原題 THE HURT LOCKER 製作国 アメリカ 製作年 2008 上映時間 131分 監督 キャスリン・ビグロー 脚本 マーク・ボール |
評価:★★★★ 4.0点
この映画の題名「THE HURT LOCKER=ハート・ロッカー」とは、アメリカのネイティブでも明確な意味を知らない、軍隊の隠語だと言う。
それは、軍のリンチ「ロッカーに押込め殴打」する行為から端を発した言葉だと言われ、派生的に「棺桶」や「苦境に陥る」「窮地にある」という意味を持つようになったという。
そんな題名を持つこの作品は、イラクを舞台としたアメリカ軍爆弾処理班を描いた戦争映画だ。
ここには、アメリカ軍の兵士たちの「ハートロッカー=窮地」が描かれているのかと想像したが、状況はそう単純ではないと個人的には思うようになった・・・・

<目次> |

映画『ハート・ロッカー』あらすじ |
イラク戦争中の2004年、バグダッド郊外。アメリカ軍の危険物処理班は、路上に仕掛けられた「即席爆発装置(IED)」と呼ばれる爆弾の解体、爆破の作業を進めていた。だが、準備が完了し彼らが退避しようとしたその時、突如爆発を起こす。
罠にかかり殉職した隊員に代わり、新たな「命知らず」のウィリアム・ジェームズ軍曹が送り込まれてきた。安全対策も行わず、まるで死を恐れないかのように振る舞う彼を補佐するサンボーン軍曹とエルドリッジ技術兵は徐々に不安を募らせていく。虚勢を張るただの命知らずなのか、勇敢なプロフェッショナルなのか。彼らの不安とは関わりなく、地獄の炎天下で処理班と姿なき爆弾魔との壮絶な死闘が続く。(wikipediaより)
映画『ハート・ロッカー』予告 |
映画『ハート・ロッカー』出演者 |
ウィリアム・ジェームズ一等軍曹(ジェレミー・レナー)/J・T・サンボーン軍曹(アンソニー・マッキー)/オーウェン・エルドリッジ技術兵(ブライアン・ジェラティ)/マシュー・“マット”・トンプソン二等軍曹(ガイ・ピアース)/ジョン・ケンブリッジ軍医中佐(クリスチャン・カマルゴ)/
PMC分隊長(レイフ・ファインズ)/リード大佐(デヴィッド・モース)/コニー・ジェームズ(エヴァンジェリン・リリー)
映画『ハート・ロッカー』受賞歴 |
ハリウッド映画祭:監督賞、ブレイクスルー男優賞
ゴッサム賞:作品賞、アンサンブル演技賞
第35回ロサンゼルス映画批評家協会賞:作品賞、監督賞
第75回ニューヨーク映画批評家協会賞:作品賞、監督賞
ボストン映画批評家協会賞:作品賞、監督賞、主演男優賞、撮影賞、編集賞
第44回全米映画批評家協会賞:作品賞、監督賞、主演男優賞
第14回サテライト賞:作品賞 (ドラマ部門)、主演男優賞 (ドラマ部門)、監督賞、編集賞
全米製作者組合賞:作品賞
全米監督協会賞:作品賞
第63回英国アカデミー賞:作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響賞、撮影賞
第82回アカデミー賞:作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、編集賞、音響効果賞、録音賞 他

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映画『ハート・ロッカー』感想 |
ベトナム戦争以前と、以後で戦争の進め方を根本的に変えてしまった、ある要素がある。
それは、戦争の映像資料が飛躍的に増大したという現実である。
これは軍関係の撮影者に限らず、各種メディアが圧倒的な物量で戦場を撮りまくり、TVなど電波を通じて放送され続けたことによる。
その映像がアメリカ国内の反戦意識を高め、アメリカ軍がベトナムで負けた原因の一つになったという説も、まんざら有り得ない話ではない位、戦争の悲惨な実態が露になって人々に衝撃を与えた。
なるほど、それ以前の戦争は一種密室状態で、戦場の真実は前線の兵士しか知らず、またその兵士たちも戦場の具体的な体験をあえて言及はしたがらないという現実の中で、為政者が国家のために必要な戦いだと国民に向かって呼びかければ、犠牲を払っている国民は犠牲が大きければ大きいほど、戦争に勝つまで困難を耐え忍ぶに違いない。
しかし、ベトナム戦争の時はジョンソン大統領がアメリカの正義をいかに主張しても、日々流れる戦場の陰惨で、非人道的な現実が嫌でも目に入ってしまいアメリカ国民の戦意を保てなかった。
そしてその反戦の流れは、歴代政府の欺瞞が顕わになった「ペンタゴンズ・ペーパーズ流出事件」により決定的になった。
関連レビュー: 映画『ペンタゴン・ペーパーズ』 表現の自由とペンタゴン・ペーパーズ事件 ワシントン・ポストのニクソン政権への挑戦 |
結局、どれほど偉大で高邁な理想を掲げた所で、戦場の下卑た、陰惨な現実が露見してしまえば、人間は戦争それ自体に忌避感を持つのだという、自明の理を証明したにすぎない。
それゆえ、第一次湾岸戦争においては厳しい報道管制・検閲がアメリカ国防省によって成されたのは、ベトナムの二の舞を未然に防ごうという表われである。
しかし、第一次第二次湾岸戦争とも、政府がどれほど情報を制限しようと、インターネット・ネットワークと情報機器の進化は、すでにアメリカが総力を挙げて阻止しようとしても、コントロール不可能な状況になってしまった。
それは、情報が既に一人立ちして、誰かの手で統制できない怪物にまで育ってしまったことを意味するのだろう。
そしてまた、ありとあらゆるメディア機器によって記録された戦争・戦闘映像を見るうちに、人々にある種の視覚的な同調性をもたらす事となった。
すなわち、戦争のリアルなドキュメントタッチの映像として、いくつかの特徴を現代人は無意識のうちに手にしている。
それは、画質の悪い映像であったり、手持ち撮影であったり、一台のカメラがカットなしで撮影し続けるシークエンスであったり、走査線の走るモニター映像であったり、小型CCDの画像であったりする。
<イラク戦争・夜間戦闘の実戦映像>
いずれにしても、現代では、視覚的映像イメージとは実際の肉眼で入ってくる情報よりも、メディアを通した情報イメージの方が圧倒的に多く、従って現在の「リアルな視覚体験」とは映像機器を通した画像こそ、真実=リアリティを持つものであろう。
この映画は、特に戦闘場面でこのドキュメントタッチの映像リアリティを効果的に使用し、戦争の生々しい現実と観客が思えるように上手く撮影されていると感じた。
これは、一つには資金的な問題として、限られた安い資材で撮影をしなければならなかったという事情を、逆手に取ったものであったのではないかと想像する。
しかし、結果的に見る者にリアリティーを感じさせ得るのであれば、その映像表現は素直に賞賛すべきことだろう。
関連レビュー:映像表現のリアリティー 映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』 POVと映像のリアリティー ホラー映画の革命を生んだ歴史的作品 |
そしてこの「リアルな視覚体験」によって、語られるストーリーもまた一種変形した戦争だと感じた。
たとえばこの映画の主人公は、冒頭のテロップで流れるように「戦争中毒者」であり、戦争の危険を自ら求めて、故意に危険度を高める方向にすら行動する。
それは、過去の戦争映画でも、戦争の影響によって精神的に異常をきたす主人公は居た。
しかし、それは明らかに現実生活を営めないほどの異常であり、それは戦争という過酷な現状で大きな傷を負った個人の象徴であった。
一方この主人公はどうか?
しかし、この映画の主人公はどうだろう。
この主人公をして異常者とは言えまい。
彼は確かに、喫煙者がニコチンを欲しがる如く「危険」を欲して止まないかもしれない。
しかし、例えば「タクシードライバー」の主人公のように、一般社会で狂気に陥るほどの精神的崩壊をしていないのは、帰国した家庭生活を退屈しつつも受け入れている点からも明らかだ。
また、彼の性格が破綻者として描かれていないのは、イラクの少年に対する情動や、人間爆弾とされたイラク人に対する言動から、読みとれると感じる。
だとすれば、この主人公の意味する「危険中毒」とは何か。
単純化して言えば、この主人公は例えばカーレーサーや冒険家の如く、精神的にコントロール可能な状態で「危険=リスク」を、楽しんでいるのだとしか思えない。
こう考えてきて始めて、真に異常な「モノ」が何だったのか気づかされる。
それは、アメリカにとって現代の「戦争」が、誤解を恐れずに言うが、一種スポーツ行為に準ずる「危険」にまで制御されているという事実だ。
これは、かつて、命がけで相手を倒してきた戦争から比べて、本当に異常な状態だと言わねばならない。
例えば過去の戦争は、ベトナム戦争も含めて、まだ人間同士の戦いだった。
しかし、ここで描かれた戦争は、「テクノロジー=戦争兵器技術」と「生身の人間」の間で交わされた戦争であるように思う。
このアメリカ軍の圧倒的武力を盾にして戦うならば、アメリカ兵のリスクは最小限にとどまるに違いない。
<アメリカの戦死者の比率:Nicholas Hobbes著「Essential Militaria」より>
• 第2次世界大戦(World War II) 1.8%、56人に1人
• 朝鮮戦争(Korean War) 0.6%、171人に1人
• ベトナム戦争(Vietnam War) 0.5%、185人に1人
• 湾岸戦争(Persian Gulf War) 0.03%、3162人に1人
それゆえ、この兵士=主人公のように、危険を楽しむ「ゲーム」的余裕が生じるのであろう。
これはもう、TVゲームの世界と極めて近接した、現実の戦争だといえるだろう。
アメリカ軍はこの戦争テクノロジーを、今後さらに高度にしていくだろう。
そうすればますますアメリカ軍にとって戦争は、安全で清潔なイヴェントと化していくに違いあるまい。
この映画が語っているのは、そういう異常な戦争と、その戦争によって作られた従来にない兵士の姿だと感じた。
アメリカが引き起こした戦争のこの異様な姿こそ、世界にとっての「ハートロッカー=窮地」であると思えてならない。
しかし、それは私の個人的な印象に過ぎない。
監督の意図は戦地の米兵の「ハートロッカー=窮地」を描くことだったと思われる。
<第82回アカデミー賞・監督賞スピーチ> |
プレゼンターはバーブラ・ストライザンドで、受賞作は『ハート・ロッカー』。
【キャスリン・ビグロー受賞スピーチ意訳】これは本当に、ああ、言い表すことができません。生涯で最高の瞬間です。まず第一に、この素晴らしい力に満ちた、我が親愛なる候補者の仲間に入れて、その力に満ちた映画作家達が、何人かは何十年もの間、私を触発してくれました。私は彼らを称賛します。そしてアカデミー会員の皆様に感謝します。これは、繰り返しますが、生涯最高の時です。
私は、もし、人生の危険を冒しページを紡いだマーク・ボールの勇敢な脚本がなければ、ここに立てませんでした。私は幸運なことに、ジェレミー・レンナー、アンソニー・マッキー、ブライアン・ジェラティなど優れた出演者によって、脚本に命を吹き込めました。そして、私は監督業の秘密は、共同作業にあると思います。そして私は、私のスタッフ、バリー・エイクロイド、alleJúlíusson、ボブ・ムラウキー、クリス・イニス、レイ・ベケット、リチャード・スタッツマンという、本当に協調性に富んだ素晴らしいグループを得ました。そして、また共同プロデューサーのグレッグ・シャピロとニック・シャルティエ、そして私のすばらしい代理人ブライアン・シベレルに感謝します。ジョーダンの人たちは、私たちが撮影していたとき、とても親切でした。
そして、私はこれを、イラク、アフガニスタン、そして世界中で日常的に命を危険にさらしている、軍に属する女性と男性に捧げたいと思います。彼らは家に帰れば安全でしょうか?ありがとうございました。
再び言うが、この監督の意図としては、戦地のアメリカ兵の痛みを訴える「愛国的」作品として製作されたものに違いない。
しかし、作品自体が内包する現代戦争の異常さと、その異常な環境下で兵士たちが「日常不適合」へと陥る現代戦争の異様な姿に、敢えて誤読し作中の「反戦メッセージ」を読み込み、この評価とした。

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映画『ハート・ロッカー』解説アメリカの戦争とテロの拡大 |
ここからは、この映画が語らない戦争について言及したい。
そして、それは概ねアメリカ映画で語られない事実でもある。
それは、敵の存在だ。
関連レビュー:アメリカはベトナムで誰と戦ったのか? 『プラトーン』 オリバー・ストーンの自伝的物語 ベトナム戦争の敗北の真実 |
例えば、ベトナム戦争におけるベトナム兵や、湾岸戦争におけるイラク兵、対テロ戦争におけるテロリスト達。そんなアメリカ兵にっとての敵を描くことが、アメリカ映画では本当に希薄だと思う。
その理由を考え続けているのだが、アメリカが自国の価値観が正しいと信じているからだという理由しか思い浮かばなかった。

つまりは、アメリカが正義であり悪を倒す。悪が倒れた後には、正義が栄える。そう思っているのでは無いか。
だから「敵=悪者」以外に描写の必要を感じていないのだろう。
それは9・11の事件を扱った報道や映画を見るにつれ、テロリスト達も命を賭けてアメリカに「No」を叫んだのだという事実を、なぜ考えないのかという疑問にも通じるものだ。
アメリカは、世界一の経済力を持ち、他と隔絶した軍事力を保持し、中国に急迫されているとは言うものの他国に比べ圧倒的に資源を消費している国だ。この人口3億2千万人の国は、全世界人口67億の約5%にすぎない事を考えれば、どれほど不均衡が生じているか分かるはずだ。アメリカこそ世界の不幸の元凶だと思う人々がいても、なんの不思議もないと思う。
そのアメリカが正義を振りかざして、とても太刀打ち不可能な軍事力ともに自国に攻め込む。
しかも、正義の陰に、例えば湾岸戦争であれば、石油権益というように、アメリカの利益を追求している以上、対戦国はアメリカに侵略されたと感じて当然だ。
考えてみれば、イスラムのテロリストたちの闘いは、ナチスドイツの軍政下の、フランスや欧州諸国で戦われた「圧政に対する抵抗=レジスタンス」の闘いとどこが違うのだろうか。
レジスタンは賞賛され、イスラム教徒の抵抗は「テロ=語源は恐怖」と言われることの背後に、その民族的抵抗の闘いを恐怖だとみなす敵がいることになる。
つまりは、フランスのレジスタンスは、ナチスドイツにとってテロリズムだった。
同様に、イスラム教徒たちのレジスタンスは、敵対するアメリカを筆頭とする西洋キリスト教諸国にとってテロリズムとして見えるに過ぎないのではないか。

しかも何度も言うようだが、混乱の元を探れば中東諸国の領内に、石油などの資源を求めて西洋諸国が侵食していった事が原因であり、更にはアメリカ社会に強い影響力を持つユダヤ人達の力もあり、イスラエルに肩入れしている不公平さが、イスラム教徒の怒りの火に油を注いでいるのである。
公平に見て、中東諸国から富を奪ってきた西洋諸国が、それらの国から嫌われるのは当然で、更にその権益を拡大させようとするアメリカの振る舞いを見れば、それらの国の人々が義憤に駆られるのも当然だと思う。
テロリストと呼ばれる抵抗者達は、自らの民族の困難を見て、止むを止まれず圧政者達と戦っているのだ。
圧倒的な武力を保持する強大な敵に向かって、彼らの命をかけて「正義の闘い」と信じ参戦せざるを得なかったとすれば、そうさせた敵こそ糾弾されるべきではないだろうか。
いずれにしてもアメリカが正義を振りかざし、敵を悪者だと決め付けて、自己批判なしに戦い続けるならば、相手は益々アメリカの独善的で欺瞞的な戦いに反発せざるを得ない。
なるほど米国の軍事力を行使すれば、力ずくで自分の主義主張を押し通すことは可能だろう。

先にも述べたように、もはやアメリカ軍は敵=人間と戦っているはけではなく、戦争テクノロジー上に表示された記号=レーダーに映る点の如き存在、を相手にしているのだから。
しかしその時、標的にされた人間は「アメリカ」を許すだろうか。
彼ら生きた人間が、戦争ゲームの記号として殺されて行く時、殺された者はもちろん、その周囲の人々も決してそのゲームのプレーヤー=アメリカを許さないだろう。
この映画でも語られているように、圧倒的な軍事テクノロジーの鎧に身を守られて、少しでも危険だと見ればすべて除去=殺傷し、敵に顔さえ見せず嵐のように弾丸を振りまくアメリカ兵を見て、殺される側が彼ら米兵を許せるはずがない。
しかし許せないとは思っても、現実的にアメリカ軍の武力を見れば、国家対国家として戦うことは最早不可能だ。
従って、侵略に納得してない人間は個人(テロ)で戦うしか、残された道はない。
その結果生じた、対テロ戦の実態がこの映画の中で垣間見られる。

