原題 The Artist 製作国 フランス 製作年 2011 上映時間 100分 監督 ミシェル・アザナヴィシウス 脚本 ミシェル・アザナヴィシウス |
評価:★★ 2.0点
ある「様式=スタイル」というものは、その様式によって必然的に導き出される、表現の限界を生じざるを得ない。
例えば絵画という様式は、2次元表現から自由であり得ないし、小説であれば言葉をその表現の基礎とせねばならない。
そしてこの作品は、「サイレント映画」という、現代では捨て去られた表現様式に則って作成された。
映画『アーティスト』予告
ジョージ・ヴァレンティン(ジャン・デュジャルダン)/ペピー・ミラー(ベレニス・ベジョ)/ジャック(アギー)/アル・ジマー(ジョン・グッドマン)/クリフトン(ジェームズ・クロムウェル)/コンスタンス(ミッシー・パイル)/ドリス(ペネロープ・アン・ミラー)/執事(マルコム・マクダウェル)/ノーマ(ビッツィー・トゥロック)/ペピーのメイド(ベス・グラント)/ペピーお抱え運転手(エド・ローター)/見物人(ジェン・リリー)/警察官(ジョエル・マーレイ)/フラッパー・スターレット(ジュエル・シェパード)/競売人(ベイジル・ホフマン)/キャスティング助手(ベン・カーランド)/質屋(ケン・デイヴィシャン)
映画『アーティスト』出演者
第84回アカデミー賞:作品賞、監督賞、主演男優賞、作曲賞、衣裳デザイン賞、5部門受賞
映画『アーティスト』受賞歴
第65回英国アカデミー賞:作品賞、監督賞、主演男優賞、オリジナル脚本賞、撮影賞、衣裳デザイン賞、作曲賞、7部門受賞
第69回ゴールデングローブ賞:作品賞、主演男優賞、作曲賞の3部門受賞
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映画『アーティスト』感想 |
この「サイレント映画」というスタイルは、基本的に言葉を持たないがゆえに、現在のトーキー(音声入り映画)に較べ情報量が制限され、物語の説明が困難だ。
また、役者の演技はパントマイム的に誇張した演技とならざるを得なく、細かな心理描写が困難だったため、定型の物語を語ることになりがちでもある。
しかし、その情報量の少ない中でも、何とか表現力を高めたいと努力した結果、映画にとって命とも言うべき「モンタージュ技法」が発展する事となったと思える。
関連レビュー:近代映画を作ったサイレント映画 『戦艦ポチョムキン』 モンタージュを作ったサイレント映画 エイゼンシュタイン監督の映画史上に輝く古典 |
そもそも、映像と映像の「つなぎ」や「切り替え」といった「モンタージュ技法」とは、ストーリーと情感を映像のみで、如何に効率よく、確実に、迫力を持って伝えるかの試行錯誤の結果としてあった。
したがって、ヒッチコックやチャップリンが「映画の全てはサイレントにある」と言うのは、モンタージュの技術がそこで確立されたという意味で解すべきであろう。(上:チャップリン/下:ヒッチコック)
そしてまた、ヒッチコックやチャップリンの映画を見るとき、たとえトーキーであってもサイレント映画の表現技術が効果的に使われているように感じる。
それは、例えば目線だったり、場面の俯瞰から人物に切り替えて位置関係を整理したり、そして何よりも役者の沈黙で多くを語りえる演出力に感動する。
<ヒッチコック『サイコ』シャワーシーン>
音量をオフにしても、迫力のある映像力に圧倒されるのは、サイレントの習練ゆえだと感じる。
そのサイレント表現には、例えば盲目の人が視覚以外の感覚が鋭敏になるというような、言葉がないが故の映像の強さが感じられる。
それは画家が、色という要素を捨て去った形で、デッサンを繰り返すことにより、形と線の揺ぎ無い姿を習得するのと似ているとも思う。
そんな映像的基礎力というべきものの高さを、この映画「アーティスト」にも期待した。
結果から言えば、個人的には消化不良に感じた。
ここから先は、この映画の悪口とならざるを得ないので、この映画を貶されることに耐えられない方は、この先を、お読みにならない方がよろしいかとも思います。
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映画『アーティスト』解説・批判 |
この映画は確かにチャレンジ精神にとんだ作品だと思うし、作り手としての苦労も十分伝わってくる。
しかし映画として面白いかといえば、面白くない。
