去のしがらみを断ち切って成立するであろ。
そう、「綾波レイ」という受難者は、乙女ながら処女懐妊をして、次なる世界の救世主を産む聖母となる。
そしてその救世主を守るために血を流し続ける運命を引き受けるに違いない。
その予感が見る者をして、かくも強く心の中に「綾波レイ」を育ててしまうのだろう。
この「綾波レイ」の聖母化と同じ構造が、日本アニメの少女達が戦い傷つく原因ではなかろうか。
少女たちが戦闘する姿は、上で述べたごとく男たちのインフォリティ・コンプレックスの果てに、すでに世界は男性を主体として構成し得ないという認識のゆえだとすれば、そんな不安定な世界の中で、男たちが次に自らを仮託しうる存在として選ばれたのが、少女という男女性を一種超越した抽象存在であったろう。
そしてこの抽象的少女達が戦う姿は、旧世界の崩壊とその先の新世界の予兆のうちに、ある種の「アルマゲドン」として表れる。
それゆえ少女たちの受難は、新世界が構築されるまで、聖母として崇められる日まで、戦い傷つきつづけなければならない。
新しい世界は、救世主による現体制の完全なる破壊の上に、そして救世主自体も死と再生を経て、構築されねばならない運命なのだから―
そして新たに構築された場所が、乙女にとって安らかに眠れる世界でありますように・・・・・・
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