評価:★★★ 3.0点
先進国には共通の、老人問題を題材にしたイギリス映画。
主人公の老婦人が、なかなかいい味を出しています。
また、この老婦人とふとしたキッカケで友達になる青年も、嫌味がなく素直そうで好感が持てます。
たぶん、この映画で描かれているような、世代を超えた友情関係というのが「老人」にとっての理想型なのかなぁ〜とも思います。
ここには、核家族の果てに孤独で孤立して生きざるを得ない形で、人生の末期に近づく者達にとって、社会とつながることの本質がここに描かれているのではないでしょうか。
もちろん家族や親しい友人とのつながりは大事に違いありませんが、この映画の中で描かれているように、家族にも生活があり、同年輩の友人達は日々喪われていきます。
そういう意味で言えば、家族がいればこその寂寥であり、晩年期の友人ゆえの悲しみでしょう。
必然的に人生の終焉に近くなった時に、あらかたの老人が保持する人間関係は、大なり小なりこの映画で描かれている形では無いでしょうか。
そう申しては何ですが、この古くからの関係の中に、夢や希望を見出すのは困難だと思うのです。
やはり人間は幾つになっても、新しい希望と、未来の可能性を持たなければ、生きていけない生物ではないでしょうか。
そういうことを踏まえて、この映画のように、年若い人が老人に対し尊敬と友愛を持って付き合えれば、老人は自らの経験と思いを若者に託せ、希望を未来につなげられますし、若者にしても貴重な体験を手にする機会を得ることが出来、一石二鳥だと思います。
実際歴史的に見れば、社会というのは「村の長老」のように、経験の在る者の知識・モラルを元に、働き盛りの者が監督されつつ働くという体制で成り立ってきたはずです。
しかし近代から現代に近づくにつれ、テクノロジーが社会の構成要素の中枢に居座るようになると、新奇なテクノロジーについていけない老年者は、社会的な地位を喪うと同時に厄介者とみなされるようになってしまいました。
そして今や、先進国において最も解決が困難な問題が、老人とその介護です。
でも、人間社会を生きるには人間力が不可欠であり、その力に最も富んだ人々が老齢者だと思うのです。
やはり人間の経験値を高める最も効果的な学習方法は、経験豊富な人々=老齢者と対話することではないでしょうか。
そういう認識に立てば、老人と付き合うことが、若者にとって勉強になるとか楽しいというような「利益」が有るのだと分かれば、自然と人々は老齢者の下に集まるでしょうし、そんな「師」を決して見殺しにはしないはずです。
結局のところ老人問題とは、社会の中で老齢者を人々が軽んじるという点に根本的な原因を求められるとするなら、この映画のように世代間にレスペクトの気持ちがあれば自然と解決するのではないでしょうか。
映画として地味ですし、物語的にもイギリス的な素っ気なさがあって、ドラマとして盛り上がるわけではないので、映画的な評価としては高く着けられませんでしたが・・・・・・・
それでも、ここに描かれた若者と老人の交流を見ると、昔おばーちゃんと縁側で話していた子供の頃の、ノスタルジックな気持ちが湧き上がり、私のの心を暖かくさせます。
老人で溢れかえるであろう、未来を生きるにあたって、一度ご覧になってはいかがでしょうか。
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