2018年01月14日

傑作映画『マカロニ』イタリア式人生讃歌/感想・あらすじ・解説・ネタバレなし

人情話の教科書。

原題 Maccheroni
製作国 イタリア
製作年 1985
上映時間 106分
監督 エットーレ・スコラ
脚本・原案 エットーレ・スコラ、ルッジェーロ・マッカリ、フリオ・スカルペッリ


評価:★★★★★  5.0点



私は、この映画を愛して止みません。
傑作です。
この映画のウェットな情感と、一種奇跡を含む物語は、イタリア映画の持つノスタルジックな味わいが心に沁みる作品です。
人生に疲れた大人が見ると、明日もまた生きてみるかと思える、応援歌のような物語です。

映画『マカロニ』ストーリー


maca-remon.jpgマクダネル・ダグラス社の副社長ロバート・トラベン(演:ジャック・レモン)が、イタリアはナポリの空港に降り立った。
アリタリア航空で、難航する交渉をまとめるために、この地に出張でやって来たのだ。
数十年前、彼は第二次世界大戦の際にイタリアに進駐し、ナポリの地で現地の娘マリアと恋に落ちていた。
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その娘の兄、アントニオ・ヤゼロ(演:マルチェロ・マストロヤンニ)がロバートを訪ねてホテルに来る。
ロバートは会社の出世争いで窮地にあり、イライラして旧交を温めに来たアントニオを追い返した。

しかしロバートは、戦時中のことを思い出すうちに、若き日の自分を確かめようと、アントニオの住む町を訪れる。40年ぶりに再会するマリアは孫達に囲まれて幸せそうだった。
訪ねた町の人々から思いがけずに歓迎を受け、英雄扱いされ面くらう。
それは愛を誓ったロバートに去られた妹を慰めるため、アントニオがロバートに成り代わって、架空の冒険談を手紙で送っていたためだった。
その話は町の人々も知るところとなり、町ぐるみでロバートの活躍に喝采を送るようになっていたのだ。
驚いたロバートだが、町の中で時間を過ごすうちに、いつしか自分もかつての情熱と希望の心を蘇らせる。
更にアントニオの人生を楽しむ姿に、自らの仕事漬けの人生を省みる。
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(上:人生は生きる価値のあるものだ。だから死に打ち勝つんだ。)

しかしロバートは、会社での地位が危うくなり、急遽帰国することとなった。
しかし時を同じくして、アントニオの息子ジュリオがマフィア絡みのトラブルに巻き込まれる。
ロバートはアメリカに帰り保身を図るか、ナポリに残りアントニオ親子を救出するヒーローになるか、自らの心に問いかける。
彼が選んだ人生は・・・・・・・・・・・

映画『マカロニ』予告


映画『マカロニ』出演者

ロバート・トラベン(ジャック・レモン)/アントニオ・ヤゼロ(マルチェロ・マストロヤンニ)/ローラ(ダリア・ニコロディ)/カメリーナ(イサ・ダニエリ)/ポルテーラ(マリア・ルイーザ・サンテーラ)/ヴァージニア(パトリツィア・サッキ)


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映画『マカロニ』感想



俳優はジャック・レモンマルチェロ・マストロヤンニ
往年の映画ファンなら、これだけでも見たいと思うはず。
米伊を代表する実力派スターの夢の競演です。
ジャック・レモン(Jack Lemmon, 1925年2月8日 - 2001年6月27日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身の俳優。本名はジョン・ユーラー・レモン三世(John Uhler Lemmon III)。戦後アメリカ映画界最高の喜劇俳優と言われた。Jack-Lemmon.jpg
1954年に映画デビューを果たし、まもなく1955年の『ミスタア・ロバーツ』でアカデミー助演男優賞を受賞。1959年に『お熱いのがお好き』に起用されてからは、ビリー・ワイルダー監督作品の常連となる。当初は単なるコメディアンと見られたが、1960年の『アパートの鍵貸します』のうだつのあがらないサラリーマン役や、1962年の『酒とバラの日々』でのアルコール依存症患者役などのシリアスな演技も見せて、現代人の持つ性格的ひ弱さを演じては右に出るものはいないとまで言われる。1973年の『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を受賞し、主演、助演を獲得した最初の俳優となった。(wikipediaより)

マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni, 1924年9月28日 - 1996年12月19日)は、20世紀のイタリアを代表する映画俳優。maca-maruche.jpg
第二次世界大戦が終結した1945年に演劇の世界に入り、ローマで映画の制作スタッフとして働くとともに、ローマ大学の演劇センターで俳優のレッスンを受け始める。その後イタリアを代表する巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督に才能を認められ、1947年にイタリアで公開された『レ・ミゼラブル』(原題:『I Miserabili』)で俳優としてのキャリアをスタートさせる。その後は『バストで勝負』(1955年)や『女と男』(1957年)、 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『白夜』(1957年)などに出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作『甘い生活』(原題:『La Dolce vita』)で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ、世界的な名声を得る。(wikipediaより)


監督がエットーレ・スコラ。
「イタリアの山田洋次」と勝手に思っています。
「星降る夜のリストランテ」「BARに灯ともる頃」「特別な一日」など、人生の機微を描いて名人の域にあるお方です。
そんな、ツボを抑えた演出にシビレること請け合いです。
関連レビュー:エットーレ・スコラ監督を紹介
『ル・バル』
ダンス・ホールで繰り広げられる無言劇
ベルリン国際映画祭銀熊賞・受賞作品

この映画も、もちろん期待に違わず笑わせてくれてホロリとさせて、本当によく出来た映画です。
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第二次世界大戦当時、イタリアに駐留したアメリカ兵で、数十年ぶりで仕事でイタリアに来た男の役がジャック・レモン。
そのジャック・レモンと恋に落ちたイタリア娘の兄が、マルチェロ・マストロヤンニ。
ジャック・レモン演じるアメリカ兵は、恋に落ちた娘にいつか帰ってくると約束をしながら、その約束はスッカリ忘れています。
それなのになぜか、彼はマルチェロ・マストロヤンニの歓迎を受け、その妹とかつて駐留した村で自分が英雄になっている事を知る・・・・・・・

どうですか、この導入部?
いい感じでしょう?
この映画は、若き日の夢が現実に侵食された、哀れなアメリカ人の中年男をジャック・レモンが演じ、説得力があります。

日々の仕事にストレスを抱え、余裕を喪っている彼は、自らの人生を必死に走って来た、その先に見える未来に破滅の予兆を感じ慄いています。

一方のマルチェロ・マストロヤンニはイタリア式人生を謳歌し、仕事よりも恋や趣味に喜びを感じつつ生きています。
そんな、余裕のある「快楽式人生」を悠々と生きる姿を、いぶし銀の演技力で表現します。


そして、イタリア的快楽人生が、アメリカ的な仕事人生に影響を与え、ついにはキャリア以上に大事な「人生の幸福」を見出すという物語です。

そんな、人生の再生を描いて完璧な映画だと感じました。

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映画『マカロニ』解説

ハリウッド映画へのオマージュ


この映画はジャック・レモンがかつて演じてきた、シャレた都会派コメディに対するオマージュのような作品です。
エットーレ・スコラ監督は、アメリカの明るいヒューマン・コメディを愛してきたのでしょう。
それはかつてのハリウッド映画が表わした、明るく自由で元気なアメリカという国に対するオマージュでもあります。
この映画のアメリカ人が苦しみ疲れているのは現実のアメリカを反映した姿であり、このイタリア監督は自らの喜びを生み出してくれたアメリカ映画とアメリカに対して、イタリアからエールを送っているように思います。

そんな物語をイタリア映画特有のウェットな情感と、良い意味で予定調和的な世界観で、見る者の心を感動させ共感を呼びます。

しかし、実はそんなハリウッド映画に対するオマージュを描いた欧州映画がたくさん有ります。
関連レビュー:ハリウッド映画のオマージュ
『ジンジャーとフレッド』
フェデリコ・フェリーニのノスタルジックな映画
マルチェロ・マストロヤンニ主演
関連レビュー:フランス発ハリウッド映画の憧憬
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーヴェル・バーグの開幕
関連レビュー:イタリアの語る「映画こそ天国」
『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る映画の快楽
旧き映画のノスタルジー



