ヒーロー”デビッド・ボウイ”
評価:★★★★★ 5.0点
2017年1月10日
デヴィッド・ボウイの訃報を聞いた。
美しい人が、この地を去ったのだと、そう感じた。
もう、動いている、息をしている、鼓動を打つ、生命体としての彼はいない。
彼こそはアーティストと呼ばれるべき存在だった。
同時に世界一のペテン師だった。
カメレオンのように姿とスタイルを変えながら、時に超然と、時に下卑て、大笑いしたかと思えば怒りだし、悲しんだかと思えば、踊りだす。
そんなピエロのような男のクセに、いつもエレガントでセクシーだった。
だから私は、眼を逸らせなかった。
いや、私は嘘をついた。
実を言えば「ブラックタイ・ホワイトノイズ」を聞いたとき、私の心はボウイを喪った。
それまでの作品にあった、カリスマ性を感じられなかったからだ・・・・・・・
私の中の「輝くピエロ」。
一挙手一投足から眼を離す事のできない、「特別なカリスマ」の歌声として、その声は響かなかった。
私にとって、そのアルバムを境に、ボウイがボウイであることを止めてしまった。
今でも、「ブラックタイ・ホワイトノイズ」は、彼のキャリアの分岐点だと思っている。
それ以降の「アウトサイド」「アースリング」「アワーズ…」「ヒーザン」「リアリティ」「ザ・ネクスト・デイ」・・・・・・
作品として好きなCDはある。
しかしこれらの楽曲は、どこか、くすんだような鈍い光を放っているように感じられた。
それは、人間として等身大のボウイに近い、作品群だったかもしれない。
しかし、私が求めたのは「輝けるボウイ」であり、「カリスマ・ボウイ」だった。
私にとってこれらの作品の中では、彼は私の望む形で存在してくれていなかった・・・・・・・・・・・・・
もちろんこれは、私の個人的な印象で、古いファンの中では「レッツ・ダンス」で世界的なスターになってから、ボウイではないという声も有る。
更には「スペイス・オディティ」が頂点だと言う者もいる。
たぶん、このカリスマの万華鏡の様な変化に魅せられた者は、その心の数だけ「異なるボウイ」を生み出すのだろう・・・・・
そういう意味では、間違いなく私自身が期待して、待っていた「美しいボウイ」は、2017年1月10日彼の死によって永久に戻る可能性がなくなった。
そんなボウイの死は、間違いなく私の死でも有る。
人は、それが私の一部にすぎないと言うだろう。
しかし、その一部が他の全部よりも大事なこともある。
もう少し時がたったら、「ブラックタイ・ホワイトノイズ」以降の「人間ボウイ」が何を語っていたのか、じっくりと聞くつもりだ。
かつて狂おしく求めた恋人と、時を置いて再会したかの様に、懐かしく思い出を語り合うように。
そうすれば彼が何を語っていたのかが、少しは冷静に理解できるかもしれない。
しかし、今日は、私の中の夢「輝くボウイ」を悼みたい。
だから「英雄夢語り "Heroes"」 を聞くことにする。
関連レビュー「ジギー・スターダスト」:http://hirahi1.seesaa.net/article/422575247.html
関連レビュー「キャット・ピープル」:http://hirahi1.seesaa.net/article/419458346.html
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ラベル:デヴィッド・ボウイ トニー・ヴィスコンティ