2014年09月02日

モリエール 恋こそ喜劇

「恋こそ喜劇」となった時代



評価:★★★★ 4.0点

コメディ・フランセーズの起源、17世紀フランス演劇界にあってシェークスピアに並び称される劇作家、モリエールの若き日の恋を描いたこの一本。

モリ―エールの喜劇「タルチュフ」の本になった、実際の体験があったのではないかとの想定の下、華やかな恋愛模様を描きます。
この恋愛劇は「運命の逆転」みたいに、社交界の虚々実々の駆け引きが、とても面白かったです。
そして、この映画もストーリー全体が「モリエール」戯曲の、古典的味わいを映して典美だと感じました。

どこか軽快で華やかで、人々の生活を描いて滑稽で、俗ではあるけれども野卑ではないというような趣があります。

また、この映画の17世紀フランスの雰囲気が、なかなか興味深かったです。
この世紀のフランスはルイ13世とリシュリューのもと、絶対王政に向かうという歴史的段階にありました。
そしてモリエールを始祖とする今日まで続く劇団「コメディーフランセーズ」もまた、中央集権化の一環としてフランス語のスタンダードを示す役割もあったようです。

そんな、王の力が強くなるこの時代は、同時に富裕商人達が台頭してきた時でもあります。

この映画の主人公「モリエール」の作る喜劇とは、「神や運命と人との関わり」を描く「悲劇」ではなく、「人と人の俗な交わり」を描くものであったのは、王侯貴族以外の人々が力を持ち始めた事と無縁ではないように思えます。
つまり、この映画で描かれたような貴族と富裕商人との恋や、不倫、自由恋愛などは、有力市民が現れた事による社会的変動を基盤とした世相変化だったに違いありません。

そんな、時代の雰囲気も、また、この映画の中に映されているように感じられます。

本来ギリシャの昔から、演劇の本道は「悲劇」であって、「悲劇で無いもの=喜劇」という区分だったようです。
それゆえ、「劇」としての格は悲劇が高く、喜劇が低いという事になります。

この映画では、モリエールも「悲劇」を演じたいと最初は考えるものの、最終的には「喜劇」を選びます。
その理由が「若き日の恋」ゆえだと、この映画では語られます。

これは、モリエールの恋を通して、もはや「神と人間の関係=悲劇」だけでは決して描ききれない、どこか滑稽で辛辣な、しかしそれ以上に崇高な、人と人との関係を描く事が必要とされる時が来たことの証だったでしょう。

そして、それこそ「喜劇」によってしか成し得ない表現ではないでしょうか。

そんなモリエール「喜劇」とは実は「近代」の遼明に他ならないというのは、蛇足に過ぎるでしょうか。

そしてまた、「映画」という近代において最も「大衆的な娯楽劇」の性格を考えた時、モリエールの業績を忠実に描こうとして硬直してしまえば映画表現=劇として弱くなるように思います。
それよりも大胆な空想の中に、その人となり、時代精神を浮かび上がらせる、この映画の方法論こそモリエールの「喜劇」の本質へのアプローチとして正しいものだと思うのです。



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posted by ヒラヒ at 20:00| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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