欧州映画の消失



こんな人情話のお手本のような、このお話の最後には、落語のような見事なオチまで付いています。

絶対に見て損はないですが、問題は手に入るかどうかです・・・

ホントにヨーロッパ映画は見たい作品が・・・・・・

どんどん消えていく・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

傑作『ル・バル』現代のサイレント映画の必然/あらすじ・ネタバレ・感想・解説

サイレント映画の必然性



原題 Le Bal 
製作国 フランス イタリア アルジェリア
製作年 1983年
上映時間 1時間 52分
監督 エットーレ・スコラ
脚本 ルッジェーロ・マッカリ、ジャン・クロード・パンシュナ、フリオ・スカルペッリ、エットーレ・スコラ


評価:★★★★★  5.0点



この映画『ル・バル』を取り上げたのは、実は『アーティスト』という映画を見たからです。
その世評が高い映画を見て、しかし私は心の中から湧き上がる怒りを禁じえなかったのです。
怒りの理由は、レビューを見ていただくのが一番早いのですが、要約すれば「サイレント映画」という技法を、ただ玩具のように弄ぶがの如き製作態度が、映画という文化に対する裏切りとしか思えなかったからです。
関連レビュー:現代のサイレント映画
『アーティスト』
オスカー受賞の現代サイレント映画
この映画はレイプか?

そんな怒りを静めるために、登場していただくのがこの『ル・バル』です。
イタリアの名匠エットーレ・スコラがその実力を遺憾なく発揮した、傑作だと個人的には信じています。

映画『ル・バル』ストーリー


1983年。パリのダンスホール。
土曜日の夜、静かなそのホールに、灯りがともされる。
そして、ドレスアップした男女が一人また一人と入って来る。
そして、彼らは無言のうちに踊り出す。
時は遡り1936年、このホールで踊っているのは、労働者や縫製工場で働く娘たちだった。
第二次世界大戦中の1940年。ナチス占領下の42年。44年にはパリ解放。45年終戦後は、アメリカのジャズの音がホールに流れる。50年代にはラテン・リズムが響く。
60年代、ロカビリー音楽の強烈なビートがホールを満たす。
60年代後半、若者たちはビートルズのメロディに乗って踊った。
そして83年、その夜のホールの灯が消える。

映画『ル・バル』予告


映画『ル・バル』出演者

ジュヌヴィエーヴ・レイ=パンシュナ/マルティーヌ・ショーヴァン/レジ・ブーケ/エティエンヌ・ギシャール(他:役名不明)

映画『ル・バル』受賞歴

第34回ベルリン国際映画祭(1984年):銀熊賞(最優秀監督賞)エットレ・スコーラ
第9回 セザール賞(1984年) 監督賞


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映画『ル・バル』感想


この監督エットレ・スコーラは、あまり日本では評価されていないようで、DVDですら探そうと思っても見つけるのが大変です。
しかし、ビスコンティ、フェリーニと並んでイタリアの三大巨匠と言いたいぐらいに、個人的には大好きな監督なんです。
本当に人情話の名人で、芸術家というよりは大衆作家としての力量が優れた人なので、逆に日本では評価されにくいのかとも思いますが・・・・・・・
エットーレ・スコラ(Ettore Scola、1931年5月10日 - 2016年1月19日)は、イタリアの映画監督・脚本家。lebal-scola.jpg
1950年代前半、20歳で脚本家としてデビュー、監督デビュー以前に40本以上もの脚本を量産。1964年、『もしお許し願えれば女について話しましょう』で映画監督としてデビューした。
1976年の『醜い奴、汚い奴、悪い奴』で第29回カンヌ国際映画祭監督賞を受賞、1980年の『テラス』で第33回カンヌ国際映画祭脚本賞を受賞、1984年の『ル・バル』で第34回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)を受賞した。2016年1月19日、ローマ市内の病院で死去。84歳没(wikipediaより)
<監督作品>
『もしお許し願えれば女について話しましょう』1964)/『ジェラシー』(1970)/『あんなに愛しあったのに』(1974)/『醜い奴、汚い奴、悪い奴』(1976)/『特別な一日』(1977)/『テラス』(1980)/『パッション・ダモーレ』(1981)/『ヴァレンヌの夜』(1982)/『ル・バル』(1984)/『マカロニ』(1985)/『ラ・ファミリア』(1987)/『スプレンドール』(1989)/『BARに灯ともる頃』(1989)/『星降る夜のリストランテ』(1998)/『ローマの人々』(2003)/『フェデリコという不思議な存在』(2013)他


