原題 The Godfather 製作国 アメリカ 製作年 1972 上映時間 177分 監督 フランシス・フォード・コッポラ 脚本 フランシス・フォード・コッポラ、マリオ・プーゾ 原作 マリオ・プーゾ |
評価:★★★★★ 5.0点
この映画のもつ、重厚な骨格と品格に打たれる。
しかし、発表当時より犯罪組織イタリアン・マフィアを好意的に描きすぎる、これは「暴力礼賛」だとのの批判を受けていた。
しかし、その過激な暴力とマフイア礼賛には、必然的理由があったとも思える・・・・・

<目次> |

映画『ゴッドファーザー』簡潔あらすじ |
ニューヨーク・マフイアのドン、ビトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)の娘コニー(タリア・シャイア)が結婚し、華麗な結婚披露宴が開かれている。長男のソニー(ジェームズ・カーン)、次男のフレド(ジョン・カザール)、養子となったトム・ハーゲン(ロバート・デュヴァル)、ベトナム戦争から戻った三男のマイケル(アル・パチーノ)と、恋人のケイ(ダイアン・キートン)が揃って写真に納まった。
しかし、コルレオーネ一家は過酷なマフィアの抗争に突入し、ドンは襲撃を受け病院で生死の境をさまよう。ファミリーの危機に、犯罪に関わらなかった3男マイケルも、銃を取り敵を射殺した。しかし敵の反撃は、シシリーに逃げたマイケルの身辺に迫り、長男ソニーも殺されてしまう。傷の癒えたビトーは、それを知って、マイケルを守るためニューヨーク5大ファミリーと手打ちをすると、マイケルにドンの座を譲り引退した。そしてマイケルの戦いが始まる・・・・・・


映画『ゴッドファーザー』予告 |
映画『ゴッドファーザー』出演者 |
ヴィトー・コルレオーネ(マーロン・ブランド)/ マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)/ソニー・コルレオーネ(ジェームズ・カーン)/フレド・コルレオーネ(ジョン・カザール)/トム・ヘイゲン(ロバート・デュヴァル)/ケイ・アダムス(ダイアン・キートン)/コニー・コルレオーネ(タリア・シャイア)/サル・テッシオ(エイブ・ヴィゴダ)/マクラウスキー警部(スターリング・ヘイドン)/アポロニア(シモネッタ・ステファネッリ)/カルロ・リッツィ(ジャンニ・ルッソ)

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映画『ゴッドファーザー』感想 |
家族の頂点に立ち、あらゆる事柄に絶対的決定権を持ち、同時にすべての責任を負うのである。
マーロン・ブランド演じるドン、ヴィトー・コルレオーネは、家長であった。
イタリアからアメリカ合衆国への移民は、1880年代に故国で居場所を失ったか、貧窮のため仕事を求めて海を渡った者たちだった。
イタリア系アメリカ人(イタリアけいアメリカじん、英語:Italian American 、イタリア語:Italoamericano )は、イタリア出身者かその子孫で、アメリカ合衆国の国籍を持つ人々のこと。
他のヨーロッパ系移民に比べてイタリア系移民は比較的少数派であり、合衆国の人口全体の約5.9%にあたる1780万人ほどである。
多くは1880年代からの移民である。イタリア統一が達成された後、その母体となったサルデーニャ・ピエモンテ王国の人材(ピエモンテ閥)を中心とした統治体制において、旧両シチリア王国に属したイタリア南部や島嶼部の住民は冷遇される日々を送っていた。ブリガンタッジョと呼ばれる南部での反乱や山賊行為に対する激しい鎮圧を経て、一層に困窮したナポリ地方やカラブリア半島、シチリア島の人々を中心に北米への大規模移民が始まった。(wikipediaより)
当時のアメリカ社会において、イタリアからの移民は貧しく英語もしゃべれない、最下層の厄介者とみなされていた。
それは現代日本における、アジア圏、南米諸国からの出稼ぎ労働者に対する、日本人視線とどこか共通するものかもしれない。
それは、現代アメリカでも生じている、マイノリティーに対する蔑視でもあるだろう。
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彼ら当時のイタリア系移民者は、周囲の冷たい視線から逃れ、必然的に社会の片隅により固まり、従来の住民たちに邪魔にされながら生きていかなくてはならない。
しかもイチかバチかの活路を移民に求めた彼らは、自らの国で貧困に喘いでいた者が多かった事を考えれば、たとえアメリカに渡った所で、やはり経済的な困窮から逃れられるはずもない。
しかも遅れてアメリカに来た彼らであれば、割のいい仕事はもちろん、警官や消防士など、当時は汚れ仕事と見られた職業すら、最早残っていなかったのである。
同時期にアメリカに渡った、ユダヤ人達はスキマ産業を求めて、当時は下等な仕事と見られていた映画産業に活路を見出しハリウッド映画産業を隆盛に導く成功を収めた。
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そしてイタリア系移民が見出した、そんなスキマ産業が密造酒づくりなど非合法な犯罪シンジケートだったのである。
遅れてアメリカ大陸に到着したマイノリティーである彼らが、生きるために、家族を守るため、法を犯すことも厭わず、必死で活路を求める中でドン・コルレオーネは生みだされたのだ。

そう考えるとき、マフィア同士の抗争というのは、少ないパイの奪い合いをせざるを得なかった、イタリア系移民たちの哀しき、共食いだったに違いない。ヴィトー・コルレオーネはドン・コルレオーネに、なりたくてなったのでは無い。
家長の責任として、ファミリーを守るため、否応なくドン・コルレオーネに、ならざるを得なかったのである。
では2代目のドン、マイケルはどうであったろう。
マイケルもファミリー守るために、戦わざるを得なかったのだろうか?
私にはそうは思えない。
組織が拡大しても、家族は一人また一人と消えていき、紐帯は弱くなり続ける。
反面、支配する者とされる者の権力構造だけが、強くなっていく。
結局、マイケルは父親のように偉大な家長になる事に失敗してしまった。
たぶん、マイケルが愛し憧れていたのは、偉大な父だったのだと思う。
愛する父に近づき、父を越えようとしてあがき続ける姿は、痛々しくすらある。
そして、このマイケルの失敗=「現代社会における家族という紐帯の脆弱性」は、「家族の結びつきの強さと、貧困・苦難が比例する」という図式が在るとすれば、現代の平和で裕福な社会においては、必然的に家族という集団自体が、相対的に価値を喪失していかざるを得まい。
すでに「家長」と言う言葉を聞かなくなったのも、そんな理由によるだろう。
この「家長」に代表される「家族の紐帯」に、最もノスタルジーを持つ者達こそ「イタリア人」であると、一本でもイタリア映画を見れば納得するはずだ。
イタリア系アメリカ人のコッポラ監督は、イタリア映画の伝統にのっとった映像と、音楽をことさら印象付ける事で、過去の家長と格闘する、現代の父親達の悲哀を描いたように思える。
また、世代を経るにつれ「家族」が失われていく様は、アメリカに生活していく中で故郷「イタリア」を喪失していく悲しみをも、同時に表しているのではあるまいか・・・・・・
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映画『ゴッドファーザー』解説暴力礼賛の批判に関する考察 |
しかし映画というメディアが、世界に登場するとほぼ同時に『大列車強盗』など、犯罪者を描いた悪漢映画とも呼ぶべき作品が人気となった。
大衆芸術としての映画は、西部劇のアウトローや、ギャング映画を、ドル箱として成長して来たのである。
<『大列車強盗』予告>
特に禁酒法の影響から、密造酒で潤うアル・カポネに代表されるマフィア・ギャング達が、激しい抗争を現実に繰り広げていた時代には、ワーナー・ブラザースは、そこに眼をつけ数々のギャング映画を製作しヒットを飛ばした。
その当時に人気だったギャング・スター俳優に、エドワード・G・ロビンソンや、ジェームズ・キャグニーやポール・ムニ、ジョージ・ラフトなどがいる。
<ジェームズ・キャグニー『民衆の敵』予告>
しかし、それらの悪漢映画にしても、最後には「勧善懲悪」が描かれ、悪が滅びるストーリーとして語られていた。
そんな悪が滅びる物語ながら、1930年代のギャングを主人公に据えた映画に対し「暴力礼賛」の批判が浴びせられた。
その声を反映して、アメリカの映画倫理規定「ヘイズコード」の制定により、公序良俗に則った「勧善懲悪」の度合いは更に強められ、ギャング映画は姿を消す。
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実際、「ヘイズコード」が有名無実となる1960年代までは、悪人や犯罪、更には恋愛描写であっても、刺激的な表現には様々な言い訳を用いたりしたのである。
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その「ヘイズコード」が効力を喪った事の背景には、TVが登場し映画自体の興行収入が落ち込む中、海外の映画が、例えばイタリアのマカロニ・ウェスタンなどが「暴力的」で「反モラル」表現でヒットを飛ばしていたことが、ハリウッド映画界の危機感をあおり規制を緩めざるを得なかったと言われる。
そんな、アメリカ映画界に規制が弱まった時に登場したのが、アメリカン・ニューシネマだった。
その映画の旧来の「倫理観」に捕らわれない、新たな作品群の登場は、映画が「万人の娯楽」の座をTVに明け渡し、特定の観客にターゲットを絞ったことの必然だった。
そして、ハリウッド・メジャー・スタジオに取って代わって、新たな映画を産み出したのは、独立系プロダクションのTV出身のクリエーター達だった。
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その暴力や反社会的な主張を含んだ新たな映画は、ベトナム戦争が重くのしかかる、ティーンエイジャーや20代の絶大な支持を得る。
そうしたアメリカ映画界の状況下で登場したのが、この『ゴッドファーザー』なのである。

そして、この反社会的な暴力集団の映画は、アメリカン・ニュー・シネマの観客層を越えて、広い世代にアピールした。
その要因を上げれば、まずは血なまぐさい暴力シーンの過激さが有るだろう。
それは、アメリカン・ニューシネマの開幕を告げる『俺たちに明日はない』のラストシーンが、何度も繰り広げられるような凄惨なものだ。
その過激な暴力と、反比例するような家族愛の崇高さを描いている。
そのアンビバレンツなメッセージとは、考えてみれば当時のアメリカ社会の現実を反映したものだとも思える。
この映画の暴力は1972年当時のベトナム戦争という暴力行為を思わせるし、その家族愛とは国家愛を想起させる。
ベトナム戦争を続けるべきか、辞めるべきかを巡り、アメリカ国内は分断され、更には「公民権運動」を巡り人種間対立も増していた。
その内患外憂の状況は、まるで敵に取り囲まれたコルレオーネ・ファミリーそのものではないか。
そして、映画の中でドン・コルレオーネは言う「お互いに子供たちを喪った。これ以上血を流すことは止めよう」と・・・・・
それは、自国の若者たちの命をこれ以上散らすのかと、暗に諫めているように響く。
この映画が製作された3年後の1975年に、ベトナム戦争は終結する。
しかし、その子供マイケルが繰り広げる戦争は、家族とその誇りを守るためというより、自らの利益のためであり、それもアメリカ社会のその後の戦争を反映しているように思える。
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