2020年05月11日

映画『川の底からこんにちは』行け!お笑い平成熱血娘!/ネタバレなし簡単あらすじ・感想・解説・「スポ根」と平成

ゆけ!平成『スポコン』娘!!

英語題 Tales of Ugetsu
製作国 日本
製作年 2009年
上映時間 112分
監督 石井裕也
脚本 石井裕也


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評価:★★★★  4.0点



だらけた生活を送るOLが、突然、実家のしじみ工場を経営!
そんなヒロインを満島ひかりが演じ、監督石井裕也の演出力で笑える一本になっております。
しかし、ここには、昭和時代の負の遺産が平成時代にどう姿を変えたのかが描かれているものと愚考します・・・・
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<目次>
映画『川の底からこんにちは』簡単あらすじ
映画『川の底からこんにちは』予告・出演者
映画『川の底からこんにちは』感想
映画『川の底からこんにちは』解説/スポ根と平成

映画『川の底からこんにちは』簡単あらすじ

上京して5年目のOL木村佐和子(満島ひかり)は、適当に仕事をし、彼氏も冴えない職場の上司・新井健一(遠藤雅)と付き合っている。彼はバツイチで娘・加代子(相原綺羅)というコブつきだったが、佐和子は「中の下」の自分の相手としては相応だと思っている。そんなとき、佐和子の叔父・信夫(岩松了)から、彼女の父・忠男(志賀廣太郎)が急病で入院したと連絡が入る。父に代わって、一人娘の佐和子は実家のしじみ工場の経営を求められ、なぜか交際相手の健一は会社を辞め、佐和子の故郷で工場を継ごうと主張する。引きずられるように佐和子も、健一と加代子を連れ実家に帰るが、工場の従業員のおばちゃんたちから冷たい眼を向けられた。経理の遠藤(菅間勇)は工場の経営に危機感を持ち、佐和子に改善を求めるが、経営は悪化の一途をたどっていた。更に健一は、佐和子の幼なじみの友美(鈴木なつみ)と駆け落ちしてしまう。健一の子加代子を抱え、人生の絶望の底で開き直った佐和子は、工場に乗り込むと、自分を無視するおばちゃん達を前に、自らの心の内をぶちまける。その言葉でおばちゃんたちに変化が生まれた―

映画『川の底からこんにちは』予告

映画『川の底からこんにちは』出演者

木村佐和子(満島ひかり)/新井健一(遠藤雅)/新井加代子(相原綺羅)/木村忠男(志賀廣太郎)/木村信夫(岩松了)/高木正樹(並樹史朗)/塩田敏子(稲川実代子)/塩田淳三(猪股俊明)/村岡友美(鈴木なつみ)/遠藤進(菅間勇)/斎藤響子(牧野エミ)/月島さん(工藤時子)/杉山さん(安室満樹子)/中島さん(しのへけい子)/江口さん(よしのよしこ)/腸内洗浄スタッフ(目黒真希)/川上良男(森岡龍)/ギャル(廣瀬友美)/サユリ(山内ナヲ)/モトカ(丸山明恵)/医者(潮見諭)/保育園の先生(とんとろとん)

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映画『川の底からこんにちは』感想


いや〜ワロタwww。

ケッコウべたな設定に、熱血的な解決で、ハナシとしてはオールド・ファッションな感じですが、コメディーって言うのは保守的な設定の方が生きるモンデス。
しかもこの映画のように、シチュエーション・コメディーであればなおさら、べたな古臭いジミーな貧乏たらしい救いの無いドンヅマリのこれでもかというタタミカけが、笑いを生みだすでしょう。

この主人公、駆け落ちして田舎から出てきて、男に騙されてというあたり、昭和の演歌の香りさえ漂う。
しかもその状況の対策が、ひとえに耐えて、熱血でがんばるというのも、かつての肝っ玉かあさんを見るようだ。

その、耐えていつか花咲く的な主人公に引っ張られて、冷めていた周囲もいつしか引きづられて、共に栄光を目指すというのも「スポ根」ものの常道だ。

つまりこの映画は、日本のドラマの伝統に則ったベーシックな作品なのだと思います。
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映画『川の底からこんにちは』解説


そもそも、日本における「物語の原型」は大別すれば二つに分かれる。

一つは平安貴族に端を発する王侯貴族の優美な物語だ。
「源氏物語」に代表されるような、生き死にに関わらない、どうでもよい話であるがゆえに美しくはかない物語だ。

もう一つは、武士階級の伝統に則った、武道・士道の物語だ。
この目標に向かって、艱難辛苦を耐えながら、自らを厳しく律するストイックな武芸物語こそ「スポ根=スポーツ根性」の源流であるはずだ。

そしてまた、その自らを高める一点に向かって全身全霊をこめる「スポ根の熱血」の姿とは、貧しい日本を復興させた高度成長期の男たちの似姿だったろう。
<アタックNo1主題歌>
女の子達も熱血だった!!

たとえば「巨人の星」の星飛雄馬にしても、「明日のジョー」の矢吹ジョーも、はたまたポケモンの「さとし」にしても、遮二無二に自らの望む方向に暴走するだけだ。

それら「スポ根」主人公が成した一種はた迷惑な暴走行為は、「仕事のため」という錦の御旗を盾に、妻や子を置き去りにした団塊の男たちを英雄として描いたものだったろう。
関連レビュー:昭和の団塊世界の家庭崩壊
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しかし、この映画の主人公を演じる「満島ひかり」の姿は、かつての「スポ根」の主人公とは決定的に違っている。

それは、自らを客観視し、過大評価をしていないところだ。
つまりは周りが見えて、その中で自分の力の至らなさを自覚しつつも、自分の置かれている状況が、遮二無二「スポ根」に向かわせてしまう運命にあるということだ。

その状況とは、この映画の中で言えば、死にそうな父親であったり、父に捨てられた娘であったり、主人公が関わるどうしようもない男であったりする。
つまりは、父ちゃんがだらしないから母ちゃんがガンバルみたいな「よいとまけの唄」状態が現出しているのだ。
<三輪明宏『よいとまけの唄』>

それはつまるところ、昭和の男達が築いた高度成長期がバブルの前に、虚しくはじけ、団塊の世代が突然の喪失に茫然自失となった「体たらく」と重なる・・・・・・・
関連レビュー:団塊の男達が喪った楽園
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結局、この映画における「スポ根」が笑いを、それもどこかシニカるな味を帯びているのは、昭和の男たちの負の遺産が産んだ格差「中の下」の女が、高度成長期の男たちの真似をし、後始末をしなければ、現代日本が立ち行かないという皮肉を表しているからに他ならない。

しかし実は、日本の「女の底力」は、昭和の時代からその属性として、密かに力を発揮していたとも思える。
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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