<1人3役床屋シーン>【意訳】アキーム王子:たぶん、この飾り髪を切れば。/セミ:ダメです!/アキーム王子:切る!/クラレンス:何言ってやがる、外で言え、奴はヘタクソだ、そんで最高のボクサーはシュガー・レイだ、猛烈なアイツが俺の好みだ、(すごい早口と訛りで分からず、適当に訳しましたが、以下でシュガー・レイやジョールイスの名前が出ますから、ボクシングの話だろうと想像しています・・・・・・)すっごい黒人英語。たぶんスラングたっぷりで、キワドイせりふのギャグが、マシンガンのように叩き込まれているんだろうなとも・・・・・・
想像しましたが・・・
イカガデショウカ・・・ま〜字幕だけで見ても☆3っつは十分なお話だと感じました。
・・・・・ので、想像の面白さを足して、☆4.0です。
また特筆したいのは、エディー・マーフィーのお陰で、めったに見れないブラックカルチャーが垣間見れたと思うのです。・・・・実を言えば、アメリカ社会には「黒人向け映画」というジャンルが、あるようなのです・・・・・・・
以下の文章でその点を追求してみました。スポンサーリンク映画『星の王子 ニューヨークへ行く』解説黒人映画の歴史 |
映画の登場と時を同じくして、白人を対象にした映画同様に、黒人向けに作られた映画が流通し人気を得ていたそうです。そんな映画を、以下に紹介させていただきます。
<レースフィルム(Race film)=黒人映画> |
黒人フィルムまたは黒人映画は、1915年から1950年代初頭の間にアメリカで製作された、黒人の俳優を起用した黒人のために製造されたフィルムのジャンル。
通産で約500本の黒人映画が制作された。これらのうち現存するのは、ハリウッド・ スタジオ・システムに乗らず制作されたため、100本未満であり、主流の映画史家からほとんど忘れ去られていた。
当時、黒人映画はアフリカ系アメリカ人の観客の間で非常に人気を博し、現代の映画やTVに引き続き影響を与えている。
<黒人映画『ホーム・ステッド』ポスター>
劇場紹介として、有色人種も全ての席に座れると記され、中央に全て黒人俳優と書かれている。
黒人映画は白人所有の企業が資金を調達し、白人が脚本や監督を務め、1930年代に撮られた多くの黒人映画は、ハリウッド映画産業の外郭の白人所有の映画会社によって制作された。
いくつかの黒人所有の映画スタジオも存在し、そして特に注目すべきはオスカー・ミショー(写真)のプロダクションで、彼の映画は脚本も製作も、黒人のみで作ったものとして宣伝された。
当時、人種隔離政策を採っていたアメリカでは、南部では指定された黒人用劇場で上映され、北部では黒人居住区近くの劇場で上映された。最盛期には、黒人映画は全国の1,100もの劇場で上映された。
そのテーマは、教育と勤勉さによる成功を描き、無教育で、自由主義的な資本主義的価値観に背を向けた黒人の悲劇的な末路が描かれた。
しかし、白人資本により作られた「黒人映画」は、社会的不公正と人種差別のテーマを描くことはめったになかった。
第二次世界大戦へのアフリカ系アメリカ人の参加が、いくつかのハリウッド・メジャー・スタジオの作品で黒人俳優の主役登用に貢献し、レース映画は1950年代初頭に姿を消した。
50〜60年代を通しエンターテーメントの世界でも黒人で人気を得る者が登場し、シドニー・ポワチエやサミー・ディビス・Jr、そしてハリー・ベラフォンテなど世界的なスターがハリウッド・メジャー映画作品やTVを通じて活躍していました。
そんな彼等は、60年代「公民権運動」が盛んになり黒人の人権を主張し始めた時、金銭的・精神的に、その運動の推進に大きな力を発揮しました。しかし人権運動のリーダー「キング牧師」が暗殺されるなど、白人側の抵抗が強く対立が深まる60〜70'年代になると「ブラック・パンサー党」など武装蜂起も辞さない過激な一群も登場します。
そんな社会状況もあり、70年代には黒人達による黒人達のための主張を持った映画が現れました。スポンサーリンク<ブラックスプロイテーション(Blaxploitation)=黒人キワモノ映画> |
