評価:★★★★ 4.0点
この映画は今や巨匠となった、タビリアーニ兄弟の1977年の作品。
月日の経つのは早いもので、もう30年以上も前の作品となった。
この映画で描かれたのは第二次世界大戦が終わって間もない、つまりは70年ほど前のイタリアのサルデーニャ島の出来事だ。
主人公は、6歳にして学校から連れ出され、羊飼いの生活に入る。
そして、父親から殴る蹴るの暴行を加えられながら、羊飼いとして20歳となる。
この前半の描写は強烈だ。
峻厳とした山に、かろうじてへばりついて命をつないでいる姿は、見ているだけでも辛そうで切なくなってくる。
その上、父親の完全な支配化にあって、自らの欲望を果たせるのは動物だけというのは、これが現実として存在したのかと疑いたくなる。
しかし、間違いなく真実であることを考えれば、私はこの父親が採った教育方法以外に、この主人公が生きていく事は不可能であるように思える。
孤独で辛く苦しい肉体労働の日々を過ごすためには、それ以上の辛苦と恐怖があるということを、体に覚えこませる以外ないのではないか。
世界中の軍隊において「しごき」という名の苦痛を味あわせるのは、「死」よりも勝る苦痛によって、命令を守らなければ「死」んだ方がマシだと思い知らせるためだ。
この羊飼いの生活も、そこまで過酷だという事だったろう。
そして間違いなくこの父親も、同様の厳しい教育をその父から受けているはずだ。
しかし、この家族を見てみれば主人公のほかにも兄弟がいるが、この羊飼いの生活をしているのは主人公だけのように見える。
たぶん、この主人公が長男であるがゆえに、家族としての財産「羊」の継承が、一子相伝で成されているのだと想像する。
だとすればこの父親は、この主人公を自らの後継者として期待もし希望も託していたのだろう。
単純にこの主人公を、自らの奴隷として使役したいだけでは決してなかった。
それであればこそ、この父親が虐待に近い行為をしているのを見てなお、どこか拒絶し得ないと感じる。
人は期待をかけた相手ほど、自らの望む場所まで達していないと、殊更に厳しく鍛えようとするのではなかろうか。
結局、親の行使する権力や支配は、親が子に対して望む理想との落差によって生じるのだとこの映画は語っているだろう。
それはこの映画の最も美しいシーン、子が父親の元を離れようと双方が対峙する場面で、明確である。
父は息子を手元に置き、自らの望む男としての人生を歩ませたいと思う。
息子は、なんとしてでも自分の望む場所に向かいたいと願う。
沈黙のうちに、反発と敵意が交錯しつつ、その緊張が頂点に達したとき、息子は父親のひざに頭を垂れる。
そのシーンこそ親は子に絶望し、子は親を裏切った瞬間だったはずだ。
こうして相互の支配関係が終わりを告げたとき、同時に新しい関係性のもと、親子が再生した瞬間でも合ったろう。
こんな厳しくも情愛に満ちたシーンを、私は他に知らない。
この親子関係の厳しさを描ききった、タビリアーニ監督の表現にはイタリアン・リアリズムの影響を感じる。
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