原題 Two for the Road 製作国 アメリカ 製作年 1967 上映時間 112分 監督 スタンリー・ドーネン 脚色 フレデリック・ラファエル 原作 フレデリック・ラファエル |
評価:★★★ 3.0点
原題「Two For The Road」は、英語慣用句「One For The Road」=「旅立ちのための一杯」から「別れを惜しむ一杯」という言い方があって、それをモジってつけた題名でしょう。
それで意訳すれば「別れを惜しむ二人」と「旅行中の二人」という二つの意味を持っているように思います。
この映画の内容をすべて表現している、非常にシャレたタイトルだと思います・・・・
『いつも2人で』あらすじ
結婚して20年を経た、建築家マーク(アルバート・フィニー)と妻ジョアンナ(オードリー・ヘップバーン)はフランスへの旅の途中だった。今はマークは成功者となっていたが、結婚した頃と変わらず、パスポートをなくしたと毎度の騒ぎを初め、ジョアンナに冷たい眼で教えられている。そして、マークとジョアンナが知り合った、20年前に物語は戻るのだった。出会った2人は一緒に旅するうちに、恋におち、結婚した。しかし結婚してからの関係は、不倫や浮気という不実に揺らぎ、暗雲が立ち込める・・・・・・・・・・・
『いつも2人で』予告
『いつも2人で』出演者
ジョアンナ・ウォレス(オードリー・ヘプバーン)/マーク・ウォレス(アルバート・フィニー)/ジャッキー(ジャクリーン・ビセット)/ハワード・マンチェスター(ウィリアム・ダニエルズ)/キャシー・マンチェスター(エレノア・ブロン)/パット(ジュディ・コーンウェル)
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『いつも2人で』感想・解説 |
主演のオードリーヘップバーンはこの時38歳ですが、美しさに気品が加わり、ますます魅力的になったように思います。
1960年代の社会世相の表現、おしゃれな会話や映画構成など脚本の秀逸さと、監督スタンリードーネンの力量、主題曲の美しさなどモロモロ含めて☆3.0です。
で・・・・・・・以降はマイナス☆2についての、個人的な釈明です。
この映画の製作年度1967は『俺たちに明日はない』が作られた事でも分かる通り、ハリウッド映画の転換期でした。
これ以前のハリウッド黄金期、1940〜50年代のアメリカ映画がなぜ輝いていたかといえば、大恐慌から立ち直ったアメリカ国民が、自分たちの価値観に自信を持ち「アメリカ的な価値観を世界に広めれば、世界は平和で幸福になる」と信じていたからだと思ったりします。
その絶対的確信のもとに、ハリウッド映画は「自由」を「平等」を「正義」を力強く語れたのでしょう。
そしてまた、美しき「愛」を「夢」を「結婚」を訴えたのでした。
このハリウッド映画の「絶対的価値」が意味したものは、基本的に大衆・民衆・庶民という貧しき絶対多数が欲する「価値=欲望」を提示したがゆえに、強い訴求力を持ち、世界の隅々まで届いたのでは無いかと想像します。
そして、実際「アメリカ的民主主義=自由・平等・正義」の「アメリカの平和=パックスアメリカーナ」が現実世界に広がっていくと、全ての理想がそうであるように綻びが現れるようになります。それが政治的に現れたのが、この1960年代の「冷戦」であり「ベトナム戦争」だったと言えるでしょう。
そしてまたハリウッド映画が、社会制度における「絶対的価値」を表したものこそ、「自由恋愛」とその延長線上にある「恋愛結婚」でした。
社会的な因襲に縛られた中で暮らす大恐慌頃の大衆にとって、「自由恋愛」が「絶対的理念」として輝いたのも不思議はないでしょう。
しかし、やはりこの理念も「恋愛結婚」が当たり前になっていくにつれ、綻びが現れてきました。
好きな相手と結婚したとしても「不幸」になる事もあるという現実を、恋人達は否応なく思い知らされたのです。
結局、ハリウッド映画が伝えてきた「絶対的理念」に対する破綻が、この映画にも顕れているように思うのです。
この映画で語られる、一組みの夫婦。
この二人の夫婦生活は、夫の浮気や妻の不倫で明らかなように、基本的に破綻しています。
オードリー・ヘップバーン、「妖精」「世界の恋人」とよばれ世界の憧れを一身に浴びてきたこの「アイドル」にしてから、この映画ではもうかつての価値観を維持することはできません。
それは、ハリウッド的絶対、ハリウッド的予定調和の幸福が、もうリアリティを持ち得ない事の証です。
この映画の最後は、破綻した関係であっても、結婚という制度を何とか維持しようとする意志を描くことで、かろうじて「ハリウッド恋愛映画」としてのプライドを示しているように思います。
しかしその姿は、原題「別れを惜しむ二人」に示されているように、もう別れるべきなのそうできないという、そんな無理を重ねているように見えます。
その「ハリウッド的価値」と決別してしまえない、この映画の満身創痍の痛々しさ・・・・・この「恋愛映画」の寂寥をなんと形容すべきでしょうか・・・・・もう無理なのに、持ち続けざるを得ない理想を掲げたが故の歪みが、この映画の味わいに苦渋をもたらしたと思うのです。
いわば「ハリウッド恋愛映画の黄昏」のごとき、この姿に悲しみと共にマイナス☆2です・・・・・・
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