2023年08月20日

『サウルの息子』ユダヤ人の苦悩・ホロコーストの尊厳とは?/映画感想・解説・ホロコースト・ゾンダー・コマンド実話

サウルの息子(感想・解説 編)



原題 SAUL FIA
英語題 SON OF SAUL
製作国 ハンガリー
製作年 2015
上映時間 107分
監督・脚本 ネメシュ・ラースロー


評価:★★★★  4.0点



ホロコースト映画で語られて来なかった、ゾンダー・コマンドを描いた傑作だと思います。
同胞のユダヤ人達の死の一端を担った、ユダヤ囚人達で構成された「特殊部隊=ゾンダー・コマンド」の男を主人公として描かれます。
そんなこの映画は、ノンフィクション的な史実が、ストーリーの中に表現された1本だと思います。

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<目次>
映画『サウルの息子』簡単あらすじ
映画『サウルの息子』感想
映画『サウルの息子』解説/ゾンダーコマンドの実話

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映画『サウルの息子』ネタバレなしあらすじ


アウシュヴィッツ=ビルケナウ、ユダヤ人強制収容所。1944年の10月、ハンガリー系ユダヤ人、サウル(ルーリグ・ゲーザ)は、ガス室に送られた、同胞の死体を処理する仕事を課された、ゾンダーコマンドとして働いていた。そんなある日、サウルはガス室の死体の中で、でまだ命のある少年を発見した。そのユダヤ少年は無慈悲に命を絶たれたが、サウルはその少年をユダヤ教の葬儀で送りたいと決心する。仲間たちは、アウシュヴィッツの事実を後世に残すために証拠写真を撮影したり、武装蜂起のために密かに武器の準備を進めていた。そんなユダヤ人の仲間から見れば、サウルが少年の葬儀に執着することが理解できず、彼を非難する。しかし、そんな声を無視して、サウルはラビ(=ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤの儀式を行おうと奔走する。そんな中、ついにユダヤ人たちが、反乱の火の手を上げたのだ・・・・・・・
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『サウルの息子』予告

映画『サウルの息子』出演者

サウル(ルーリグ・ゲーザ)/エブラハム(モルナール・レヴェンテ)/髭のオーバーカポ(ユルス・レチン)/髭の収容者(トッド・シャルモン)/医師(ジョーテール・シャーンドル)
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『サウルの息子』感想


この映画は最初に見た時には、ホロコーストの渦中にいる、この「ユダヤ人特殊部隊=ゾンダー・コマンド」の主人公に違和感を感じた。
それは、同胞に対して死を供給してるにも関わらず、その痛みや苦しみが感じられなかったからだ。
soul-pos4.jpgそんな違和感を抱えつつ2回目の視聴をした時に、ゾンダーコマンドの中にも、隊員アブラハムのように、生き延びるためにナチスと戦おうとする者や、カポ長(グループの隊長)のビーデルマンのように、ホロコーストの惨状を証拠として残そうとする者がいたと知った。
それらの、ゾンダー・コマンドの必死に生き伸びようとする姿や、せめてこの悪逆を後世に伝えようという意思は、この地獄にあって取り得る選択肢として納得できた。

しかし、この主人公は、それらの生きる為の戦いにも無関心で、後世への伝承にも興味がない。
ただひたすら、一人の少年の正式な葬儀のために、右往左往し仲間の危険すら顧みない。
その少年が、主人公「サウルの息子」だと語られる時、更に彼の利己主義が際立つように思われた。
同胞を死に追いやり、仲間のゾンダーコマンド達の対ナチスの戦いの傍観者で、ただ己の息子の死に拘泥する利己的な男・・・・・・そう感じられた。
しかし、それでも3回目を見ようと思ったのは、この映画のカメラワーク、浅いピントで全てが幻のようなそのビジュアルが気になったからだ。
そして、3回目にして、私にもようやくこの作品の主人公の精神の状態が、理解できたように思う。
冒頭のぼやけた視界から姿を現すサウルの姿こそ、彼の心理を物語っていただろう。

このユダヤ人の男はゾンダーコマンドとして働くために、その心を固く冷たく封じ込めてしまったのだ。
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普通の人間が、人を殺して、しかも同胞を何千何万と殺し続けて、平静でいるためには自らの感受性を殺し、いわば「人工的なサイコパス」とならなければ不可能だったろう。

これが、強い人間ならば、その死の作業の苦悩をナチスに対する反抗を計画する事や、後世にこの事実を知らしめようと努めることで、その精神的なバランスを維持できるかもしれない。
しかし、この主人公は違った。