1970年代に生まれた、ブラックスプロイテーションは、キワモノ映画(エクスプロイテーション映画)ジャンルの黒人版である。
70’年代には、ハリウッド・メジャーが手を出さないような、際どく、猥褻で、刺激性の強い、B級映画が作られ、それをエクスプロイテーション映画と呼び、当時ドライビング・シアターで人気を博したロジャー・コーマンなどの作品がヒットを飛ばした。
その、コッテリとした、過激な刺激物の、キワモノぶりは、黒人が生み出した「ブラックスプロイテーション=黒人キワモノ映画」でも変わらない。それらの映画は人気があり、黒人のアウトローが官憲を敵に回し大暴れする、アクション映画は黒人達に熱狂的に受け入れられた。
「黒人キワモノ映画」は都市部の黒人向けに作られていたが、人種や地域を越えてその魅力は広く受け入れられた。ハリウッド映画界も、これらの映画の視聴者を拡大することで利益を得た。
その代表作として挙げられる作品に映画『スーパーフライ』がある。
<予告『スーパーフライ』>
この映画は、完全にアフリカ系アメリカ人によって資金提供され、黒人のスタッフによって撮影された最初の黒人向け映画だった。およそ50万ドル(1ドル100円換算で5000万円)の制作費は、黒人企業の協賛と、ハレームの歯科医を始め、イカガワシイ人々、麻薬売人、ポン引き、などからの出資も含め、ハーレムでゲリラ的に撮影されたものだった。
このヤクの売人が主人公の「キワモノ」的内容は良識派から糾弾され、物議を醸したものの、それまでオスカー・ミショーなどの一部の例外を除き、白人が独占していた映画を黒人の手で製作したことの意義は大きい。
黒人の手による「黒人キワモノ映画」の製作によって、初めて白人に対する遠慮なしに、黒人達の持つ社会への怒りを表現する自由を実現した事実として映画史に刻まれた。
このジャンルで映画を制作した監督の中には、ジョン・シングルトン、マリオ・ヴァンピーブルス、F・ゲイリー・グレイ、ヒューズ・ブラザーズ、スパイク・リーなどがいる。
この「黒人キワモノ映画」を愛する映画人にクェンティン・タランティーノがいます。彼は『ジャッキー・ブラウン』や『ジャンゴ』などに、これらの作品に対するオマージュを込めていると言います。
<『ジャッキー・ブラウン』予告>
更に、個人的には名作『パルプ・フィクション』にも、「ブラックスプロイテーション=黒人キワモノ映画」の影響を感じます。スポンサーリンク映画『星の王子 ニューヨークへ行く』考察エディー・マーフィーの闘い |
一般にアメリカ文化と発信されるのは、基本的に白人(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント=WASP)の文化です。
しかし上で見たように、アメリカ国内には外に出ないマイノリティ文化が厳然と存在するのでした。この映画『星の王子ニューヨークに行く』には、
「黒人映画」の伝統を引き継ぎ登場した映画ではないかと思います。
しかし、過去の「黒人映画」と違うのは、ハリウッドで大スターになったエディー・マーフィーが出演しているせいで、「大資本=ハリウッド・メジャースタジオ」が、資金を提供し全世界の販売ルートに乗せた「ブラック・ムービー」だということです。エディー・マーフィーはTV『サタデー・ナイト・ライブ』で人気を得て、『48時間』で映画デビューし、『大逆転』『ビバリーヒルズコップ』で、金を稼げるブロック・バスター俳優としての地位を獲得しました。
しかし、これらは、ハリウッド・メジャーの製作による、白人受けする黒人像の中で、エディー・マフィーは演技していたようにも感じます。それは、例えば『天使にラブソング』をなどの、白人社会におけるトリックスターとしての黒人像です。
その点、この映画はほぼ黒人しか出ていませんし、黒人達が見て大笑いするネタが山盛りの純然たる「ブラック・ムービー」です。この作品がメジャーに出るにあたっては、当然エディーマーフィーの強い意向が反映されなければ、ハリウッドメジャーがこんなリスクを犯す訳はありません。
極端なことを言えば、世界中に「吉本喜劇」を売り込むようなチャレンジであり、そのリスクをはらんだコンテンツに莫大な制作費と広告費を投入する、危険なビジネスなのです。幸いなことに、この『星の王子 ニューヨークへ行く』は、予算$39,000,000に対し、一桁多い$288,752,301の興行収益を全世界で得ることに成功し、彼の次の映画もメジャー製作・配給の作品となります。
そして、次の映画ではエディー・マーフィーは自ら製作に関与します。これは想像ですが、それは金を出すから、もっと自分目線の映画を作るという意志の表れだったでしょう。
この挑戦を見て、かつて、自らの「ブラック・カルチャー」をメジャーコンテンツにしようと苦闘した、アーティストを思い出しました。
「キング・オブ・ポップ=マイケル・ジャクソン」その人です・・・・・彼は「黒人文化」をメジャーな存在にする代わりに、黒人コミュニティーから「白人に魂を売った」と言われて、結局一人ぼっちになってしまいました・・・・・・
エディー・マーフィーは、そんなマイケルを見ていたのではないかと想像します。それゆえ「白人社会のスター」として認められれば認められるほど、自らの帰属集団としての「ブラック・コミュニティー」を尊重する戦略を取っていたのではないでしょうか。
黒人文化を「メジャー」にする努力をすることで、自らのアイディンティティと「スター」である事のバランスを取ろうとしていると想像したのです。また、その選択はハリウッド・スターとしてハリウッド映画に出演する以上、ヒットしなければアっというまにスターダムから転げ落ちる事を理解した上での選択でしょうが・・・・・・・・・・正直危険な選択では有ります。
そして、撮り上げた映画が『ハーレム・ナイト』という「黒人映画」でした。その内容は、ハ―レムの黒人達が悪徳白人警官に立ち向かうという、完全に黒人バンザイ作品の「黒人キワモノ映画」の匂いが漂うものです。
<『ハーレム・ナイト』予告>
正直言って、当時エディー・マーフィーのこの挑戦に対し、ファンだった私はヒヤヒヤしたものです。
当然、スタジオ側は反対でしょうし、エディーの財産だってどれほど注ぎ込んでいるか・・・・・それ以上に、その映画が失敗したら、ハリウッド映画界で「黒人映画」をメジャーなコンテンツとして認めさせようという、彼の大いなる挑戦が潰えるのではないかと心配したのです。
その挑戦は、予算$30,000,000-に対し収益が$60,864,870-正直言って予算は少なく提示されるものと言いますから、トントンかもしくは実質マイナスだったかもしれません・・・・
そして、この映画以降、1990年代の彼は低迷し、やはり厳しい闘いなのかと白人社会の壁の高さを痛感したものでした。・・・・・・・アメリカの黒人にとって「メジャー」になるという事がここまで「リスク」を伴うのだろうと・・・・・遠い国でそう想像して
・・・・ガンバレと思ったのでした。映画『星の王子 ニューヨークへ行く』2020年追記 |
一時期低迷し、ハリウッドの厚い壁を前に敗れざるを得ないのかと、個人的には思ったエディー・マーフィーでした。しかし、95年以降に『ドクター・ドリトル』『ナッティー・プロフェッサー』が好評を博し、ブロック・バスター俳優として復活を遂げました。
そして再び、ブラック・ムービー『星の王子 ニューヨークへ行く2』が撮影を終えたと言われます。
<『星の王子 ニューヨークへ行く2』予告>
その成功を祈らずにはいられません。
この30年の間に、アメリカ社会の黒人などマイノリティーに対する理解も進んだのではないかと感じています。
それは、純然たるブラック・ムービー『ムーン・ライト』のアカデミー作品賞受賞など、奇跡的な出来事が起きたことからも明らかでしょう。そして、そんなブラックカルチャーのメジャー化に尽力した功労者がエディーマーフィーであることは間違いありません。
しかし、映画界や音楽界、スポーツ界でアフリカ系アメリカ人がメジャーになり認知されても、警官の黒人射殺問題などが発生することを見ると、まだまだマイノリティー達の戦いは終わらないのだと思わずに入られません・・・・・・
再び・・・・・・・遠い国から・・・・ガンバレと思ったのでした。