本当に上手い監督で、どの映画も泣けて笑えて、イタリアの山田洋二といったら判り易いでしょうか?
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そんな実力派監督が撮ったこの映画が、なぜ『アーティスト』の引き合いに出されたかというと、この『ル・バル』という映画がセリフが一切ないサイレント映画だからです。

パリのダンス・ホールを舞台に、台詞を一切排し流行の音楽とダンス・スタイルの変転だけで、戦前からの時の流れと人々の人生を描いた映画作品です。
もともとは、本作品にも出演しているJ=C・パンシュナの劇団、フランスの「テアトル・デュ・カンパニョール」の舞台の映画化で、そのオリジナル・キャストがそのまま出演もしているそうです。


そんな舞台を忠実に映画に写したような、この『ル・バル』は第二次世界大戦をはさんだ、戦前と戦後の時代の世相と人生を描きます。

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その舞台となるのが「バル=ダンスホール兼酒場」です。

カメラはこの酒場から外に出ません。
そして、この酒場を訪れる人々の描写によってドラマが生じます。
しかし、この人たちは一言も喋りません。
流れる音楽の旋律が高まり、見詰め合う男と女の視線が交錯するとき、若者たちの人生が生まれるのだと教えてくれます。

そして、若い男女が人生を生きる姿が、ダンスとなって熱いパッションとともに繰り広げられます。
そんな、個々の愛おしい人生が、大きな時代のうねり=運命によって、蹂躙され、踏みつけられ、寸断される様子が「バル」から一歩も出ずに、一言の言葉もなく、完璧に表現されます。


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映画『ル・バル』解説

テーマと表現様式の合致


実を言えば、この映画を見てスコラ監督に心酔してしまったのです。
それは、「サイレント映画」で「一場もの舞台」という、非映画的な規制を自らに課して「あざとさ」や「無理」が微塵も感じられない。
例えば、ヒッチコックですら『ロープ』という実験作では、どこかムリヤリな感じがしたものですが、見ていてそんな不自然さを感じないのです。

Film.jpgなぜ、こんな無理な「スタイル=様式」を選択しても、不自然に思わないのかよ〜く考えてみました。
そこで気がついたのは、この映画で取られた「スタイル」は、この作品の語るテーマの必然として、あったのではないかという事です。

つまりこの作品は、半世紀にもわたる時代の流れ、その時代を生きた人たちの軌跡ををどう表現しようかと考えたときに、必然的に「酒場という閉ざされた場」と「台詞なし」が必要だったと思うのです。

この無言で繰り広げられる、踊ったり、泣いたり、愛し合ったり、傷つけあったり、喜んだり、悲しんだりという人々の姿。
そんな人生の騒動を見ていると、いつかこの「バル」という舞台で発生する全てのことが、本当に愛おしく感じられてきます。
それは言葉が介在しないがゆえに、生物、ひいては生命が有るということの本質が、抽出されてくるのではないかと思うのです。

また同時にこの無言劇は、大きな運命の前では一個人の言葉や訴えが無力で、ただ黙って耐えるしかないのだという、人生における忍従を悲しくも痛切に、教えてくれるように思います。