そして、大方の人間もまた、自らの命を長らえる事が精一杯の状況下では、主人公同様、他者の命を奪う自分に慣れるしかないだろう。
そんな他者の死に慣れ無感動になるとは、つまるところ、人間ではなくなるという事を意味するはずだ。
Film.jpgそのサウルの封じ込めた「魂=人間性」が、一人の少年の死によって呼び起された。
そして、その「魂」は少年を正しく埋葬し、弔らいたいという意思として、サウルに宿った。
それは、生きる為にナチスを敵にしても戦おうという、アブラハムのように強い人間にとっては、サウルの望む「埋葬の儀式」は後ろ向きの女々しい執着に映ったはずだ。
それゆえ、アブラハムは死者より生きている者の方が大事だと、サウルを責めるのだ。
それに対し、サウルは少年を「息子」だと言う。
しかしサウルをよく知るアブラハムは「お前に息子はいない」と告げる。
実際に映画内では、その少年がサウルの息子であるか否かが明示されることはない。


しかし「真の息子か否か」に関わらず、この主人公が失った「人間性」が、1人の少年の死を見た時に回復されたという事実こそが重要だと思う。
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それは、数多くの同胞の死を見送り、その大量死に魂を枯らしていった「サウル=平均的人間の代表者」が、生命力にあふれた1少年の殺人を眼にして「死とは生を奪う行為」であると、改めて認知した瞬間だったろう。

そして、その1個の死は、罪なく、まだ生きられる命を刈られた全ての人々の死につながっていたはずだ。
それは、その命の強奪に関わった自分の罪を認識した時だったろう。
その己の罪を懺悔する方法とは、せめて命を喪った者たちの魂に対して、敬虔な祈りを捧げる事以外にはないだろう。

そしてサウルは、ホロコーストの幾万もの死者達、生を奪われた者の象徴として、その少年を弔いたかったのだろうと思う。
このサウルの祈りとは、単にホロコーストだけではなく、組織的な殺人者として戦争に参戦した兵士達が、たとえ正義という大義名分で偽装したとしても、必ず感じた人間性の喪失であったはずである。
それは兵士たちがPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむことで明らかであるはずだ。

その兵士たちの苦しみとは、国家にせよ組織にせよ、人間集団としての組織の理論が、個人を追い詰め人間であることを喪わせて行く事にその原因があると思われてならない。
異論はあるかもしれないが、その全体主義体制に対する個の喪失とは、ナチスドイツの兵にとっても、サウルと同様等しく生じていた力だと思える。

当ブログ関連レビュー:ナチス将校に助けられたユダヤ人
『戦場のピアニスト』
ユダヤ人ゲットーを生き延びたピアニストの物語。
ホロコースト体験者の語る実話

そして、その全体制による個人の抹殺とは、基本的には帰属集団の利益のため個人を捧げよと、号令されることで生まれる。
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そう考えれば、ホロコーストにおいてナチスと戦ったユダヤ人達も、基本的にはユダヤ人を守るために戦うという、全体制への奉仕が基調にあるのであり、論理的に言えばそれらの抵抗とは基本的にはナチスドイツ同様、最終的に個人の抹殺へと通じるだろう。

その点を突き詰めてみれば、現代のユダヤ国イスラエルが、パレスチナに対して行使する軍事行動の意味が分かりはしまいか。
つまりは、このサウルの苦しみとは、人は人として生存すべきなのに、何かの部品として使役されたが故の苦しみであったように思われるのだ。

そのサウルが一人の少年の死を前に、一人の人間に戻る姿こそ、人が尊厳をもつ為には個人として自由に生きられなければならないと語られているだろう。
そして、そのためにはサウルのごとく「戦い=新たな全体制の創出」に関与してはならない。
それゆえサウルは、1個の人間として、失われた個を、自らの心の内に静かに悼むのだ。

サウルの死者への追悼とは、全体制の暴力下で「部品」として命を散らした数百、数千万の、歴史上の死者達に対し、個人としての尊厳を再び付与する試みだった。
そしてこのメッセージが理解されたならば、世界の争いの無益さを、人は思わざるを得ないはずだ。
ホロコーストに命を散らした人々の願いも、個人の自由と尊厳を全うできる社会の成立にあったと信じる。

当ブログ関連レビュー:ホロコーストの地獄の選択
『ソフィーの選択』
メリルストリープの魂の演技。
永遠に消えない喪失の物語

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『サウルの息子』感想/ゾンダーコマンド実話



この映画は第二次次世界大戦中、ナチスドイツが行ったユダヤ人大量虐殺、ホロコーストを題材とした映画である。
当ブログ関連レビュー:ユダヤ差別の歴史
『紳士協定』
ユダヤ差別を描いた映画
第20回アカデミー作品賞受賞

