2014年10月13日

深夜特急

青春文学の金字塔



評価:★★★★★ 5.0点

何度か読み返しているのだが、読むたびに全てを放り出して、旅に行きたくなる。
危険で魅惑的な本である。

この作品は、路線バスだけを使ってロンドンまで到達できるかという友達との賭けを、実際に著者が実践した旅行記である。
いわゆるバックパッカーの旅行記だ。
しかし著者の目を通して語られる、世界のありようがなんと魅力的で刺激に満ちていることか。

ここにある現実世界と著者との距離、事実とその事実が著者に生成する解釈こそ、沢木 耕太郎のその後著されたルポルタージュの基礎となっているように思う。
そういう意味で、この作品は著者の成立を語ったものでもある。

そしてまた、人が己を確立させる過程を青春とは呼びはしまいか。

この旅行記はそういう意味で、青春の書である。
それゆえ何者になろうかと模索中の世代、人間にとっては劇的な効果を及ぼすのだ。
たしかに、自らの道を探している者にとっては、この本が示した旅という選択肢は魅力的であるに違いない。
結局自らを形成するということは、五感全てを情報に曝し、自らの人間を賭けて現実と向き合い、その体に刻み込まれた記憶を元に、自立的に判断できる人間になるということだ。
そう思えば、効率的な方法であるかもしれない。

しかし、自己確立前の人間にとっては、葛藤や、痛み、苦しみ、悩み、不安という負の要素も内包する。
そのむき出しの状態で知らない土地に立つということは、それ相応のリスクを覚悟すべきである。

また、旅というものが本来的に持つ刺激は、快楽を伴う。
本来、旅というものは目的地に着くまでのモラトリアム=猶予であって、最後には自らの場所に戻って生きなければならない。
しかし旅の刺激と魅力は、往々にして若者をそのままモラトリアム状態に未来永劫留まりたいとの欲求をもたらす。
それは永遠の青春を、永久的な若さを求めることに等しい。
それゆえこの末巻で示されるように、旅は終わらなければならないのに終われないという状態にもなるのである。
それゆえ、この本に手を伸ばす前に、自らの人生にしっかりと「約束の場所」を見据えてから読むことを、老婆心ながら薦める。

そうじゃないと、漂流しちゃうよ。

いずれにしても、作者はこの本の中で、旅という事実を種子とし、若者の持つ痛みや喜びを肥料とする、人生の最も感動的で不安定なある「輝ける時」を描写したのだ。

その結果、青春と呼ばれるべき果実が、まちがいなくここにある。

そしてまたこの本に描かれた果実はいつしか熟し、完成された何者かに変容するための準備であると、その後の著者の作品によって了解されるのだ。



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ラベル:沢木 耕太郎
posted by ヒラヒ at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ノン・フィクション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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