ここにはフランス映画『愛と哀しみのボレロ』で描かれた、最後のバレエと同様、人生が凝縮したようなダンスで見る者の心を打ちます。
関連レビュー:4か国に渡る数奇な運命を描く
『愛と哀しみのボレロ』

20世紀を貫く人々の交響曲
クロード・ルルーシュ監督


そんな「踊ること=生きること」には、言葉=「知性、社会、ルールなど人工的な知見」を超えた、運命や力が働くものだと訴えていると思えるのです。bal-pos3.jpg
私は、この映画の中に、全人類が近代に受けた過酷な災禍に、黙って耐え、命を燃やした、そんな姿を見たようで感動したのです・・・・・・
この「人智を超えた運命」を映像として伝えるために、言葉の不在と、「バル」という小宇宙の存在が、必然として求められたでしょう。

そう考えれば、つまりは、「物語」が必然的に要求する様式であれば、観客は不自然さを感じないのだと、この映画の「非映画的な様式=不自然なスタイル」が証明しているに違いありません。

今更ながら映画「アーティスト」に戻りますが、その映画は「サイレント映画という様式」である物語的必然性があるでしょうか?
結局「アーティスト」は、その映画によって何を表現したいのか、観客に何を届けたいかのかという、根本的な姿勢から間違っているのだろうと言わざるを得ません。

そんなわけで、「アーティスト」で各映画賞を総なめにできるぐらい高い評価を受けられるなら、この映画はノーベル賞を与えるべきだと思うわけです。

しかし、この作品、レンタルビデオやさんでも、インターネット通販だって手に入らないなんてあんまりです。
この監督は本当にかわいそうで、例えば『マカロニ』なんていう作品も、本当に傑作なのに中古ですら手に入るかどうか・・・・・

そんなスコラ監督復権キャンペーンの一環でもあります。

All Movies Need Love!!

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最近の「サイレント=セリフなし」作品のおススメを2本


関連レビュー:現代のサイレント映画
『ブランカニエベス』
スペインのサイレント映画
パブロ・ベルヘル監督のノスタルジー世界
関連レビュー:現代のサイレント映画
『ザ・トライブ』
ウクライナのサイレント映画
健常者に不可知の聾唖者の世界


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映画『ル・バル』解説

劇中のダンス音楽紹介

<1930年代>
『ミュゼットのワルツ』
第二次世界大戦前、パリのバルで演奏されたダンスミュージック。
イタリア人のアコーディオンと、オーベルニュ人たちのキャブレット(別名ミュゼット:一種のバグパイプ)が特徴的なワルツで、この曲でパリジャン達が踊っていた。


『マリウ愛の言葉』
1932年のイタリア映画「Gli Uomini...che Mascalzoni!」(殿方は嘘つき!)の主題歌


<1940年代>
『リリー・マルレーン』
1938年に作曲され、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲。
女優マレーネ・ディートリッヒの歌唱が有名。


『パリの花』
ナチスドイツからパリが解放された時の喜びの歌。この動画はモーリス・シュバリエの歌。

『イン・ザ・ムード』
ヨーロッパに進駐したアメリカ軍によって広まった、ビッグバンドジャズ。グレンミラーオーケストラの演奏で。


<1950年代>
1950年代後半にはラテン音楽がダンス・ミュージックとして流行しました。
『Amour, Castagnettes Et Tango(愛とカスタネットのタンゴ)』
この動画は映画『ルバル』から。


『ブラジル』
サンバの名曲も。下の演奏はギターの名手ジャンゴ・ラインハルト


<1960年代>
若者達のダンスはロックンロールに席巻されます。
『トゥティ・フルッティ』(リトル・リチャード)

『オンリー・ユー』(プラターズ)

『ミッシェル』(ビートルズ)


<1980年代>
『T'es OK』(オタワン)



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posted by ヒラヒ・S at 17:41| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月21日

謎が深まる『鑑定士と顔のない依頼人』徹底解説/ネタバレ・ラスト・結末感想

鑑定士と顔のない依頼人(ネタバレ・ラスト 編)


原題 La migliore offerta
英語題 The Best Offer
製作国イタリア
製作年2013/131分
監督・脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽 エンニオ・モリコーネ


評価:★★★★  4.0点

この映画は、とりあえず、今すぐ、何も知らないうちに、一回ご覧になられることをお勧めします。
予備知識ゼロで、この映画を見ることこそ、この映画が提示できる「ベスト・オファー(最高の価値)」だと思いますし、見る価値は十分あると思います・・・・・・
ということで以下の文章は、この映画を見た方々に向けて書かせていただいております。
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以降

『鑑定士と顔のない依頼人』ネタバレ・ラスト

を含みますので、ご注意下さい。
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ヴァージルはロンドンでのオークションを終え、帰宅した。
その家にクレアはおらず、秘密の部屋の天文学的な価値を持つ名画達は、全て消え去っていた。
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bestof-automata.jpgその空白の部屋には、オートマタが片隅に置かれていた。
そして「どんな贋作にも典拠がある」「あなたがいなくて寂しいよオールドマンさん」と何度も何度も流れ続けていた……

廃人のようになって、介護施設で暮らすヴァージルの元に、手紙をもってかつての部下が訪ねてきた。
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ヴァージルは一人車椅子の上で、クレアが去った後の出来事を思い出していた。

クレアの家には誰もおらず、その家の前のカフェでヴァージルは聞き込みをした。
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すると、本当のクレアはカフェの常連で、驚くべき記憶を持つ矮人症の女性だったことを知る。

クレアの家もその彼女のもので、撮影などに貸し出すのだという…
そして、その驚異の記憶力で、ヴァージルがクレアだと信じていた外出恐怖症の女性が、どれほど頻繁に外に出ていたかを教えてくれた。
そして、そこに何でも直せる修理屋がいたことも。
bestof-sign.png
ヴァージルが怒りにまかせて叩きつけた、クレアを描いた肖像画のカンバスの裏には“ヴァージルへ愛情と感謝を込めて ビリー”と記されていた。
クレアと修理屋ロバートそして贋作家ビリーが共謀して、ヴァージルを騙したのだった・・・・・・

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『鑑定士と顔のない依頼人』ラストシーン

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ヴァージルは「2人に何が起きても あなたを愛してることわかって欲しい」という偽のクレアの言葉を思い出す。
そして、プラハに家を借り、偽のクレアが語っていた「プラハのレストラン」へ足を運ぶ。
ラストシーン

不動産屋:中へどうぞ。ご注文どおりです。荷物は明日届きます。契約書の控えをお持ちします。何かあればお電話を/クレア:ああヴァージル「2人に何が起きても、あなたを愛していることをわかって欲しい」/(喫茶店ナイト&デイ)ウエィター:お一人ですか?/ヴァージル:いや 人を待っている。


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『鑑定士と顔のない依頼人』結末後の感想・解説

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ということで、この映画のストーリーをもう一度整理してみよう。
偽のクレアから電話がかかってきたところから、サギが始まっていたことは明らかだ。
その詐欺の関係性は以下の図に集約出来るのではないだろうか。
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その計画は周到だ。(以下文中のクレアはダマしたクレア)
人間嫌いのヴァージルを恋に引き込むために、まずはオートマタという「モノ=金」で餌をまき、徐々に生身の女性と接触させて行く。
ここには隠された存在を暴きたいという、人間心理も十分考慮されているだろう。
そして、美しいクレアを見せ、ヴァージルが恋に落ちたのを確認する。
そこから、ロバートのクレアに対する好意を仄めかせ、更にダメ押しでロバートの彼女サラの口から、ロバートがクレアに夢中だと告げさせる。
ヴァージルは嫉妬に狂うと同時に、クレアに対する恋を更に燃え上がらせた事だろう。
そしてダマしは詰めに入って、クレア失踪を演出し、ヴァージルが彼女を失うことに耐えられないと思い知らせた。
そして、ヴァージルにクレアを発見させ、彼女の過去で同情を引き、そしてベッドを共に過ごせば、ヴァージルは完全にクレアの虜と化しただろう。
なにせ、これが生まれて初めての恋であり女性体験なのだ。
そして、最後のダメ押しに、ヴァージルを襲わせて、外に出れないクレアが彼の為に走りだし、病院で看護までしてしまえば・・・・・・