その、ホロコーストの影に、ユダヤ囚人達による特殊部隊ゾンダーコマンドが存在したことが描かれた。
この映画は、実は、史実に則った実録映画の側面もある。
ゾンダーコマンド(独: Sonderkommando in den Konzentrationslager)は、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが強制収容所内の囚人によって組織した労務部隊である。
部隊にいた囚人のほとんどはユダヤ人で、多くの場合、囚人達は収容所に連れて来られた時にナチスによりその仕事に就くように強制され、死を恐れて指示に従うことになる。主な仕事はガス室などで殺されたユダヤ人の死体処理である。自殺をする以外にこの仕事を辞める、または拒否する方法はなかった。
saul-birukenau.jpgポーランドのビルケナウ強制収容所では1943年までに400人ものソンダーコマンドが存在しており、1944年にハンガリーのユダヤ人が大量に収容されるようになってからは、その膨大な数の死体処理のために900人にものぼるゾンダーコマンドがいたとされる。
外部への情報漏えいを防ぐため、ゾンダーコマンドの囚人はほとんどが3か月から長くて1年以内にガス室に送られて殺され、新しく連れてこられたユダヤ人が代わりとなっていった。ゾンダーコマンド結成後、収容所解放までに14サイクルもの入れ替えがあったとされる。(wikipediaより)


そして、この映画で描かれたように、実際収容所内で反乱も起きた。
この映画が1944年の10月という設定なのは、下の反乱の実態に即したものと思われる。
1944年にアウシュヴィッツ強制収容所でゾンダーコマンドによる反乱があり、火葬場が一部破壊された。女性囚人たちが数か月に渡りアウシュヴィッツ内の軍需工場から火薬を少しずつ盗み出し、ビルケナウ収容所の衣類格納庫で働かされていたロージャ・ロボタなどのレジスタンスの手に渡った。
映画内火薬受け渡しシーン

収容所のレジスタンスから1944年の10月7日に自分たちが処刑されることを知らされると、ゾンダーコマンドはナチス親衛隊(SS)やカポ(労働監視員)をマシンガンや斧、ナイフで攻撃し、ナチスは怪我人12人、死者3人もの死傷者を出した。数人のゾンダーコマンドは計画通り脱走することにも成功したが、その日のうちにまた捕らえられた。反乱で生き残ったゾンダーコマンドのうち200人もの囚人がその後頭を撃ち抜かれ殺された。その日に殺されたゾンダーコマンドは451名にも上る。(wikipediaより)


また、映画内ではユダヤ人虐殺の証拠を残そうとする、ゾンダーコマンドの姿が描かれていた。
saul-photo2.jpg1943年から1944年の間、ビルケナウ収容所のゾンダーコマンドの数名が筆記用具やカメラなどを手に入れ、収容所内の様子を記録することに成功している。これらの情報は収容所内の火葬場近くなどの地面に埋められ、戦後掘り起こされた。ほとんどの記録や原稿はアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所博物館に保存されている。
(wikipediaより/右:ゾンダーコマンド撮影写真)


saul-laszlo.jpgこんな、アウシュビッツで起きた史実を正しく伝えようという、若いユダヤ人監督の姿勢に頭が下がる思いがする。
さらにこの監督は、事実を正確に伝えようとするだけではなく、決して資料や写真だけでは語りつくせない、ゾンダーコマンドの心理をもサウルを通じて描いて見せた。

この映画が真に評価されるべきは、人間心理のリアリティー、史実としての人間存在を、映像として主観的に描こうと努めたことにあると思う。

この映画を考察するにあたって、そのラストシーンが非常に重要だと信じるが、当然ネタバレの内容を含むため、その点を「ネタバレ・ラスト」の中で語るのが適当だと思う。
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posted by ヒラヒ at 13:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ハンガリー映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月12日

オスカー映画『ピアノ・レッスン』女流監督の傑作女性映画は実話だった⁉/感想・解説・考察

原題 The Piano
製作国 オーストラリア
製作年 1993年
上映時間 121分
監督 ジェーン・カンピオン
脚本 ジェーン・カンピオン


評価:★★★★  4.0



1993年公開のこの『ピアノ・レッスン』は、女流監督ジェーン・カンピオン の個人的な経験を含む、深い思いが込められた力作だと感じました。

この美しい映像で表現された物語は、女性が生きるという事に社会が強いてきた問題を、詳細に鋭く糾弾しています。
そのメッセージは、批評家と観客の心に響き、93年度のカンヌ映画祭パルム・ドール、アカデミー賞の他、多くの映画賞を獲得しました。
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<目次>
映画『ピアノ・レッスン』簡単あらすじ
映画『ピアノ・レッスン』感想
映画『ピアノ・レッスン』考察/ジェンダーとしてのピアノ
映画『ピアノ・レッスン』解説/母の実話

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映画『ピアノ・レッスン』あらすじ


19世紀半ば、スコットランドに住むエイダ(ホリー・ハンター)は娘フローラ(アンナ・パキン)と一台のピアノとともに、父の決めた結婚相手であるニュージーランドのスチュワート(サム・ニール)のもとに嫁いだ。エイダは言葉がしゃべれず、ピアノを弾く行為が彼女の言葉代わりだった。しかし、夫スチュアートはピアノをエイダが上陸した浜辺に置き去りにし、彼女が懇願しても運ぼうとしなかった。夫に代わって、そのピアノを運んだのは、マオリ族の入れ墨をを掘ったベインズ(ハーヴェイ・カイテル)だった。彼はスチュアートと交渉し、自分の土地とピアノを交換した。エイダは自分のピアノを勝手に処分した、夫の行動に怒ったが、夫は土地の方が大事だと取り合わなかった。そんなエイダにべインズは、ピアノを教えてくれればピアノを返すと提案する。ピアノを取り返すために、いやいやレッスンを始めたエイダだったが、べインズの目的はピアノのレッスンではなく、エイダ自身だった。べインズの求めはレッスンを重ねるにつれ、エスカレートし、それに刺激されエイダも彼に応じるようになる。その2人の関係はスチュワートに知られ、悲劇が起きるー
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映画『ピアノ・レッスン』予告

映画『ピアノ・レッスン』出演者

エイダ・マクグラス(ホリー・ハンター)/ジョージ・ベインズ(ハーヴェイ・カイテル)/アリスデア・スチュワート(サム・ニール)/フローラ・マクグラス(アンナ・パキン)/モラグおばさん(ケリー・ウォーカー)/ネッシー(ジュヌヴィエーヴ・レモン)/ヒラ (トゥンギア・ベイカー)/牧師 (イアン・ミューン)/船長役 (ピーター・デネット)/マナ (クリフ・カーティス)/エイダの父 (ジョージ・ボイル)/エンジェル (ローズ・マクアイバー/タフ(ミカ・ハカ)
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映画『ピアノ・レッスン』感想


この映画の映像と、テーマ曲の美しさに心打たれます。
それと同時に、押しつぶされるような空気感と、ヒリヒリするような痛みをも感じました。

本作を最初に見たのは、日本公開時の映画館で、その時の感想は、美しいけれども不思議なムードの「恋愛映画」という印象でした。
例えば『タイタニック』のような恋愛映画の王道を思い浮かべれば、この違和感は分かっていただけるのではないでしょうか・・・・・
関連レビュー:王道恋愛映画
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世界一の興行収入記録を打ち建てた大ヒット作
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その印象は、恋人役のハーベイ・カイテルがむしろ悪役顔というのも、恋愛映画としてはいかがなものかと・・・・・
しかし、この映画を見た時に、最も印象に残ったのもハーベイ・カイテルの凄みのある佇まいで、個人的にはこの映画以来彼のファンなのですが・・・・
関連レビュー:悪役ハーベイ・カイテル
『天使にラブソングを』
ウーピー・ゴールドバーグ主演の痛快ゴスペル映画!
黒人白人の分断を埋める讃美歌の響き

いずれにせよ、恋愛映画としては、その曖昧なイメージのまま30年近く経ってしまったのです。
しかし、ある日この映画のテーマ曲を耳にして、やはりメロディーが美しいと感じ、この映画のビジュアルの美しさも思い起こされ、をもう一度しっかり見てみようと思ったのです。

しかし、再鑑賞をしたものの、やはり恋愛映画としての曖昧な印象は変わりませんでした。

やはり、本来「恋愛ドラマ」が持つ、恋愛相手との間に生まれるロマンチックな情緒や、恋の切なさが十分描かれているとは思えませんでした。

そもそも恋愛映画とは、恋愛に全人生を没入させる「恋愛至上主義」こそ、その本質であるはずです。
関連レビュー:ハリウッドの恋愛至上主義映画
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マレーネ・デートリッヒとゲーリー・クーパーの大ヒット映画
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それから言えば、この映画ではセクシャルなエロスは感じても、恋愛感情が主体の物語が展開されているとは、どうしても思えないのです。

事実ストーリーを追えば、彼女を愛したベインズは、ヒロインのエイダが自分を愛さないと自覚し、彼女との関係を断ちます。
そしてその後、アイダがべインズに執着し始めているように見え、恋愛ドラマとしてはどこかチグハグに感じられます。

そんなことからも、この映画が指し示すのは男女の恋愛ではなく、別の解釈があるのではないかと思うようになりました。

別の解釈を探して、再度この映画を見た時に、ヒロインのエイダの「意思の強い女性が運命に果敢に立ち向かう姿」が、かつて一世を風靡した古典映画『風と共に去りぬ』のヒロイン、スカーレットにさえ重なって見えるようになりました。
関連レビュー:世界初の女性映画!?
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個人的には、この映画はヒロインの生きざまを描いた「女性映画」として見るのが、最も収まりが良いと思います。

そう捉えたときに、初めてこの映画の各ピースが、見事にテーマに収れんしていくのです。

そう考えた理由を、以下の解説で書いてみましたので、ご確認いただければ幸いです・・・・・・
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映画『ピアノ・レッスン』解説

ピアノの意味するもの

個人的には、この映画を読み解くカギは、「ピアノ」にあると思います。

映画の原題『The Piano』は、無理に訳せば「そのピアノ」となり、それは「特定のピアノ」を指すものです。
この映画の中の「そのピアノ」とは、ヒロインのエイダを示していると個人的には考えています。

それはピアノという楽器そのものが、「女性性=ジェンダー」の象徴に他ならないと思えるからです。

あるピアニストはピアノという楽器を、西洋音楽の理論や体系を、正ににそのまま構造化したものであり、その音楽理念から逸脱することができない、いわば音楽メソッドの奴隷のような存在だと、言っていました。
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映画では、エイダは6歳ごろ自分の言葉を捨て、その代わりにピアノを言葉にしたと語られています。
それが意味するのは、彼女は幼少期から自分本来の言葉を話すのを止め、ピアノが表す「音楽メソッド=社会的規則=ジェンダー」に則った言葉を話すようになったのだと解釈しました。
エイダが流麗にピアノを弾く姿に、社会的規範に無意識に従う「ジェンダーの奴隷」の姿を見てしまったのです。

その証拠に、この映画のあらゆる要素は、虐げられる前時代の女性の記号で満ちています。
例えばエイダは、父の一存で、スコットランドから遠くニュージーランドの見知らぬ男に嫁がされます。
それは、家父長制の下、女性たちが家の財産として、恣意的に扱われたことを示しています。
ヒロインのエイダはシングルマザーであり、その娘の父はエイダから去って行ったと語られています。

それは、女性が社会的に求めらる「産む性」として存在し、更にその加重な子育てを課される「母」であることを示しています。

そんなエイダを迎えた夫のスチュワートは、最初彼女にピアノを与える事すら許しませんし、更に土地と引き換えにそのピアノを第三者に与え、家族なんだ協力しろと怒鳴ります。
それは、社会がエイダに押し付けた言葉「ピアノ=ジェンダー」すら認めないという、夫スチュワートの傲慢であり、更には妻としてその「ジェンダー」を切り売りしろと求めていることを示しています。

また、劇中でのスチュワートは、決して悪い人間として描かれてはいませんが、しかし善良な彼が妻に求めたのは、自らの欲望を果たすための娼婦としてのエイダだったと思えます。

「ジェンダー=良き妻、良き母」としての自分に価値を見ず、その欲望のはけ口としてのみ自分を見る、そんな家父長的な夫をエイダが愛せなかったのも当然でしょう・・・・・・
しかしエイダは、劇中のもう一人の男性ベインズによって、真の自分を発見するのです。

このべインズのキャラクターも、周到に配置された、効果的な人物だと感じました。

まずは、このべインズが、「白人=文明人=征服者」でありながら、ニュージーランド原住民マオリ族と同化しているという点です。
それが意味するのは、彼が「文明」という名の「征服のための道具」を捨て、より自然に近い存在に変化を望んだ存在だという事です。
そんなべインズの姿は「文明=ジェンダー」が、人間が生まれながらにして持つ本質ではないと、気付いた結果だと思えます。
それゆえ彼は、最初「ピアノを弾くエイダ=ジェンダーとしてのエイダ」に惹かれたものの、時と共に「エイダ自身=エイダ本来の人格」を求めるようになり、それはエイダの「肉体=生得的な自然物」を求めたことで表されています。
生まれながらの自分を愛してくれる、べインズに巡り合ったことで「ジェンダーとしての自分」から、「本来の自分」になれる事を知りエイダは生まれ変わったと言えるでしょう。

翻って見れば、女性たちが自らの価値を問い直すときに、性的欲望の肯定が叫ばれてはいなかったでしょうか?

関連レビュー:性の解放宣言
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エイダはそんな自らの欲望を肯定し、ジェンダーから自由になった時、ジェンダーの象徴であるピアノを捨てる決意をするのも、自然な行動でしょう。

しかし、そのピアノを海に投入しようとした時、起きたことこそ『ピアノ=ジェンダー』がどれほどエイダを支配し、縛って来たかを象徴するシーンに他なりません。

いずれにしてもエイダは、ジェンダーから自由になり、自分の言葉を話し始めたと、この映画では語られていると思います。

実はカンピオン監督のインタビューを聞くと、この映画のジェンダーとそこからの解放を描いた物語には、モデルとなった人物がいたようで、その点を下で書かせていただきます。
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映画『ピアノ・レッスン』考察

映画のモデル

この映画のエンディングで、『エディスに捧げる』と献辞が送られています。

このエディスとは、監督ジェーン・カンピオンの母、エディス・カンピオンを指しています。
この映画は母エディスに捧げられた作品であり、この主人公エイダのキャラクターには、母のイメージが投影されていたのです。

カンピオンの母、エディスは、その夫リチャード・カンピオンを伴侶とし、ジェーンとアンナという二人の娘をもうけました。
そのカンピオン夫妻は、ニュージーランド演劇界の重鎮であり、エディス自体も舞台女優として輝かしい経歴を誇る存在でした。
エディス・カンピオン MBE(本名ビバリー・ジョーゼット・ハンナ、1923年12月13日 - 2007年9月16日)は、ニュージーランドの俳優、作家、劇団ニュージーランド・プレイヤーズの共同創設者である。Edith_Campion_in_1946.jpgカンピオンは1953 年に夫のリチャードとともにニュージーランド プレーヤーズ シアター カンパニーを設立し、彼女の遺産の一部を資金に充てました。彼女は当カンパニーが上演した多くの作品で数多くの主役を演じ、1950年代までにはニュージーランドの傑出した女優の一人とみなされていた。1959 年、カンピオンは大英帝国最優秀勲章のメンバーになりました。(写真:1946年のエディス・カンピオン)

しかし、その華々しい業績の影で、夫婦関係は崩壊しており、夫リチャードの度重なる女性スキャンダルにより、その精神は変調を来たし始めます。

そして鬱状態に追い込まれたエディスは、その人生で何度も自殺を試みるようになって行きます。

娘であるジェーン・カンピオン監督は、そんな母を見て1995年のインタビューで「完全な絶望に近づくのは本当に怖かった」と語っています。

母の自殺未遂は、この映画の脚本を描いている時にも起こり、その時に娘ジェーンは『そんなに死にたいなら、今度は私が手伝う』と母に告げたと言います。

すると母エディスは、再び生きる事を決意したというのです・・・・・・・・・

ジェーンの最初の脚本は、ピアノと共に沈む主人公エイダの姿で終わっていたのを、母の決意を受けて書き換えられたと語っています。

それを知ってみれば、この映画は、母を苦しめた「家父長的世界観」が強いた、女性ジェンダー」を生きることの現実を語っていると感じます。

母の世代、その過酷な人生を「ピアノ」に仮託し表現したのだと思います。

そして当初は「ピアノ」を海に沈めることで、「女性ジェンダー」に苦しめられ殺される、歴史上あまたの女性鎮魂を描いたラストだったのでしょう。

しかし母の決意を受けて、書き換えられたラストでは「女性ジェンダー」から真に自由になって、自らの意志によって再生を果たす女性像を、鮮やかに描いて感動的です・・・・・



posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | オーストラリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月17日

雑誌マリ・クレール2023年発表!『史上最高の映画ベスト100:絶対見るべき映画』/恋愛・コメディー・ドラマなど各ジャンルの名作紹介!!

2023年発表!雑誌マリ・クレールが選ぶ『史上最高の映画ベスト100:絶対見るべき映画』リスト!!!


今回紹介する映画リストは、日本でも2009年まで発刊されていた女性雑誌『マリ・クレール』が発表した映画ベスト100リストです。

第二次世界大戦前の、1937 年にフランスで生まれた雑誌マリ・クレールは、女性にファッションを含めた文化を発信することで、世界的なメディアに成長し、現在でも広い年代の女性読者の支持を受けています。

リストは最新作も含めて、恋愛映画、ホラー映画など、ジャンルごとのおすすめが選ばれ、女性目線に立った作品がリストになっているように思います。

それでは最初に、リスト冒頭の言葉をご紹介。

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ポップコーンが跳ね、スウェットパンツを履けば、最高の夜です。あなたの次の課題は、入手可能な最高の映画のうち、何が今夜見る映画なのかを正しく把握することです。あなたが、ロマンティック コメディであれ、殺人ミステリーであれ、悲しい映画であれ、素晴らしいミュージカル映画であれ、どんなものを探していても、選んだジャンルの最初に見るべき映画がたくさんあります (しかし、おそらく最後にはならない)。

私たちマリ・クレールの映画愛好家は、素晴らしい映画を選ぶのにどれだけ時間が必要か熟知しているため、我々が皆さんのためにその仕事をしました。私たちは映画ランキング、批評家レビュー、賞候補作を徹底的に調査し、ポップ カルチャーファンに話を聞いて、このな重要な必見映画のリストを作成しました。もちろん、スティーブン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリック、アルフレッド・ヒッチコックなどの象徴的な監督の映画に加えて、カサブランカやサウンド オブミュージックなどの著名な名作も、このリストに含まれていると期待してください。 しかし、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』や『ゲット・アウト』のような現代の傑作も同様の秀作であり、このリストに含んでいます

以下の必見の映画は、現代の古典、最高の中の最高のもの、必要不可欠な映画で、おそらく何百万人もの人々は、あなたが初めてこれを見ることに嫉妬するでしょう。それらは複数の国、言語、そして数十年に渡ります。(おまけ: 知っておくべき事実と、それぞれの映画が「最高」とみなされる正確な理由もわかります。) そして、これらの映画を選出すること自体がとても困難な作業であるため、このリストに順位を付けないことにしました。あなたは自由に、あなた自身の好みによってこのリストの順位を決めてください。作品名が無い場合でも、あまり激しく怒鳴らないでください。結局のところ、このような主観的なリストは議論となります。早速、順不同で、史上最高の映画を紹介します。
原文=”https://www.marieclaire.com/culture/g2509/movies-to-watch-before-30/
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2023年発表!雑誌マリ・クレールが選ぶ『史上最高の映画ベスト100:絶対見るべき映画』リスト


という事で、いよいよベスト100をご紹介!
当ブログで記事にした映画にはリンクが貼ってありますので、良かったらお読みください。

◎当リストのBGMに『スター誕生』のテーマソングはいかが?
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史上最高のロマンス映画(The Best Romance Movies of All Time)


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ロマンス映画にはあなたが常に(たいていは)期待することがいくつかあります。恋愛物語(当たり前)、魅力的な主人公たち。そしてハッピーエンド――普通なら。真実の愛がそこにあると思い出させる必要があるかもしれません。または、パートナーに本当の恋愛がどのようなものかを示す必要があるかもしれません。このリストにある映画の中には、面白いものもあれば、究極の悲しい恋愛映画もありますが、これらすべての恋愛映画には共通点が 1 つあります:それは、確実にあなたの琴線に触れ、愛を、もう一度、信じさせてくれるということです。Film2-GrenBar.pngカサブランカ (1942 マイケル・カーティス)
君に読む物語 (2004 ニック・カサベテス)
タイタニック (1997ジェームス・キャメロン)
スター誕生(2018 ブラッドリー・クーパー)
恋人までの距離(ディスタンス)(1995 リチャード・リンクレーター)
ユー・ガット・メール (1998 ノーラ・エフロン)
花様年華 (2000 ウォン・カーウァイ)
ローマの休日 (1953 ウィリアム・ワイラー)
シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦〜花嫁は僕の胸に(1995 アディティヤ・チョープラー)
恋人たちの予感 (1989 ロブ・ライナー)
ラブ・ジョーンズ (1997テオドール・ウィッチャー)
プリンセス・ブライド・ストーリー (1987 ロブ・ライナー)
世界にひとつのプレイブック (2012デヴィッド・O・ラッセル)
エターナル・サンシャイン (2004 ミシェル・ゴンドリー)
赤い薔薇ソースの伝説 (1992 アルフォンソ・アラウ)
プライドと偏見 (2005 ジョー・ライト)
ムーラン・ルージュ (2001 バズ・ラーマン)
燃ゆる女の肖像 (2019 セリーヌ・シアマ)
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史上最高のコメディー映画(The Best Comedy Movies of All Time)


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時として、私たちは少し元気をもらいたいことがあり、そのためには、あなたを笑わせる楽しい映画を見るのが良い方法でしょう。これらのコメディ映画は、ジョークや非常識な状況の登場人物を通して、あなたの夜に少しの軽快さをもたらしてくれることを保証します。コメディ映画は、一般的に普遍的に共感できるストーリーを備えているため、たまには自からを笑っても大丈夫だと思い出させてくれます。 Film2-GrenBar.png
フェリスはある朝突然に (1986 ジョン・ヒューズ)
ミーン・ガールズ(2004 マーク・ウォーターズ)
クルーレス (1995エイミー・ヘッカーリング )
ヒズ・ガール・フライデー(1940ハワード・ホークス)
お熱いのがお好き (1959 ビリー・ワイルダー)
モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル (1975 テリー・ギリアム、 テリー・ジョーンズ)
ウェディング・パーティー (2016 ケミ・アデティバ)
ヒース・レジャーの恋のからさわぎ (1999 ジル・ジュンガー)
ビッグ・リボウスキ (1998 ジョエル・コーエン)
スパイダーマン:スパイダーバース (2018 ホアキン・ドス・サントス、 ジャスティン・K・トンプソン、 ケンプ・パワーズ)
キューティ・ブロンド (2001 ロバート・ルケティック)
星の王子 ニューヨークへ行く (1988 ジョン・ランディス)
ブライズメイズ 史上最悪のウェディングプラン (2011 ポール・フェイグ)
ブレックファスト・クラブ(1985 ジョン・ヒューズ)
ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密 (2019 ライアン・ジョンソン)
殺人ゲームへの招待(1985 ジョナサン・リン)
恋はデジャ・ブ (1993ハロルド・レイミス)
バック・トゥ・ザ・フューチャー (1985 ロバート・ゼメキス)
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最高の古典映画(Best Classic Movies)


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ジャンルから区別して、私たちは「古典映画」を、それぞれのジャンルを永遠に変えた種類の映画として定義します。このリストにある映画に精通していれば、通俗的なポップカルチャーファンとは一線を画す、映画マニアへの道を歩むことができます。我々の本の中で、映画が古典となるためには、その映画が公開されてから数年が経過し(リストのこれらの映画はすべて 1990 年より前に公開されたものです)、広く愛されており、大きな文化的影響を与えている必要があります。以下の古典的な映画はすべてこれらのチェック欄にチェックが入っています。Film2-GrenBar.png理由なき反抗 (1955ニコラス・レイ)
レーズン・イン・ザ・サン(1961ダニエル・ペトリ)
カルメン (1954 オットー・プレミンジャー)
アラバマ物語 (1962 ロバート・マリガン)
明日に向って撃て! (1969ジョージ・ロイ・ヒル)
十二人の怒れる男 (1957 シドニー・ルメット)
ロッキー (1976 ジョン・G・アヴィルドセン)
ゴッドファーザー(1972フランシス・フォード・コッポラ)
ジョーズ (1975 スティーヴン・スピルバーグ)
ドゥ・ザ・ライト・シング (1989 スパイク・リー)
バック・トゥ・ザ・フューチャー (1985 ロバート・ゼメキス)
サウンド・オブ・ミュージック (1965 ロバート・ワイズ)
カッコーの巣の上で(1975 ‎ミロス・フォアマン)
卒業 (1967 マイク・ニコルズ)
ロッキー・ホラー・ショー (1975ジム・シャーマン)
オズの魔法使 (1939 ヴィクター・フレミング)
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史上最高のホラー映画とスリラー映画(The Best Scary Movies and Thriller Movies of All Time)


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ホラーやスリラー映画は、他のジャンルの映画にはない特別なものを私たちに与え、私たちを恐怖に陥れます。クレイジーだと思う人もいるかもしれないが、映画を通じて恐怖、恐怖、期待感を感じるのは、他では味わえないアドレナリンラッシュです。これらの古典的なホラー映画やスリラーには、忘れられない心理的恐怖はもちろん、最も恐ろしい生き物、殺人者、飛び上がるような恐怖演出(Jump Scare)などが登場します。これを見たら就寝時に電気をつけっぱなしにしたくなるはずです。Film2-GrenBar.pngエクソシスト (1973 ウィリアム・フリードキン)
パラサイト 半地下の家族 (2019 ポン・ジュノ)
シャイニング (1980 スタンリー・キューブリック)
プロミシング・ヤング・ウーマン (2020 エメラルド・フェネル)
2001年宇宙の旅 (1968スタンリー・キューブリック)
アナイアレイション -全滅領域- (2018 アレックス・ガーランド)
裏窓 (1954 アルフレッド・ヒッチコック)
ブラックパンサー (2018 ライアン・クーグラー)
ジュラシック・パーク (1993 スティーブン・スピルバーグ)
ヘザース/ベロニカの熱い日 (1988 マイケル・レーマン)
新感染 ファイナル・エクスプレス(2016 ヨン・サンホ)
サイコ (1960 アルフレッド・ヒッチコック)
キャリー (1976 ブライアン・デ・パルマ)
ゲット・アウト (2017 ジョーダン・ピール)
NOPE/ノープ (2022ジョーダン・ピール)
羊たちの沈黙 (1991 ジョナサン・デミ)
ダークナイト (2008 クリストファー・ノーラン)
セブン (1995 デヴィッド・フィンチャー)
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史上最高のドラマチック映画(The Best Scary Movies and Thriller Movies of All Time)


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ドラマ ジャンルに分類される映画は、まさにその名前が示すとおり、ドラマチックです。ドラマとみなされる映画のリストは長く、多岐にわたります。時代劇、ティーンドラマ、戦争映画、女子会向けの映画、伝記映画など、あらゆるものがドラマのカテゴリに分類されますが、それらに共通しているのは、感情的に動かされるキャラクターとたくさんの葛藤です。 Film2-GrenBar.png
ライフ・イズ・ビューティフル (1997 ロベルト・ベニーニ)
エリン・ブロコビッチ (2001 スティーヴン・ソダーバーグ)
いまを生きる (1989 ピーター・ウィアー)
シンドラーのリスト (1993 スティーヴン・スピルバーグ)
ミナリ(2020 リー・アイザック・チョン)
フェアウェル (2019 ルル・ワン)
レディ・バード (2017 グレタ・ガーウィグ)
トゥルーマン・ショー (1998 ピーター・ウィアー)
ムーンライト (2016 バリー・ジェンキンス)
自由への旅立ち (1991 ジュリー・ダッシュ)
別離 (2011 アスガル・ファルハーディー)
her/世界でひとつの彼女 (2013 スパイク・ジョーンズ)
ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語 (2019 グレタ・ガーウィグ)
ブロークバック・マウンテン (2005 アン・リー)
グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち (1997 ガス・ヴァン・サント)
ショーシャンクの空に(1994 フランク・ダラボン)
ホワイト・クリスマス (1954 マイケル・カーティス)
ウエスト・サイド・ストーリー (1961 ジェローム・ロビンズ、 ロバート・ワイズ)
ウォールフラワー (2012 スティーヴン・チョボスキー)
ビッグ・シック ぼくたちの大いなる目ざめ (2017 マイケル・ショウォルター)
ROMA/ローマ (2018 アルフォンソ・キュアロン)
パディントン2 (2017 ポール・キング)
千と千尋の神隠し (2001 宮崎駿)
エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス (2022 ダン・クワン、 ダニエル・シャイナート)
トレインスポッティング (1996ダニー・ボイル)
フォレスト・ガンプ/一期一会(1991 ロバート・ゼメキス)
フルートベール駅で (2013 ライアン・クーグラー)
ヘイト・ユー・ギブ (2018 ジョージ・ティルマンJr.)
パルプ・フィクション (1994 クエンティン・タランティーノ)
プライベート・ライアン (1998 スティーヴン・スピルバーグ)
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posted by ヒラヒ at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする