2014年08月23日

ミート・ザ・ペアレンツ

映画スタンダードの証明



評価:★★★★ 4.0点

ハリウッド映画と日本のマンガって、作り方がよく似ていると、前々から思っていたんですが・・・・この映画を見て確信しました。

両者とも「製作者=作家」の意向よりも、お客さまに楽しんでもらおうという、「お客さまは神様」の思想が、しっかりと基本方針としてあるという事です。

例えば、日本の漫画界は厳しい「編集者=プロデューサー」がいて売れる売れないを、しっかり管理していますし、常にアンケートを取っていて10週人気がなければ連載を打ち切られるという鬼のようなルールがあるようです。

描き手の苦悩は大変なモノでしょうが、それが日本のマンガの世界制覇のクオリティの礎になっている事を想えば、ガンバッテ戦ってほしいとしか申し上げようがありません。

日本マンガ以上に、ハリウッドの作品創りもハッキリ売れる売れないが、判断基準です。

ハリウッドのメジャー作品であれば、売れる企画を考え、その企画を形にする脚本家を下手をすれば5人でも10人でもつぎ込んで、満足のいく(お客に受ける)本にして、監督、俳優を選び、更に出来上がったフイルムを、専門の編集者が編集して、企画者の狙った通りの作品に仕上げると言います。
ですから、監督でありながら「編集権」が無いなんて例はザラだそうです。

これは作家的な監督にとって我慢ならないことでしょうが、現実的なビジネスとして考えた時、何百億もの金を「個人の感性」につぎ込むのは、相当リスクのある事には違いありません。

逆に言えば、ハリウッド映画や日本マンガのように経済的な基盤として、確実に顧客を一定以上満足させる力があって、初めて作家主義的、純文学的な作品の展開が可能になるように思います。

そのために重要なのは、観客の望むモノを確実に掴む客観的な眼です。
この客観視する力は、少しでもその作品の製作に関わった人々は主観が入り甘くなりがちで、どうしても厳しく醒めた評価者が必要な気がします。
実際、プロのベテラン監督であっても「ディレクターズ・カット」という作家目線の作品になると、「オリジナル版(他者の編集)」に較べ面白さが失われるのは、そういう理由によると思われます。

振り返って、日本の映画を考えた時、確実に見る人を楽しませるとなると山田洋次監督ぐらいで、その技術力も彼個人のモノのように感じられます。
映画界全体として、確実に「マス=大衆」を掴める力を制度として作り得ないと、厳しいように思うのですが・・・・

このハリウッド映画のプロが結集した、大衆芸能としての「映画の基礎力の高さ」を証明する一本を見せつけられて、そんな日本映画に対する危機感を感じました。

この「B級」のネタにしかならないような、徹底したシチュエーション・コメディーを展開しながら、軽いコントに陥いらずに、ナニガシかの『魂』がありそうにすら思えるのは、作り手が作品をナメテないからだと感じました。
実際、売ろうと思って売れるモノを作るのは、イチローのヒット・アベレージよりムズかしいだろうと思うのですが、それがしっかり売れるのは、何度も言いますが、その技術力ゆえだと考えます。

やはり、あるメディアのスタンダードとは、あらゆる人々に伝わるだけの技術と方法が必要であり、紛れもなく映画のスタンダードがハリウッド映画(システム)にあるのだと再認識しました。(そういう意味で、マンガのスタンダードは日本の週刊マンガだと思いますが・・・・・・・)

この映画の狙いとして堂々たる傑作を目指していない事は明らかで、その無理に傑作を狙わないがゆえに伝わる「娯楽」を重視していると感じました。

その姿勢に敬意を表しての☆4とご理解下さい。


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posted by ヒラヒ at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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