なぜ面白くないのかの確認に、何度も見るうちになぜかハラが立って来た。
女優キム・ノバクが、この映画の音楽の使い方を「レイプ」だと言ったというが、その言葉こそがこの映画の本質を言い表しているように思う。
キム・ノヴァクの『アーティスト』批判 |
私は全面的に、キム・ノヴァクを支持したい気持ちで一杯だ。
たとえば物語は、ハリウッド・ミュージカルの傑作『雨に唄えば』を彷彿とさせる。
関連レビュー:ミュージカルの傑作 『雨に歌えば』 サイレントからトーキーへの過渡期を描く ミュージカルの大スター「ジーン・ケリー」の代表作 |
しかしそれは、キム・ノヴァクではないが、かつての名作にストーリーの伝達を「肩代わり」させようという意図にも思える。
本当にここぞというシーンに、かつての映画の断片が現れる。
問題はその引用に愛を感じられないのだ。
いうなれば過去の作品イメージは、この映画『アーティスト』の情報伝達力の不足を補うために、用いられる。
まるで子供が自分の力不足を、親に頼って補ってもらうようなものだ。
立派な大人であれば、年老いた親のために立派な家を建ててやるのが正しい態度ではないか。
本来、過去をリスペクトするとは、いにしえの業績を称え、更にその過去に新しい価値を見出すことであるはずだ。
そんな過去の映画達に対する愛情があるのであれば、ここまで自らの「アーティスト」という映画のために、宝石のような名作のイメージを奴隷的に使役するはずはない。
残念ながらこの作品は「エゴイスティック」な製作者の欲望に支配されているように思える。
そして、実は近年若い映画作家に、この映画同様の「エゴイスティック」な作品が増えていると感じる。
関連レビュー:現代のマニエリスム映画 『グランド・ブタペスト・ホテル』 オールスター出演のノスタルジームービー 監督ウェス・アンダーソンの技巧的作品 |
この映画が持つ月並みなストーリーに、ご都合主義のハッピーエンド。
この監督は、この映画を何のために撮ったのだろうと、問わずにいられない。
少なくともこのストーリーやテーマを伝えたいがために、この映画があるのでないことは明らかだ。
とすれば、残る理由は一つ「サイレント映画」という技法を「もてあそび」たかったのであろう。
それは、サイレント映画としての技術が優れているかといえば、過去の映画の残滓をかき集めたようなこの映画に「サイレントの名作」との評価は与えられない。
がんばって誉めても「サイレント映画のパロディには見える」というところか。
そもそも冒頭でも書いたとおり、ある「表現スタイル」は必然的に不自由さと禁忌を、表現者に強いる。
良心的な表現者であれば、根源的には、その頭の中にあるイメージを、時空間に囚われずダイレクトに、見る者の脳に直接送り込むことこそ理想であるはずだ。
しかし、メディアのテクノロジーがそこまで達していないがゆえに、現状ある表現メディアを選択せざるを得ない。
これはサイレントの時代の表現者も、同様であったはずだ。
表現したい内容があって、しかしサイレント映画しか存在しない。
それゆえ、サイレント映画の表現を可能な限り追求・拡大せざるを得なかった。
その表現と様式との厳しい格闘の果てに、映画の技法が構築されていったのである。
やはりこう整理してみれば、この映画は表現者として人々に訴えるべき何物も持たず、また「サイレント」の技法を追求・拡大して現代的な表現として再構築したわけでもない。
ただ己の「エゴイスティック」な「サイレント映画の玩弄」を観客に見せ付けただけだと感じる。
やはりこれは、映画に対する恣意的な「レイプ」である。
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私もこの映画を観るにつけ、「ペラいな」と感じておりました。
が、その内実までは推し量れずにおりました。
今回、こちらの記事を閲覧させて頂き、その内実をハッキリとした輪郭にて描くことが出来ました。
この映画には、さまざまな「愛」が足りなかったようですね。
もしかしますと、これも「リサーチ主義」ゆえの弊害なのかもしれません。
ということで、
勉強になりました!
&これからも寄らせて頂きますね!
コメントありがとうございます。
無理に読んでいただいたみたいで恐縮です。
この作品が何を伝えたかったのかという基本の部分で、監督の利己的な欲望が先行しているようで、間違っているように感じました。
今後ともよろしくお願い致します。m(__)m