個人的な評価:★★★★★ 5.0
ときどき写真という技術がない世界を想像する事がある。
写真がない世界であれば、画家たちは具体的なモノ(物象)を正確に写せば事足りた。
しかし写真という技術のおかげで、熟練の画家達と同様の具象画像(写真)が世に出回り、困った画家達はカメラでは写す事の出来ない、絵画の新たな地平、キュービズム・フォービズム・そして純粋抽象へと進まざるを得なかった。
同時に抽象画が切り開いた、画像と概念の新しい関係は、人間の思考自体を変える事となった。
すなわち、線と色を元にして2次元上に描かれた一見何も具体的な事物を表していない図画が、人間意識の深部にある何者かを刺激し、また表現する事が可能だという発見である。
この発見は同時に、具象であってもその中に抽象的な概念が、潜み隠れている事を意味するであろう。
そして、具体的な何者かに見えたとしても、その形象の構成物としての色と形は、抽象的な無意識の訴求力を秘匿している事に、近代を迎えた人々が気づいてしまった。
具象の持つ無意識世界の仮託、その最も直截な例が夢である。
このフェリーニによって紡がれた映画は、その具象と抽象の間で展開される心的表象のせめぎ合い、現実世界に潜む夢幻のイマージュを定着して見事である。
現実の世界と幻想の世界が混然一体となり、具象物の中に潜む抽象的な刺激が、見る者の深層に少しずつ少しずつ棘のように突き立つのである。
その棘の集積は、見る者の意識を映像に呼応して共振する鋭敏な地震計のような、ただ剥き出しの感性・受容体の化身へと変えてしまうに違いない。
そしてついに映画の鑑賞者は、その折り重なる映像イメージに絡めとられた操り人形と化すのである。
それゆえ、彼「フェリーニ」は、映像の魔術師と呼ばれたのである。
この監督は、そのモノクロ世界の映画において、すでに衝撃的な作品を提示しているため、その時期で評価が定まって、それ以降の作品に対して語られる事が少ないように思われるのだが、個人的にはカラーになってからの「フェリーニ」作品にこそ、その「魔術」が、純粋に抽象化された形で現わされていると思うのである。
またこの映画では、これ以降の作品のような何の注釈なしに、そのイメージの奔流を展開するわけではないので、「フェリーニ的」抽象的映像イメージと具象イメージの切り替わりが明確な分、その「魔術」のカラクリが明快であり、フェリーニ的世界に興味を持ったのであれば入門映画としては最適だと思われる。
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ラベル:フェデリコ・フェリーニ
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