ヴァジールがクレアを愛し、全てを捧げても構わないと思ったとしても、何ら不思議はない。
本当に手の込んだ念入りな仕事だと感心する。
そして、部屋から絵画が持ち去られる・・・・・・・

次に場面は移り、ヴァージルが介護施設で、かつての部下から新聞や手紙を受け取るシーンとなる。
best-las.jpgそれ以降のシークエンスは、ヴァージルが騙された後の回想を、介護施設の車イスの上で思い返していると見るのが素直な解釈だろう。
プラハにアパートを借りて、クレアとの話に出てきた喫茶店「ナイト&デイ」で待っているというのが、このラストシーン。

ラストの喫茶店シーンとは、騙されてもなお「贋作にも真実がある」のではという、未練の光景となる。
そして物語は、どれほどの美術品や金銭にも勝るのが「現実の恋」であるという、ラテン的な恋愛至上主義に焦点を結んで行くだろう。

bestof-automata.jpgと、突然、後ろで歯車のきしむ音がした。
オートマタが語り出す・・・・・・・・・・
それでいいのか?
この映画は決して全てを語ってはいない?
そもそも、このロバートとは何者だ?
なぜヴァージルと知り合ったのか。?
クレアとロバートとビリーの関係性は?
秘密扉の鍵の解除方法を、ヴァージルはクレアに教えたのか?
ビリーは「贋作にも真実がある」といい、ロバートは「クレアとオートマタのどっちが大事か」と問い、クレアが「何があっても私があなたを愛していることを忘れないで」と告げるとき、こんな危険な言葉を騙している途中で言う必然性は何か?
ヴァージルが老人ホームで車椅子に乗って、かつての部下から新聞や手紙を受け取って以降のシークエンスは、時系列の情報があるか?


そう問われてみれば、この映画は全てを開示していない「もどかしさ」が常について回る。
正直言って、4回は見たのだが、それでも謎は謎のままだ・・・・・・

試みに、上の車いす以降の一連の流れを入れ替えたとすると、様々な可能性が生じるのだ。
Film2.jpg例えば、部下の持参した手紙の中にクレアの便りが入っていて、プラハは介護施設から出たヴァージルが向かったという可能性もある。
これを時系列的に整理すれば、介護施設→喫茶店という流れだ。
プラハで一緒に暮らそうと言われ、アパートを借りて待ち合わせの喫茶店「ナイト&デイ」で待っているというのが、このラストシーン。
更に時系列を入れ替えれば、介護施設→喫茶店→クレアとのベッドシーンという可能性もある。
ベッドシーンはプラハで会った後の光景だと見ることも可能で、これであれば、ヴァージルにとっては完璧なハッピーエンドだろう。
更に更に可能性を探って時系列を入れ替えれば、喫茶店→クレアとのベッドシーン→介護施設という可能性もある。
だとすれば、プラハでクレアと暮らし、そしてもう一度クレアに騙されたということだ。

更に更に更に・・・・・・・
ここではたと気が付いた、結局一番混乱し騙されていたのは私自身だったのだと。

この映画は、ヴァージルをダマす以上に、観客をダマしていた映画だというのが結論だ。

しかし、そのダマしの手法とは、謎を謎のまま放置するものなので、いつまでも後を引き観客を離さない。
そう考えてきて、そんな芸術作品があるのを思い出した。
best-mona.jpgこの映画は、女性肖像画を部屋中に飾りながら、この世界一有名な絵が欠落しているのも不思議だったのだが・・・・・

この映画は彼女の微笑みと同じ、謎の持つ永遠性を保持しているのではないだろうか。

たぶん偽のクレアの本名は
モナリザに違いない。



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posted by ヒラヒ・S at 17:17| Comment(4) | TrackBack(1) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする