評価:★★★ 3.0点
この小説は、自らの祖父が特攻隊で第二次世界大戦中に死んだことを知った孫が、祖父と関わりのあった特攻隊隊員を訪ね、祖父と特攻隊、そして戦争について理解をしていく物語だ。
戦後日本が戦争を語ることに一種の躊躇を持ち、不明瞭にしか伝えられなかった結果として、戦争自体が現代の若者にとっては霧の中の影のように、実体を持たない姿としてイメージされているのではないだろうか。
そんな、世代が歴史を追及していくという構成は、戦争の現実を知るための入門ガイドとして巧みである。
評価として付け加えなければいけないのは、作者の優れたストーリーテーリングの技術によって、小説的な愉しみを間違いなく提供してくれるということだ。
また同時にその小説としての力は、作者が自らの信条を明瞭に開示した点、更に言えばその信念を広く伝えたいという思いによって強くなったのだと感じる。
その作者の姿勢は、戦争という歴史的評価を必要とする事実に向き合えない日本の現状を考えるとき、第二次世界大戦とは何だったのかと自己の心情を世に問うことは勇気が必要だったろうし、素直にその点は評価すべきであろう。
作者の思いを小説から汲み取れば、当時の戦争指導部から強要されて特攻隊の隊員は望まない死を、国のため家族のため献身的に受け入れた英雄的存在だということになろうか。
それは同時に、戦争指導層の非人間性を描いてもいる。
この小説が語るところを、上の文章が的確に捕らえているとすれば、個人的に、この小説はある種の誤謬、もしくは欺瞞を含んでいると思う。
その点を看過するのは、戦争で犠牲になった人々の死を正しく受け止め、未来に向けて有益な継承と成り得ないと思われるがゆえに、ここから後の文章を書く衝動に駆られた。
この小説において疑問に思うのは、特攻隊員の主人公が「海軍一の卑怯者」といわれるぐらい生に執着しているという設定が、あまりにも強調されすぎている点にある。
それは、主人公だけではなく、生き残りの隊員の言葉として「誰が死にたいと思うものか」とか、「特攻に志願せざるをえない状況だった」「遺書は検閲があるから死にたくないとは書けなかった」等の記述もあり、本書を通じて特攻隊員は生き永らえたい思いに満ちていたと印象付けられていないだろうか。
それゆえ、そんな生きる希望を断ち切って特攻に赴くと描かれるとき、特攻隊員達のその英雄的な姿が強く立ち上がる。
同時に、そんな兵士を死に追いやった、軍上層部の非人間性の描写が成される。
しかし、実際の特攻隊員の生存者や、戦時中の兵士達の証言を総合すれば、生きることに執着しているというよりは、むしろ如何に死ぬかを考えて戦っていたという方が実相ではなかったか。
さらに死に向かう精神は、兵士だけではなく、軍指導層も同様のメンタリティーの下で、作戦の立案および兵の運用を行っていたとしか思えない。
歴史的に言っても明治以降の日本政府と日本人は、西洋列強による圧力に抗するため、富国強兵の名の下に国家国民の戦闘力の増強に全力を傾注してきた。
そこで援用された兵士としての理想像こそ武士道であり、武士道とはそもそも主君のために死をも厭わない、己を殺し公に尽くす「滅私奉公」の道として在った。
それゆえ武士道を記した「葉隠れ」には「武士道とは死ぬことと見つけたり」と書かれていたのである。
文化的に言っても、日本民族を支えてきた主要産業の農耕稲作は、共同作業としての同時性・均一性を要求するため、突出した個性を嫌う。
そんな農耕文化の中で、日本人は1千5百年を優に越える年月の間に代を重ね、共同体に対する規律と忠誠は骨の髄まで沁み込み、同時に個としての己を主張することは反道徳的行為と見なされる文化を築き上げた。
結果的に、戦後になって強い個人、優れた個性を構築しようとした「ゆとり教育」という実験が、あっという間に雲散霧消してしまったのは、日本文化の形と本質的に相容れなかったからであろう。
さらに、そんな日本人の共同体に対する、飛び抜けて強い献身を促す理由として生物学的な原因を上げることも出来る。
現代生物学における知見では、生物の究極の目的は自らの遺伝子を如何に多く次世代に残すかであると、規定される。
例えば、一つの蜂の巣では女王蜂の遺伝子を共通して持つ蜂で構成されるため、最も効率よく自らの遺伝子を残す為に、巣の蜂が一匹でも多く残る道を選択する。
結果として外敵に巣が襲われたときに、ミツバチは己の死を省みず戦いを挑むのは、個としての蜂の持つ遺伝子は一個に過ぎないが、巣の遺伝子(蜂)は数千の単位になるため、巣のために死ぬほうが効率よく遺伝子を残せるからである。
この生物学的定義を、同じ生物としての人間に援用するのは間違ったことであろうか?
つまり、源平藤橘という日本人の家系が在るが、この天皇を祖とする血脈の濃さは、世界的に言っても飛び抜けて均一な遺伝子として残りはしまいか。
例えば、アメリカ的な多民族国家と比べ、その遺伝的形質が均一なのは明瞭であり、生物学的に言っても日本人が己の帰属集団に対する献身を促されると想定するのは、暴論とも思えない。
つまり、文化的、産業的、生物学的に言って、日本人は飛び抜けて共同体に対する献身度が高く、更に明治以降の国民皆兵の教育により第二次世界大戦当時の男子は、国家に命を捧げることこそ本懐とするほどに強い献身精神を持っていたと考えざるを得ないのだ。
結局、この小説に描かれた「命を惜しむ」兵士というのは、もし仮に存在していたとしても少数派であり、極めて特殊な存在だと言えるだろう。
むしろ子供の頃から「尽忠報国」「忠君愛国」の教育の基、国家に奉仕することを人格形成の目標とされ育ったはずの人間が、この小説の「死を惜しむ」ような性格を保持するとなれば、すでに社会的に不適応な性格破綻者と見なさざるを得ないだろう。
そんな特殊なキャラクターをして、特攻隊兵士を代表させ、あまつさえ、死にたくないのに自ら死に赴く姿を描いて、英雄的な印象を強く表現するというのは、やはり欺瞞といわざるを得ない。
さらに、この欺瞞の上のヒーロー像を基に、特攻隊兵士達の献身の姿を英雄として賞賛しようという作者の意図が、この小説中に描かれているが故に「危険」だと思うのだ。
この特攻で散っていった命に対して、現実の姿を越えて英雄として意味づけようとすることも、この特攻兵士の英雄像のために、時の軍部の非道を強く印象付けようとすることも、いずれも当時の日本の現実から懸け離れた形で描写することは、英霊に対して礼を欠く事になるだろう。
以上のことから、この小説に描かれた特攻隊員の姿とそれを基にした英雄像を、読む者が無批判に受け入れてしまうことに危機を感じた。
それを踏まえて、ここから先は、個人的な特攻隊員に対する思いを書かせて頂きたい。
個人が自らの命を捨てて祖国のために順ずる行為は、世界共通で英雄的行動と見なされることは、インターネットの「KAMIKAZE」に対する海外からの書き込みを読んでも、程度の差はあるとしても、間違いない事実だろう。
しかし、ここで考えなければならないのは、上で述べた日本民族の特殊性であろう。
つまり日本人はその民族的特性を前提にしたとき、個人の意思よりも帰属集団の利益を優先する事を当然と考えはしないだろうか。
それは戦前には国民的了解事項として、現代でも会社における労働を検証してみれば、暗黙の内に同様の行動様式を保持していると考えざるを得まい。
その結果として構成される社会は、集団のために個人が犠牲になることを当然と考える共同体となって現れるだろう。
実際その日本組織の究極の姿が、戦前の日本軍であっただろう。
例えば、当時の戦闘機の世界的標準を遥かに凌駕したゼロ戦が生まれたのは、徹底的な軽量化をした結果であり、その軽量化された部品こそパイロットの命を守るべき「防護板」であり「燃料タンクの防弾ゴム」だった。
結局、この日本軍の命を軽視した兵運用思想を反映した「ゼロ戦」は、操縦士の命の危険と引き換えに、高性能を獲得したのである。
このように、個人を犠牲にすることを厭わない日本人であり日本軍であったが故に、最終的に特攻隊兵士の死があるのであり、軍部が本土玉砕を唱えることとなったのである。
たとえば、このとき軍上層部は非人道的な作戦を立て、多大なる犠牲を兵と国民に強いた。
しかし、それはこの軍指導層の将士も最終的には自らの命を国家に捧げる覚悟があったがゆえの、命令だとも思える。
いろいろ捕らえ方はあるかと思うのだが、終戦時に特攻を命じた大西司令も含め、自害した軍指導者層が多数いたことを考えれば、やはり彼らも個人の利害を超越して国家に献身するという、日本人の資質を持っていた傍証ではないだろうか。
つまり、最終的に終戦の聖断が下されなかったとすれば、日本国民は一体となって「一億層玉砕」に向けて、従順に死に続けた事だろう。
同じ日本人として、自ら属する集団のために身命を捧げるこの民族的な特性を、美しいと感じてしまう自分がいるのを否定できない。
しかしその特性は同時に、個人を「ないがしろ」にして、平気で切り捨てる社会を構成しうる「危険」も併せ持つのだということを、忘れてはならないだろう。
更に言えば、濃密に結びついた集団は、集団外の者に苛烈に対処する傾向を持つ。
やはり強い集団的帰属意識は、その集団に属する個人や、集団外の人々に対して、犠牲を強いるのだという事実を確認しておかなければなるまい。
結果的には、その事実を証明する為に、特攻隊員達はその若い命を散らしたのではなかったか。
だからこの国は絶対戦ってはならないのだと、英霊達が告げていると私には思える。
関連レビュー「映画・永遠の0」:http://hirahi1.seesaa.net/article/432105938.html
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ラベル:百田 尚樹