2015年07月05日

アカデミー受賞作『ドライビングMissデイジー』アメリカの軌跡/感想・解説・意味

ドライビング・ミス・デイジー(感想・解説 編)





評価:★★★★  4.0点

最初に見たとき、この人種差別的内容がなぜアカデミー賞なのか理解に苦しんだ。
アメリカの白人達は相変わらず、善良で無垢な黒人という構図に感動するのかとすら思った。
しかし違うと気がついたのがついたのは、何回めだったろう・・・・
この映画はノスタルジーと共に、人権運動の苦難の道を語った作品だと信じる。

『ドライビング・ミス・デイジー』予告動画


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『ドライビング・ミス・デイジー』感想・解説



この映画で語られているのは、1948年から始まって1970年代初頭までのアメリカである。
Film-USA-flag.png
この当時のアメリカ南部は「KKK」に代表されるように、人種差別が公然と行われていた。

その差別を法律によって解消するために公民権法が施行されたのが1966年だった。
しかし1970年代においても黒人たちの解放のための闘いは続くというのが、ざっくりとしたアメリカ社会の流れである。
関連レビュー:人種差別の歴史
『招かれざる客』
黒人と白人の結婚物語
シドニーポワチエの熱演

そしてさらに、アメリカ国内の人種差別は黒人ほど苛烈ではなかったとはいえ、ユダヤの人々にも降りかかっていた。
関連レビュー:ユダヤ人差別の歴史
『紳士協定』
ユダヤ人差別を描いた映画
ユダヤ人差別とハリウッドの関係


そういう前近代的な「人権差別の風潮」がまかり通っていた時代が背景になっていることを踏まえてみると、この映画の年老いたユダヤ人未亡人とその黒人運転手の関係で整理される事実がある。
drivi-poster.jpg
それは劇中で老未亡人ミス・デイジーが「私は人種差別主義者ではない」と言うにも関わらず、彼女は人種差別をしているという事実だ。

そしてこれはたぶん、当時の南部ではこの程度の差別であれば進歩的な白人と言われる範疇なのだ。
逆に言えば差別主義者の差別とは、劇中でも語られるが黒人たちの命を奪うほどのものだという事を意味している。
 
この前提に立つとき、運転手ホークとデイジーの関係がハッキリする。
2人は長い付き合いの間にお互いに親愛の情を感じているし、友情を抱いている。
但しそれは、人種差別の色を含む使用人と女主人の一線を越えない形の中での関係なのだ。
例えば、ディジーがホークを頼りにするようになってからも、デイジーがダイニングで食事をし、ホークはキッチンで食事を取る。

その一線が崩れる事は無い。

つまりこの映画は、当時の社会習慣、体制に縛られている事に気がつかない、2人の登場人物の「悲劇の物語」でもある。
劇中でデイジーが聞きにいった黒人解放指導者のマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉。
「黒人が困難な立場にいるのは、悪意の白人の為だけでなく、善意の白人の無関心と無視による」
これは、人間というものがどれほど無意識のうちに社会体制に縛られ、偏見を生じるかという鋭い指摘である。
マーティン・ルーサー・キング牧師のスピーチ

一般の観察者でさえ全般的に見て、南部は明るい可能性を秘めている。それらの資質にもかかわらず、人種差別は南部全体を教育的、経済的に全米平均に後れを取る原因となっている。しかし、南部の白人には何百万人もの善意があるにもかかわらず、その声はまだ聞こえず、その行動はまだ不明瞭で、勇気ある行為は今だ見られません。これらの何百万人もの人々は、勇気を奮い立たせ、発言をし、必要なリーダーシップを提供するよう求められています。
社会変革の今この時、歴史に残る最大の悲劇は、悪しき人々の狂信的な言葉や行動ではなく、善良な人々の恐るべき沈黙と無関心だと記されている。
我々の世代が悔い改めるべきは、"暗闇の子"の言動ではなく、"光の子"が抱く恐怖と無関心さなのです。

これらの「暗闇の子の言動」も、「光の子が抱く恐怖と無関心」にしても、生まれ育った環境で、無意識のうちにどれほど影響されるかと言う証左でもある。
それは蛇を見たこともない母親の娘が蛇を恐がらなくなり、蝶を嫌う親の下では子も蝶を恐がるようになるのと同様、人は周囲の状況によってどうにでも変化する存在であり、人格とは概ね社会の産物であるはずだ。
関連レビュー:環境と人格の関係
『太陽の帝国』
スピルバーグの戦争と少年の映画
運命の変転に揺れ動く少年

 
driving-pos.jpg
この映画の最後にはデイジーと同じテーブルに着くホークが描かれる。

お互いの人生の終わり近くになって、ようやく同じテーブルに座る事が可能になったのだ。 
もし、2人の間に偏見が無ければ、友情という言葉に値する真の距離を、もっと長期に渡り持てたに違いないのに・・・・・

このアメリカの歴史に対して、アメリカ自身が反省を込めて物語としたのが、この映画であるように思える。
その反省が重く響いたからこそのアカデミー賞であろう。 
そう思えばこの映画は・・・自国の闇の歴史に眼を向け、真摯に反省を述べた作品に違いない・・・・・

誠実に積み重ねた反省ゆえに、未だに完全に人種差罰・民族対立が無くなっていないとはいえ、黒人の大統領が誕生するまでになったのだと信じる。

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しかし実を言えば、この映画の世間の評価を見てみると、人種差別的な部分で評価されていないようで心配です・・・・・・・そこら辺を下で説明させていただきました。
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posted by ヒラヒ at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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