評価:★★★★★ 5.0点
前作のターミネーターは、スピルバーグの「激突」の同工異曲だと思っている。 執拗に機械に追いつめられていく様はそのままコピーだと言っていいぐらいのものだ。
しかし、決定的に違う点が在った。 両映画とも同様に「鋼鉄の非情な怪物」に襲われる恐怖を描いたのだが、 「ターミネーター」の場合 「アーノルド・シュワルツネッガー」が、魅力的すぎたのである。
その魅力の一端を例示してみれば、前作のシュワルツェネッガーは、従来の「マッチョ=低知能な筋 肉オバケ」と言う図式を覆し、「マッチョ=AI的インテリジェンス」のプロトタイプを提示してみせた 。それにより筋肉の鎧は賞賛されるべき個性として見なされ、以降アクションスターのキャラクターが 持つべきものとの認識が確立したと思う。
その証左に、これ以降スターローンをはじめ、アクションスターが一様に筋肉を身にまといだしたのである。 そういう意味ではアクションスターは、ブルース・リー以前と、シュワルツェネッガー以降とに、その肉体の在りようとして大別できると個人的には考える。
いずれにせよ、前作のシュワルツェネッガーは、その異形とアメリカ社会における異邦人としての存在を、恐怖という形で焼き付ける事に成功した。
しかし、それはただの恐怖ではなく、ある種の畏怖と憧憬が入り混じった感情を含んではいなかったろうか?
人は自らの恐怖の内に、弱く愚かな存在としての自己を認識せざるを得ない。
そして往々にして、矮小な己を導く、強く堅固な意志を持った存在を求めるものである。
追い詰められた苦悩の果てに、ついには自らの恐怖の対象物を、その求める救い主として希求している自分を発見するとしても、驚くにはあたるまい。
こういう心的力学を『恋』と呼びはしまいか?
そう、前作においてリンダ・ハミルトン演じるヒロインは恋人とともに、ターミネーターから逃げるうちに、その襲撃者を欲する己を見出したに違いない
その恋人が「未来に生まれる=現在にはいない」幻影だとすれば、彼が力なく彼女の前から消滅するのも必然であり、実際、三角関係と呼ぶのもためらわれる位この「恋人という名の幻影」はヒロインとターミネーターとの間の愛の成就を、妨害する障壁の役目でしかない。
実際「恋人」の死のなんと印象が薄い事か。
それに較べ、ターミネーターの死の荘厳なことは、すでに宗教的な啓示に近い。
それゆえ、確信している。
このヒロインが生んだ、「ターミネーター2」の主人公、物語全体の鍵となる「ジョン・コナー」の父親が「ターミネーター」である事を。 実際的にどういう生体学的な方法を取ったかは知る由もないが、けっして比喩な意味ではなく、前作のターミネーターの目のルビー色が消滅していくシーンに、生命の受け渡しの荘厳さを見出すのである。
その「前作の愛の証し=ジョン・コナー」を、今作では夫婦で育てて見せたにすぎないと思うのだ。
同時にこの物語は、父が子を守るために命を捨てた所で終わるべきだった。
そうすれば、この少年「ジョン・コナー」が電脳世界と生物界を統べる、正統な王座に君臨する輝ける救世主の予兆を表す傑作として完結したのだ。
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