そこは民間人とテロリストの区別がつかない市街地で、異民族が対峙する緊張状態の中、些細なことで民間人殺人が起こって当然だ。しかもアメリカ兵は先にも述べたように、自らを可能な限り安全な状態に置くことに躊躇はない。
それは、怪しい相手は全て殺すという事だ。
殺された側は、民間人は勿論、テロリストだって、こんな不公平な戦いを絶対承服しない。それゆえ、自爆テロのように自らの命を投げ打っても戦うのだ。
そしてテロを仕掛けられれば、この映画でもわかるように絶対に根絶できない。隣に座っている人間が、自らの体内に爆弾を埋め込んでいるかもしれないのだ。
見分けることも防ぐことも、完璧には不可能だ。
相手は命をかけて、戦っているのだ。
しかし、アメリカはテロ行為で自国の人や物が傷つけられれば、悪いのはテロリストであると一方的に断じ、更に強力な戦争テクノロジーを開発し力で封じ込めようとし続けるだろう。
そうなれば行き着く先は、テロリスト、テロリストらしき者を全て殺戮にかかることとなる。
そしてその強力な軍事力で殺せば殺すほど、ますますアメリカはテロリストを生み続け増やし続ける「悪循環」に陥るだろう。

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映画『ハート・ロッカー』解説アメリカの戦争と日本の関与 |
そして、さらに話は転じる。

アメリカが対テロの泥沼に嵌るのは、まだ彼らが信じる正義ゆえであれば、決して引けない戦いであるかもしれない。
されにいえば、テロリストの標的はほぼアメリカであってみれば、戦わなければ被害がますます大きくなるという恐れもあるだろう。
しかしこの映画のテロ戦争の実態を見たうえで、戦えば戦うほどテロリストを生み出すこの戦争に、自らの正義を賭けているわけでもなく、アメリカに対するおべんちゃらや義理立てのために参戦するかもしれない国がいるとしたら、真に国益を考えているのか疑問に思う。
この泥沼に一歩足を踏み入れたら、テロリストの標的として、いつ敵が攻め込んで来てもおかしくない。
仮に原子力発電所を持つ国であれば、テロリストが小型飛行機で爆弾を積んで飛来するだろう。
人通りの多い都市の真ん中で、すれ違った人が急に爆発し、止まっている車が爆発する。
その対象国が日本だとしたら、テロリストは易々と国家機能を壊滅状態に陥入れるに違いない。
政府官公庁は、体内に爆弾を埋め込んだ人間の侵入を100%防げるだろうか?
時速200Kmで突入してくる、爆弾を満載したトラックをどうにかできるだろうか?
政治家は通り過ぎる一瞬に暗殺される恐怖に耐えられるだろうか?
そんな対テロ戦のリスクを負ってまで、集団自衛権を行使するというのが、真に国民にとって利益なのか、政治家ならば真剣に考えるべきだ。
いい加減、日本政府は将来的に望む軍事的戦略を明確にし、そのリスクを開示し、国民に真の選択を問わねばならない。
政府が海外派兵を望むのなら、そう公表すべきだ。
そして国民に問うべきだ。

しかし、政府はこの問題となると途端に欺瞞と曖昧に逃げ込もうとする。
たとえば、PKOは「平和維持活動」と訳されている。
しかし、本来の言葉は「 Peacekeeping Operations」で「平和維持作戦」が正しく、つまりは軍事ミッションなのだ。
だからこそ、その任務に当たるのは国際連合平和維持「軍」が担うのである。
国連という錦の御旗は有るものの実質的に、戦地、紛争地帯で軍事活動に従事すると言うのが本来的な意味だ。
しかしそういえば、国民の忌避は必至だと考えた「時の日本政府」は、「平和維持活動」という平和的に聞こえる言葉を生み出したのだ。
だが、こんな国民を誤魔化すような態度を、いつまで取る積もりなのかと問いたい。
主権在民であるならば交戦権の行使は、国民が決めるべきことである。
それを民主主義と呼ぶのではないか。

つまるところ、現在も世界中で戦争・紛争が続いていて、たぶん止むことはない。
その衝突が繰り返される根本的な理由は、世界の民族間や人種間の不均衡が是正されないからだと思えてならない。
その不均衡がなくならない限り、命を捨ててでも「NO」を叫ばなければならない民族や、個人がいなくなることはないだろう。
そう思えば、本来この世界に日々生じている、戦争や紛争を終わらせる道はひとつしかないと思う。
アメリカが代表する先進諸国が占有する、世界の資源と利益の分配の不合理が戦いを生んでいるとすれば、貧富の格差を是正しどの国も公正に競争が可能な世界を構築する事だ。
その財源は先進国が軍隊を廃棄し、たとえば国連が、その軍事費を貧しい国に責任を持って分配すればいい。
そのためには、まず、最も不公正で在りながら力で自分の正義を押し通すアメリカ自らが、まずその過ちを認めることから始めてもらわなければならない。
それ以外にこの戦争を内包した世界の、彼岸に至る道はないと信じる。
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