2018年07月15日

中国映画『初恋のきた道』初恋をする自由と経済/あらすじ・感想・解説・近代と恋愛・出演者・受賞歴

近代の通った道

原題 我的父親母親
英語題 The Road Home
製作国 中国
製作年 1999年
上映時間 124分
監督 チャン・イーモウ
脚本・原作 パオ・シー

評価:★★★★    4.0点



この1999年公開の中国映画『初恋の来た道』は、女優チャン・ツィーの瑞々しい魅力に満ちている。
この少女が映画内で初恋に落ちたのは、劇中のカレンダーから1950年頃である事が分かる。
中国の1950年代とは、日本軍を駆逐して中国共産党が毛沢東の指導の下、中国を導いていた時代である。
それは中国にとって長い冬の時代を抜けて、ようやく春を迎えた時期でもある。
そんな若々しい時代の心の動きを「初恋」に仮託し、その華やいだ景色を「チャン・ツィー」に象徴したように思える。

film1-Blu-sita.jpg

映画『初恋の来た道』ストーリー

都会で暮らすユーシェンは、父親の訃報を聞き、遥々母のいる小さな農村へと帰郷した。父はこの村の小学校を40年以上、一人で支えた教師だったが、校舎の建て替えの陳情のために町に出かけた際に、心臓病で急死したのだ。
父の遺体を町からトラクターで運ぶという村長たち。だが、母のチャオディは、伝統通りに葬列を組み、棺を村まで担いで戻ると言い張った。葬列を組もうにも、村の若者は出稼ぎに出て人手が足りない。困り果てたユーシェンは、母と父の、若かりし日の出逢いを追想する。
母のチャオディが18歳の頃に、この村に初めて小学校が建つことになった。町から来た教師は、20歳の青年チャンユーだった。一目ぼれしたチャオディは、自分の数少ない服を、急いで赤から華やかなピンクに着かえた。古い時代のこの村では自由恋愛は稀で、アピールの方法もなかったのだ。
総出で校舎の建築を始めるチャンユーと村の男たち。女たちの役目は家で昼食を作り、持ち寄ることだった。チャンユーが食べるとは限らないのに、心を込めた料理を作業現場に運ぶチャオディ。学もなく、素朴な彼女に出来ることは、水汲みやキノコ採りの際にすれ違うことぐらいだった。
実はチャンユーも、村に着いた時に見た、赤い服のチャオディが目に焼き付いていた。だが、チャンユーは文化大革命の混乱に巻き込まれ、町へ連れ戻されることになった。チャオディに、赤い服に似合うヘアピンを贈り、村を去るチャンユー。
高熱があるのに、チャンユーを探しに町へ行こうとして倒れるチャオディ。二日間、眠り続けたチャオディが目覚めたとき、小学校から授業をするチャンユーの声が聞こえて来た。チャオディの病気を伝え聞いたチャンユーは、連れ戻されるのを覚悟で、許可も受けずに町から戻って来たのだ。
追想から覚めたユーシェンは、町から続く道が持つ母にとっての意味に気づき、村長に無理を言って葬列を組んだ。息子や教え子たちと共に、夫の遺体を村へ連れ帰るチャオディ。都会に戻る前にユーシェンは、建て替えの決まった古い校舎で一度だけ授業を開くのだった。(wikipediaより)

映画『初恋の来た道』予告


映画『初恋の来た道』出演者

チャオディ(チャン・ツィイー)/ルオ・チャンユー(チョン・ハオ)/ルオ・ユーシェン(スン・ホンレイ)/娣(チャオ・ユエリン)

映画『初恋の来た道』受賞歴

第50回ベルリン国際映画祭:銀熊賞 (審査員グランプリ)受賞

Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク



film1-Blu-ue.jpg

映画『初恋の来た道』感想・解説


実際、世界史的に言っても1950年代というのは二度にわたる世界的戦争を経て、新たな世界体制が確立していく時代であった。
road_pos2.jpgこの世界を巻き込んだ大戦は、多大な犠牲を払いはしたが、結局「旧世界」の社会・経済・法律・政治などが「新世界」の秩序に生まれ変わる為に、必然的に持たざるを得ない衝突のようにも思えるのだ。
それゆえ衝突が終息したのち、世界は新たな息吹を勝ち得たのだ。

たとえば、この映画の中でも語られるように自由恋愛というものが、1950年頃には希有な事件であった。
そしてこれは、ただ中国だけのことではなく、日本や他のアジア各国においても、欧州においても、程度の差こそあれ最も「恋愛結婚」の比率が高かったアメリカでさえ、基本的には自由恋愛というよりは制度として「結婚」があったと見るべきであろう。

結局のところ、人類史の長きにわたって「結婚」とは社会を構築するための「制度」としてあった。
結婚して親となって一人前と言われたのは、「結婚」という「家族の単位」を構築していかなければ、社会が成立し得なかったためである。
例えば、かつて子だくさんだったのは基本的には、子供というのが労働力として重要だったからにすぎない。
つまり、結婚とその結果としての「家族=社会構成員」の増加が、社会的な生産力を増大させたのである。

こう整理して来れば「結婚」とは「権利」であるより「義務」としてあったと了解されるはずである。
関連レビュー:結婚制度の見た夢
『いつも二人で』
オードリーの結婚倦怠期
運命の恋の行方

その「義務としての結婚」が「権利としての結婚」にと移行していくには、上記の「生産性と結婚制度」の間の連環が断たれ、個人が自由意思において「結婚」を選択できる社会とならねばならない。

road_two.jpg
実際上、その制度的な破壊は「恋愛」の力や「自由」に向かう意思など、崇高な精神に基づく力というよりは、単純に一つの要因によっていたと思える。

その要因とは、生産性の向上=「経済力」である。
つまり生産性が高くなれば、少人数でも社会を構成する事が可能となり、必然的に「結婚」という制度によって社会の維持を成さなくとも良い。
こうして、生産力の増大が社会制度としての「結婚」を変革せしめたのである。

そして、この1950年代こそ戦争により破壊された世界を再建するために、地球規模で経済活動が活性化された時期だったのである。

そして、経済の進展が間違いなく人々の自由を拡大し得た。
関連レビュー:50年代の社会変化
ジェームス・ディーン『理由なき反抗』

ジェームス・ディーンの世界初の青春映画
メソッド演技の輝き

関連レビュー:50年代の社会変化
『レボリューショナリー・ロード』

1950年代のフェミニズムとアメリカンドリームの行方。
ディカプリオとウィンスレットのタイタニック・コンビの壮絶バトル

そういう意味でこの映画は、人類全体が獲得した「経済力」が、人々に「自由」と「愛」をもたらしたという喜びの姿を鮮烈に捉えている。
なんて事を・・・・・・・
共産中国が生み出したこの映画を見たならば、共産主義の元祖「マルクス」だったら言うでしょうか。

しかし思えば、今はいろいろ揉め事もあるけれども、全世界ミンナで破壊から少しずつ幸福に向かって歩いてきたんだな〜と・・・・・・

そう考えると地球人類を愛おしく感じたりしました。



posted by ヒラヒ at 22:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 中国・香港映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック