原題 The Lion in Winter 製作国 アメリカ 製作年 1968 上映時間 140分 監督 アンソニー・ハーヴェイ 脚本 ジェームズ・ゴールドマン 原作 ジェームズ・ゴールドマン |
評価: ★★★☆ 3.5
この映画に関しては、舞台劇としての迫力を十二分に堪能しました。
まるで、シェークスピアが現代に蘇ったような、重厚な脚本を元に、名優の誉れも高いピーター・オトゥールとキャサリン・ヘップバーンがガップリ四つで組み合い、迫力を生んでいます。
それゆえ映画を見終わった時には、堂々たる演劇を目にしたような余韻を感じます・・・・・・
<目次> |
映画『冬のライオン』ストーリー |
1183年のクリスマスを目前としたシノン城。愛する末息子ジョン(ナイジェル・テリー)と剣術の稽古をする、イングランド国王ヘンリー2 世(ピーター・オトゥール)の姿があった。しかしヘンリーは後継者争いの渦中にあった。このクリスマスには、彼が家督を譲ろうとしている末子ジョンと、虎視眈々と跡継ぎを狙っている長子リチャード(アンソニー・ホプキンズ)、次男ジェフリー(ジョン・キャッスル)、が集まる事になっていた。また愛人のアレース(ジェーン・メロウ)の居る城に、ヘンリーによってソールズベリー塔に幽閉された王妃アキテーヌのエレナー(キャサリン・ヘップバーン)も来る。更にはアレースの弟のフランス国王フィリップ(ティモシー・ダルトン)も加わり、ヘンリーに仕える忠臣マーシャル(ナイジェル・ストック)は気が気ではなかった。
しかしヘンリーとしては、このクリスマスに自分への反乱が絶えない息子に引導を渡し、王妃秋テーヌの持つ領土を我が物とし、国境を巡るフランス王との確執を解消しようと賭けに出たのだ。
全員が集まったエレーヌ城。
まずは、ジョンを後継者と推す王ヘンリーと、リチャードが嫡子であると主張する王妃エレナーが対立し、積年の憎悪をぶつけあった。
そんな中王妃エレノアは、自らのアキテーヌ領と引き換えに、自らの幽閉を解き、リチャードとアレースを結婚させ跡継ぎとせよと、ヘンリーに求め認めさせた。
ジョン、そしてアレースは激しく抵抗するが、強引に祭壇に誘われる。
しかし、式を前にリチャードやフィリップが激しい口論を繰り広げ、ジョンとアレースも激しく抵抗し、結婚は白紙となる。
その騒動にヘンリーはアレースへの執着を深め、それを悟ったエレノアは屈辱に顔を歪ませる。
翌朝、次男のジェフリーは、王と王妃の助けを得られないと知り、フランス王フィリップと組んで、更に末弟ジョンも仲間に引き込んだ。
また計画が頓挫したエレノアも、フィリップと同盟を結びヘンリーに対抗しようと、リチャードを彼の部屋に行かせた。
フィリップはジェフリーとジョンを隠し、リチャードの言葉を二人に聞かせ、ヘンリー王の家族の確執をさらに煽った。それを知ったヘンリーは、フィリップの悪巧みを知って怒リ詰め寄る。だが逆にフィリップは、ヘンリーにその息子達の不誠実を証明し、彼を絶望させた。
傷心のヘンリー王は、3人の王子たちを勘当することを宣言し、地下牢に閉じ込めた。
今や唯一、愛を感じられるアレースに求婚し、彼女との間に生まれるだろう子供に王国を託す決心をした。
対して彼女は、眼前で繰り広げられた激しい不和を憎み、ヘンリーに3人の息子を処刑するよう求めた。
ヘンリーはアレースの言葉に従い、短剣を握ると自ら地下牢へ入っていった・・・・・・・
映画『冬のライオン』予告 |
映画『冬のライオン』出演者 |
ヘンリー2世(ピーター・オトゥール)/愛人エレノア(キャサリン・ヘップバーン)/長男リチャード(アンソニー・ホプキンズ)/次男ジェフリー(ジョン・キャッスル)/末子ジョン(ナイジェル・テリー)/フランス王フィリップ(ティモシー・ダルトン)/アレース(ジェーン・メロウ)/マーシャル(ナイジェル・ストック)
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映画『冬のライオン』感想 |
さらに、物語を複雑にするのが、ヘンリー4世の妻と愛人であり、この二人は共に領地の継承権を保持しているお姫様です。
