評価:★★★★ 4.0点
実はこの映画を引っ張り出してきたのは、あんまりにもハリウッド映画「恋のから騒ぎ」が羨ましすぎて・・・・・・日本にもないのかなぁ〜というので、この映画です。
今見れば、煌めきもくすんで見えるこの映画ですが、1963年(昭和38年)当時にハワイでヨットに乗ってワイキキで遊ぶ大学生なんてシチュエーションは、当時の大多数の若者達にとって夢にもあり得ない事態です。
この当時の大学進学率〜20%、高校卒業での就職は勿論、中学卒業で集団就職というのも当たり前の時代でした。
大学初任給1万3000円に対し、ハワイ旅行代金が36万4000円と言いますから当時の若者にとって、この旅が不可能な領域の話だったのは、間違いありません。
しかし、一般庶民からすれば遥か遠くの「高嶺の花」を、明るく、楽しく描いたこの映画シリーズは、大ヒット作品となり松竹映画を支えたのです。
そしてこの映画を見た人々こそ、団塊世代の集団就職で働きづめの20代の若者達だったという事です。
この映画と観客の関係を考えて、個人的に映画の持つ「憧憬=欲望」の構造が、浮かび上がるように思ったのです。
大げさに聞こえるかも知れませんが・・・・簡単に言えば、苦しく、辛い生活を送っている人々は、その現実を忘れさせてくれる「夢・希望」を生きるために必要とするのではないかと思うのです。
それは同時に、現実の苦労・困難を超えた先に到達すべき「憧れ=欲望」として、映画の中の「夢・希望」が描かれているのです。
そう思えば、「夢」や「希望」は現実離れして、清く美しく明るく正しいほど、現実を浄化する力となると思われます。そして同時に、苦しい現実にある理不尽さや矛盾を含まない、結果のハッキリした「予定調和」を欲すると思うのです。
それはもう、「聖像=イコン」と呼ぶべきかもしれません。
このように、観客の現実に対する不平不満が強ければ強いほど、映画の中で描かれる「夢・希望」の純度が上がるという関係に気がついたというお話です。
すなわち、映画の示す「夢・希望=イコン」は、観客の痛苦の量に比例して純度を高める「欲望装置」だと言えないでしょうか?
そう考えれば、現在の日本は強い「夢・希望=イコン」を必要としないがゆえに、夢のような「青春映画」が作り得ないのかとも思いました。
それを成熟と呼ぶのか、衰退と呼ぶのか、今はまだ判断できずにいます・・・・・・
関連レビュー「恋のからさわぎ」:http://hirahi1.seesaa.net/article/429292773.html
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