そこに、3人の息子=世継ぎ候補と、フランス王が絡むというシッチャカメッチャかのお話です。
で、こんな筋立てを聞いたら、さぞや激しい、大規模な、華麗な立ち回りがあって、さらにセクシーで濃厚なラブシーンが・・・・・
なんて、平成の今を生きる、刺激になれた視聴者の一人である私としては、期待するわけです。
そんなフラチな望みは、スッパリあきらめましょう。
この映画は、そんな低俗な刺激を与える為には存在していません。
この映画は出演者達の力演により、葛藤、欲望、愛、権力、絶望、希望、そして家族の愛憎入り乱れた感情を汲み出して、圧倒的迫力に満ちています。
そして、この迫力はこの役者達の演技力によってしか、表現し得ないに違いありません。
また、その演出も、役者の演技を極力ジャマしないように、たとえばロングで全身が移るようにしたりと配慮しているのが見受けられます。
役者として、演技を勉強しようなんて人には必見ではないでしょうか。
何といっても、出演者が名優揃いなのです!
まずは主役のピーター・オトゥール。
ピーター・シェイマス・オトゥール(Peter Seamus O'Toole, 1932年8月2日 - 2013年12月14日)は、アイルランドの俳優。シリアスで濃厚なドラマから軽妙なコメディまでこなす演技派として知られる。(wikipedia より)
代表作は 『アラビアのローレンス』『おしゃれ泥棒』『ラストエンペラー』 などで、名優の誉も高かった彼ですが、オスカーには縁がありませんでした。
しかしそんなピーター・オトゥールの業績を讃えて、第75回のアカデミー賞でピーター・オトゥールに名誉賞が贈られました。<2003年開催・第75回アカデミー賞名誉賞>
関連レビュー:オスカー受賞一覧 『アカデミー賞・歴代受賞年表』 栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞 授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。 |
そんな大俳優に真正面から挑むのが――
アメリカの大女優キャサリン・ヘップバーン。
キャサリン・ホートン・ヘプバーン(Katharine Houghton Hepburn, 1907年5月12日 - 2003年6月29日)は、アメリカ合衆国の女優。ハリウッド映画史上最も特筆すべき女優の一人である。
2017年現在、演技部門においてオスカーを4回受賞したただ一人の俳優。ノミネート数も、俳優としてはオスカー史上第2位の12回に上る(最多ノミネート記録はメリル・ストリープの20回/2017年1月31日時点)。
『LIFE』誌が1968年、『冬のライオン』の女王を演じるにあたって、彼女を取材した折に「演技の女王が実在の女王を演じたら誰も彼女にはかなわない」と言わしめた存在であり、米国映画協会(AFI)が1999年6月に選出した、アメリカで「最も偉大なる女優50名」では、堂々の第1位に輝いた。(wikipedia より)
関連記事:キャサリン・ヘップバーンのオスカー受賞作 『招かざる客』 人種差別を正面から描いた映画 第40回アカデミー賞2部門受賞の名作 |
この二人から見れば、見劣りする脇役達。
しかし、その1人は若き日のアンソニー・ホプキンズなのです。
アンソニー・ホプキンズ CBE(Anthony Hopkins, CBE, 1937年12月31日 - )は、イギリス出身の俳優、作曲家、画家。『羊たちの沈黙』(1991年)で演じた精神病質のハンニバル・レクター博士の役が高く評価され、この作品でアカデミー主演男優賞を受賞した。その後も続編である『ハンニバル』(2001年)、『レッド・ドラゴン』(2002年)で同じレクター役を演じている。
イギリス政府から1987年にコマンダーに、1993年にはナイトに叙勲されており、名実ともに現代を代表する名優の一人となった。(wikipedia より)
関連記事:アンソニー・ホプキンズのオスカー受賞作 『羊たちの沈黙』 レクター博士とFBI捜査官クラリスの危険な関係 第40回アカデミー賞5部門制覇の名作 |
更には、フランス王を演じたのは、後のOO7俳優ティモシー・ダルトン。
ティモシー・ピーター・ダルトン(Timothy Peter Dalton, 1946年3月21日 - )は、イギリスの俳優。身長188cm。
1968年『冬のライオン』で銀幕デビューを飾った。
1987年、イギリスの大人気シリーズ映画『007』シリーズの4代目ジェームズ・ボンド役として、シリーズ第15作『007 リビング・デイライツ』と 第16作『007 消されたライセンス』に出演した。(wikipedia より)
そんな実力派の演技者の力によって、映画『冬のライオン』(The Lion in Winter)は、アカデミー賞7部門にノミネートされ、主演女優賞、脚色賞、作曲賞の3部門の受賞に輝く高い評価の作品です。
そしてこの作品は、キャラクターの際立った個性と、激しい対立のドラマとしての強さが、この脚本にしっかり埋め込まれています。
その骨太の骨格ゆえ、演劇のスタンダードとしてブロードウェイでキャストを変えながら、今も演じ続けられています。(右:2010年日本で上演の際のポスター)
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映画『冬のライオン』解説 |
なんですが――
実は、私は☆3の評価なんです。
というのも、この映画のもつ力は映画的では無いように感じられたのです。
ちょっと上手く言えないのですが、この演技に依る表現を尊重した撮影方法をすれば、それは映画と言うよりも舞台劇に近くなると思うのです。
そういう意味で、この映画は偉大な演技者の舞台記録として、素晴らしいとは思うものの、映画としての感動を見いだせなかったのです。
この感想は、ミュージカルにしても舞台劇の映画化にしても、オリジナルに忠実であればあるほど、同様の印象を持たざるを得ません。
逆に、思い出すのは、小津安二郎やアルフレッド・ヒッチコック監督です。
この巨匠達は、映画はモンタージュ=「画と画の組み合わせで」語るものだと考えていたようで、役者が演技することよりも、画としてツナギやすい姿が出ていればそれでいいと割り切っていたのではないかと想像します。
映画史上の巨匠ヒッチコックや、日本の名匠小津監督が、俳優に大根と呼ばれるほどの演技者を好んで使ったのは、その方が「映画的=モンタージュ技法」に適しているからだと思うのです。
だとすれば、俳優の演技を大きく取り上げる映画と、記号として使う映画のどちらがより映画的か・・・・・・
関連記事:演劇と映画との関係 映画『ラヂオの時間』 三谷幸喜監督の傑作ドタバタ喜劇 舞台作品の映画的な変換 |
役者の演技は舞台でこそ堪能できるもので、映画的には大根役者であっても、スターとしての輝きこそ求められるのではないでしょうか・・・・
ということでこの映画の☆スターが流れてしまいました。
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以下の文章には 映画『冬のライオン』ネタバレがあります。 |
そこには、3人の息子を助けようと、短剣をしのばせヘンリーに謀反を起こせと説得に来たエレナーもいた。
剣を手にして向い合った親子。ヘンリーはリチャードを斬ろうと剣をふりかぶる。
だが、ついにわが子を斬ることはできない。くず折れるヘンリーを残し、3人の息子はそれぞれの領地へもどって行った。
そして、宮廷のクリスマスは終った。アレースが去り、再びソールズベリー塔に幽閉されるエレナーも、ヘンリーと、2人の奇妙な愛のかたちを確かめ合いながら。去っていった。
映画『冬のライオン』結末 |
あとには人生の冬を迎えたヘンリーが、ほえることを忘れたライオンのように、ひとり川辺にたたずんでいるのみであった。川面をそよ風が渡っていった。
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