2017年11月29日

古典映画『グランドホテル』(1932年)5大スター共演!完全再現ストーリー/あらすじ・ネタバレ・ラスト・結末

映画『グランドホテル』(ストーリー・あらすじ 編)



原題 Grand Hotel
製作国 アメリカ
製作年 1932
上映時間 112分
監督 エドモンド・グールディング
原作 ヴィッキ・バウム
原作戯曲 ウィリアム・A・ドレイク


評価:★★★☆   3.5点



この映画は当時の主役級スター5名集めた、オールスター作品の史上初の映画です。公開時はその贅沢さで空前のセンセーションを惹き起こしたと言います。
そんな豪華スターを過不足なく描くために採られた脚本が、並列に人々の物語を描く群像劇の様式でした。映画では始めて使われたこの脚本スタイルは「グランド・ホテル様式」と呼ばれ、映画史上に新たな広がりを与える一本になりました。

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映画『グランドホテル』あらすじ



電話の交換手の手が忙しく働き、その声は「グランド・ホテルですがどこにおつなぎしますか。」と問いかける。
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Grand-born.png一方フロントから電話しているのは給仕長のセンフ(ジーン・ハーショルト)だった。
彼は妻に子供が生まれそうで気が気ではなかった。

grand-cli.pngまた通話料を気にしながら、ロビーから電話している一人の男。
彼は、医者から余命わずかとの宣告を受けた、クリンゲライン(ライオネル・バリモア)だった。

そして人生最後に、全財産をこのホテルで散財すると友人に告げた。

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そして別のブースでは、クリンゲラインの勤める会社の社長プライジング(ウォーレス・ビアリー)も電話していた。

プライジングの会社は業績不振で、合併に活路を見いだそうと、サクソニア社との会談を翌朝にひかえていた。
万が一に合併が上手く行かなければ、会社は倒産しかねないと義父に訴えていた。

grand-balontel.pngさらにホテルに宿泊する有名なバレエのプリマドンナ、グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)の付き人シュゼット(ラファエラ・オッティアノ)は、リハーサルを休むと劇場に電話していた。
また別の電話では、フォン・ガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)が金の工面の電話をしていた。
彼は、グルシンスカヤの動向を探って、何事かを企んでいるようだった。

そんな様々の人々が行き交う、グランドホテルの混雑するロビーで、ガイゲルン男爵と、クリンゲライン、オッテンクラーク博士(ルイス・ストーン)は出会い言葉を交わす。
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そして、ロビーのフロントには、速記者のフレムヒェン(ジョーン・クロフォード)が明日の会議の準備のため、プライジング社長に呼ばれてやって来た。
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プライジングが風呂を使っている間、廊下で待つフレムヒェンを見て、ガイゲルン男爵が誘惑した。

話すうちに、フレムヒェンも男爵に好意を持ち、明日バーでデートする約束をする。

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その同じ宿泊階にはバレリーナのグルシスカヤ()が、具合が悪いとベッドにいた。

しかし、実際は人気が落ちてきたのを苦に、踊るのを嫌がっていたのだ。
周囲がおだてて、ようやくグルシスカヤは劇場へ向かった。

それと入れ換えにガイゲルン男爵を訪ねて来たのは、5000マルクの借金の代わりにバレリーナ・グルシンスカヤの部屋から真珠を盗むよう脅しているギャングだった。
ガイゲルン男爵は、今夜それを決行すると約束して、男に汽車の手配を命じた。
そして男爵は盗みの準備に入った。
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Grand-letter.png一方フレムヒェンはプライジングの口述をタイプしていた。
プライジングもフレムヒェンの容姿に魅力を感じ出し、誘惑しようとした。
しかし、サクソニア社との合併の鍵である“マンチェスター社との取引が不成立”との電報が入り、プライジングは頭を抱え、フレムヒェンに今日は帰れと言った。


グルシンスカヤの部屋に侵入した、ガイゲルン男爵は宝石箱から真珠を盗む。
Grand-alone.gifしかしそこに、グルシンスカヤが帰ってきて、ガイゲルン男爵は部屋に隠れる。
その晩の公演から逃げ出して来たグルシンスカヤは、マネージャーからもうお終いだと言われた。
グルシンスカヤは「一人にしてと」部屋に閉じこもった。

彼女は絶望し自殺を図ろうとする。

grand-beaut.gifガイゲルン男爵は黙っていられず、彼女のファンで思わず部屋に忍び込んだと声をかけ、姿を現す。
そしてガイゲルン男爵はグルシンスカヤの美しさに魅了され、彼女も言葉を重ねるにつれ男爵に好意を持つようになる。(左/男爵:かつて私の人生で、あなた以上に美しいものを見たことが無い。)


翌朝、交換手が男爵の部屋は誰も出ないと話す。
恋に落ちたグルシンスカヤと男爵は、彼女の部屋で一緒に朝を迎えたのだ。
一方プライシングは合併問題で、マンチェスター社との関係をサクソニア社から問い詰められ、窮地に追い込まれていた。
真剣にグルシンスカヤに恋をしたガイゲルン男爵は、自分が真珠泥棒であることを打ち明け、彼女に真珠を返した。
その告白にグルシンスカヤは混乱するものの、最後は男爵の真剣な懺悔に、彼の愛情を信じた。

そして時は経ち、一日中プライシングはサクソニア社と合併交渉をした、ついに相手は合併しないと席を立った。
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追い詰められたプライシングは、マンチェスター社と取引が成立したと嘘をつき、合併を同意させた。

プライシングは嘘を悔やみ、翌朝マンチェスター社との再交渉に直接ロンドンに飛ぶことを決意する。
ともかく長い交渉が終わり、速記者フレムヒェンを相手に楽しもうとバーに探しに行く。

バーでは、クリンゲライン、オッテンクラーク博士が共に酒を酌み交わし、ガイゲルン男爵とフレムヒェンがダンスを踊っていた。
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上(フレムヒェン:昨日とまるで違う感じがする。/ガイゲルン男爵:昨日は昨日さ)

踊りながらも、金策に行き詰まった男爵の顔色は冴えなかった。
バーを楽しんでいたクリンゲラインは、プライシングと出会うが、彼の横柄な態度に口論となる。
2人の言葉は徐々にヒートアップし掴みあいのケンカとなり、プライシングはクリンゲラインにクビだと言い放った。
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grand-bar.pngフロントでは、給仕長のセンフがまだ生まれない子供にヤキモキしていた。
そして、プライシングはロンドンに行くが秘書がいると、金をちらつかせフレムヒェンを口説き、彼女も貧しい生活から抜け出せるならと、その晩ホテルに泊まることを受け入れた。

グルシンスカヤは恋の喜びを溢れさせながら劇場に向かい、ロビーにいた男爵に、明日の汽車に必ず乗ってと念を押した。
男爵はグルシンスカヤを見送りながらも、5,000マルクの金策に頭を悩ませていた。
そこにクリンゲラインが、カジノに行こうと声をかけた。
それを聞いたガイゲルン男爵は、カード・ギャンブルで金を作ろうとして、たちまち破産した。
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その一方、クリンゲラインは連戦連勝だった。
興奮したクリンゲラインは、飲みすぎて酩酊し意識を失う。
grand-walet.png介抱をしたガイゲルン男爵は、借金返済のため部屋の床に落ちた1万4千マルクの入った、クリンゲラインの財布を盗んだ。
しかし眼を覚ましたクリンゲラインは、自分の人生が詰まった財布だと、必死になって探し続ける。
それを見たカイゲルン男爵は、ここに落ちてたと財布を返した。

いよいよ金策に困ったガイゲルン男爵は、プライジングの部屋へ泥棒に入った・・・・・・・・

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映画『グランドホテル』予告

映画『グランドホテル』出演者

グルシンスカヤ(グレタ・ガルボ)/ガイゲルン男爵(ジョン・バリモア)/フレムヒェン:速記者/(ジョーン・クロフォード)/プライジング(ウォーレス・ビアリー)/クリンゲライン(ライオネル・バリモア)/オッテンクラーク博士(ルイス・ストーン)/センフ:給仕長(ジーン・ハーショルト)/ポーター(レオ・ホワイト)/シュゼット(ラファエラ・オッティアノ)
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これ以降

映画『グランドホテル』ネタバレ

があります。ご注意ください。

(あらすじから)
プライジング社長は、続き部屋を取っていたフレムヒェンの元を訪れた。
grand-kill.jpgプライジングがフレムヒェンを口説いている時、彼の部屋で動く影を見つけた。
そこにガイゲルン男爵を見つけ、財布を盗みに入った事を認めた。
男爵は詫びるが、激昂したプライジングは無抵抗の彼を殴り殺す。
カイゲルン男爵の死体を見て、衝撃を受けたフレムヒェンは、クリンゲラインの部屋に飛び込んだ。

そして、クリンゲラインをプライジング社長の部屋へ向かわせ、自らはクリンゲラインの部屋で泣き崩れた。

grand-police-call.pngプライジングは、ガイゲルン男爵が泥棒で正当防衛で殺したと主張し、スキャンダルを避けるために、フレムヒェンがクリンゲラインの部屋にいたことにしてくれと頼む。
クリンゲラインは、スキャンダルが何だ、殺人事件が発生したのだと、警察に電話すると言う。

プライジングは、役職や金を与えるから通報しないでくれと、彼に懇願する。
しかしクリンゲラインは、もう会社には戻らないから、関係ないと警察へ電話した。
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時に朝の3時、舞台で喝采を浴び、恋に浮かれたグルシンスカヤは、この後のイタリアの休暇が待ちきれずにいた。
そして、ガイゲルン男爵の悲劇を知らず、彼の部屋の電話を鳴らし続けた。


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翌朝、グランド・ホテルからガイゲルン男爵は遺体で運び出され、プライジングは手錠をかけられ警察へ連行された。

フロントでは、遅れて給仕長のセンフが仕事に就いたが、まだ生まれない子供に心配が募る。
そして、男爵の事件を知りショックを受ける。

クリンゲラインはフレムヒェンと言葉を交わす。
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フレムヒェンはガイゲルン男爵を愛していたといい涙を流し、クリンゲラインはそれを慰める。

フレムヒェンはガイゲルン男爵も自分も、お金のためにこんな苦労をするのだと詠嘆した。
それを聞いたクリグラインは、私はお金が出来たので一緒にパリに旅行に行こうと誘い、フレムヒェンもあなたはとてもいい人だからと、その申し出を受けた。
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事件を知ったグルシンスカヤの付き人シュゼットや周囲の人間は、男爵がもう汽車に乗って待っていると嘘をつき、グルシンスカヤはそれを信じて急いでホテルを発った。


その後には新たな客が訪ね、給仕長にも男の子が産まれて喜びの顔を見せた。
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クリンゲラインとフレムヒェンも共に、明るくパリに旅立つ。

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映画『グランドホテル』ラスト・シーン



grand-last.pngクリンゲラインとフレムヒェンを見送るオッテンクラーク博士。

「グランドホテルはいつも変わらない。人が来て去って行く。何事もなかったように」と呟いた。

そのホテルのロビーには「美しき青きドナウ」のワルツが流れ、人々が流れるように行き交っていた。
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posted by ヒラヒ・S at 18:14| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月31日

イーストウッド映画『許されざる者』西部劇神話の解体と再生/ネタバレ・ラスト・結末感想

1992年『許されざる者』(ネタバレ・ラスト 編)



原題 Unforgiven
製作国 アメリカ
製作年 1992年
上映時間 131分
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ピープルズ


評価:★★★   3.0点



この映画『許されざる者』は、クリント・イーストウッド監督・主演で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
この映画は西部劇の描いてきた価値観を「許されざる者」と糾弾しながら、最後にそのメッセージを覆す語り口が、本当に鮮やかだと感心しました。

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映画『許されざる者』予告


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以降の文章に

映画『許されざる者』ネタバレ

があります。
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豪雨の中スキニーの酒場では、リトル・ビルが追跡隊に指示を下していた。
そこへ、ショットガンを携えたマニーがひっそりと姿を現す。
【意訳】マニー:誰がこのクソッタレの店の持ち主だ?お前、デブ、言え。/スキニー:ええと、私が、千ドルで酒場の権利を買って経営しているが・・・/マニー:そこからどいたほうがいいぞ。/リトル・ビリー:ちょっと、待て、止めろ!(マニー撃つ)/リトル・ビリー:何て卑怯なクソ野郎だ。お前は丸腰の人間を撃ったんだぞ!/マニー:ヤツは武装すべきだった。自分の酒場に俺の友を飾るんならな。/リトル・ビリー:お前はミズリーのウイリアム・マニーだな、女子供まで殺した。/マニー:そうだ。俺は女と子供を殺した。動くものは何でも殺した。そして俺は今、お前ビルを殺すためにここにいる。ビル、ネッドになぜあんなことをした。小僧どもはどいた方がいいぞ。/リトル・ビリー:いいか諸君、ヤツは一発しか残ってない。アイツが撃ったら、君らの銃を抜いて撃ち殺せ、この薄汚い悪党を!(マニー不発)不発だ!俺達を殺そう何て、このロクデナシ!(銃撃戦)/マニー:他の者を殺したいと、望んじゃいない。裏口から消えな。

激しい銃撃戦の末、リトル・ビルも撃ち倒し、マニーは酒場を出た。


映画『許されざる者』ラスト・シーン


【意訳】マニー:お前等、ネッドをすぐ埋めたほうが良いぞ!娼婦たちを傷付けたり、害を与えたりしないほうが良い!さもなければ、俺が戻ってきて、全員ぶち殺して燃やしてやる。
(マニーの農場・ナレーション)数年後、アンソニア・フェザー(亡妻の母)は、彼女のただ一人の娘の最後の安息所を訪ねるために、ホッジマン郡に困難な旅をしました。
ウィリアム・マニーは、子供たちと共に、ずっと以前に消えていました.... ある者は、彼の生地サン・フランシスコで、乾物商として財を成したとうわさしました。
そしてフェザー夫人は、彼女の一人娘が、泥棒で人殺しで悪名高く節度のない悪党の男となぜ結婚したか、何も手がかりは残されてませんでした。

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映画『許されざる者』結末感想



このラスト10分で、全てが明らかになったと思う。
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結局の所、この最後の銃撃戦の前は、全てこの最後のクライマックスのためのタメに過ぎなかったと、個人的には理解した。

つまりは、<解説編>で語ったように、この映画のラスト10分前までは、これでもかとばかり西部劇神話を突き崩し、非難し、笑いものにすらしているように見える。
そして、その代表として保安官リトル・ビルに仮託して、西部劇の男権主義の間違いを指摘する。

しかしその文脈「西部劇の否定」のメッセージを発する作品であったならば、この映画のラスト10分は決してこの終わり方にはならなかったはずだ。
「西部劇の否定」の文脈に沿えば、マニーはせいぜい散弾銃で店主とリトル・ビルを倒し、自分も周りから撃たれて倒れるというのが正しい。
そうすれば、西部劇に登場する保安官、悪漢、人種差別主義者が全て倒れ、この映画は「西部劇神話の否定」で幕を閉じるのだ。


しかし、この結末は明らかに別の物語を指し示している。

冒頭で銃もろくに扱えなかったマニーは、なぜ最後になって5人も1人で倒せたか?
このマニーが「許されざる者」なら、なぜ私的暴力を振るった「許されざる者」が死なずに、しかもサンフランシスコで成功したと語られるのか?
久々の拳銃射撃のシーン
【意訳】娘:パパは人を殺すのになれてるの?

結局のところ、この映画が語ったのは「西部劇神話」の否定ではない

再び言うが、映画の中で「西部劇」の要素、男権主義、人種差別、私的権力、私的暴力の乱用を否定し、「許されざる者」として語りはする。
それは保安官リトル・ビルが、ロサンゼルスの人種差別的な元警察部長に模されている事でも明らかだ。
この映画の最後10分まで、「西部劇」が育んだ価値観によって、現代アメリカ社会にまで続く歪みが生じたと、糾弾し続ける。

しかし、最後の10分で、他ならないその「西部劇」的私的暴力によって、その歪みを解消して見せるのだ。

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(リトル・ビルに非武装の人間を撃ったと責められ)
上:もし俺の友達を店の飾りにするんだったら、ヤツは武装すべきだった。

つまり、この映画が語るのは「西部劇の罪」を解消するのも、また「西部劇のヒーロー」だと告げているのだ。

それは、「西部劇神話」に問題が間違いなく含まれているにしても、アメリカ国民、アメリカ国家は「西部劇的な正義」無くして成立しないという宣言だったに違いない。
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このマーニーが私的な制裁を遂げ、更に人種差別や女性蔑視を諌めて去る馬上の姿の後方、間違いなくアメリカ国旗が映っているのがその証拠だ。

だからこそ、この映画はアメリカ国民にとってカタルシスを与えてくれる、久々の「古典的な西部劇」として受け入れられ支持されたのだ。

この映画が、「西部劇神話」の否定だけで終わっていたとしたら、決してこの高評価は得られなかった。

けっきょく、この作品は「西部劇神話」を否定し、そして最後で復活させる。

それゆえ「マニーの死んだ妻の母=女権」は、娘が人殺しで悪党の「マニー=男権」の中に、愛を見出したことの理由が分からない。

しかし女達にとっても、男達が男であることによって救われるのだと、このマニーは語っているに違いない・・・・・

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映画『許されざる者』評価



クリント・イーストウッド監督の演出力、その表現力はいつものごとく鮮やかで、見る者に浸みこむような静けさと、ラストの対比が印象的だ。
この映画の持つ、古典的な西部劇のスタイルに郷愁を覚えもした。
しかし、この映画は、やはりクリント・イーストウッドの保守的な志向が出た映画だと感じた。
また正直、最後の銃撃シーンも、唐突に銃の名手になったようで違和感があった。
更には、アメリカ人にとってはアイデンティティに関わるほど重要な「西部劇神話」ではあるだろうが、日本人の自分にとっては、そこまで強く訴求するものではなかった。
それゆえ、評価は★3.0点とした。


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posted by ヒラヒ・S at 17:28| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月29日

イーストウッド映画『許されざる者』西部劇神話の解体/感想・解説・受賞歴

1992年『許されざる者』(感想・解説 編)



原題 Unforgiven
製作国 アメリカ
製作年 1992年
上映時間 131分
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ピープルズ


評価:★★★   3.0点



この映画『許されざる者』はアメリカ本国で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
実を言えばその内容は、アメリカ映画の真髄ともいうべき西部劇を、否定し解体させるような一本だと思います・・・・・・・

映画『許されざる者』予告


映画『許されざる者』受賞歴

第65回アカデミー賞・受賞:作品賞/監督賞/助演男優賞/編集賞
第50回ゴールデングローブ賞・受賞:監督賞/助演男優賞
第46回 英国アカデミー賞・受賞:助演男優賞
第67回 キネマ旬報ベスト・テン :委員選出外国語映画第1位/外国語映画監督賞
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映画『許されざる者』感想



この映画は、クリント・イーストウッドがスターとなった、マカロニ・ウェスタンの色よりも、それ以前のハリウッドの古典的西部劇の風格を保持した作品だと感じる。
しかし、そんな作風ながら、伝えているのは伝統的な西部劇の否定であると思われてならない。
この映画を詳細に見てみれば、実に丹念に過去の西部劇のメッセージに、反旗を翻し、馬鹿にし、嘲りさえしている。
この題名『許されざる者』とは、そんな西部劇が高らかに語ってきた男達の主張を、登場人物に擬人化して「許されない」と斬って捨ててるように見える。
つまるところ、この映画は古典的西部劇のテーマを否定する映画として、まずはその姿を現すはずだ。

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映画『許されざる者』解説

西部劇の語るもの



アメリカ映画協会(American Film Institute)は、西部劇映画を、「新しいフロンティアの精神、闘い、そして終焉を具現化するアメリカ西部を題材とした映画」と定義している。

そして、評論家フランクグルーバーは、西部劇の7つの代表的な物語を以下のように整理している。
@ユニオン・パシフィック鉄道の話:鉄道、電信線、または他の近代技術や輸送の建設に関わる物語。駅馬車の物語もこのカテゴリに分類され、西部に文明が広がる姿を描く。
A牧場の話:家畜泥棒や大規模牧場からの脅威に関係し、正当な牧場主が敵を強制的に排除させる物語。
B帝国の話:無から牧草地の大牧場を築いたり、石油帝国を構築する物語。
C復讐の話:往々にして、不当な扱いを受けた個人による、丹念な追跡と反撃が含まれ、また古典的なミステリーの要素も含まれる。
D騎兵とインデアンの話:騎兵隊が、白人の入植者のために荒野を「馴化」、インディアンを駆逐する物語。
Eアウトローの話:無法者のならず者が主役の活劇。
F保安官の話:保安官とその闘いが物語を推進する。

こんな物語の原型が示すのは、荒野と未開の大自然を前に、原住民(インディアン)の抵抗に会いながらも、白人西部開拓者が開拓し繁栄を築いたという、アメリカ大陸での勝利の歴史こそ西部劇が描いて来たものだった。

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つまりは西部劇とは、アメリカ合衆国の神話の創造に他ならない。

またその神話は、食うや食わずの貧困層が、一から成し遂げた奇跡だったはずだ。
それゆえ西部劇は、労働者階級の男達の、時として無法な、闘いや自己主張を描いた物語となる。

実際、開拓時代の西部は、法も未整備で、弱肉強食の、主張した者勝ちの世界だったように西部開拓史の本には描かれている。

それは、極端に言えば、開拓者は「弱い者=インディアン」から土地を奪い、酒場で「弱い者=娼婦」を弄び、その銃にモノをいわせ好き勝手に暴れまわっていた世界なのだ。

しかし、その西部劇の持つ男性的な世界観は、実にアメリカの男たちにとってアイデンティティの根本にあり、男の理想郷としてすら、捉えられているらしい。

そんな、男たちの「理想の王国」を再現したのが「西部劇」であり、その理想の男として憧憬を集めたのがジョン・ウェインに代表される、西部劇スター達だったのだろう。

とにもかくにも、西部劇の本質が「男権的な家父長制」に立脚しており、その映画が表すのは男に都合の良い世界観で構築されているのだという事を押さえてほしい。

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『許されざる者』解説

西部劇の否定


しかしこの映画は、感心するほど丁寧に、古典的西部劇の価値観を、丹念に否定していく。

男権主義の否定


古典的西部劇を踏まえて見た時、この映画はその男性優位の世界を、最初から否定している事に驚かされる。
冒頭のナレーションで主人公マニーを、酔っぱらいの、人殺しだと語り、更にその主人公が「妻=女」によって実直な農夫に変わったと表現される。
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これは、明確に男権社会を女性が切り崩している事を示している。
この「男権社会」の女性勢力による無力化は、主人公だけではなく、そのモーガン・フリーマン演じる、相棒ネッドも同様だ。

彼ネッドが家を出て行くときの、そのインディアンの妻の顔に浮かぶ軽蔑に満ちた表情が全てを物語っている。
つまりは主人公とネッドは「妻=女性」によって失った、西部劇の魂「男権主義」を、家を出ることで取り戻そうとするのだが、主人公マニーはすでに馬にも乗れないほどスポイルされているのだ。
そのことは、この映画の中で最も古典的な西部劇の登場人物である、保安官リトル・ビルが結婚せず自らの手で家を建てようとしてしている描写でも明らかだ。

それゆえ、伝統的な西部劇の登場人物、リトル・ビルは女にスポイルされるぐらいなら、1人で家を営むと言っている。
そして、その企ては家の建築が遅々として進まない事で、無理のある試みだとも語られているだろう。

また象徴的なのは冒頭の娼婦の顔に傷が付けられた事件だ。
この事件の発端は、娼婦がカウボーイの「男性器」を笑った事であり、それはそのまま男権に対する侮蔑であり、それゆえリトルビルは、カウボーイ達に温情を含めた裁決を下すのだ。
つまりは、第一にこの映画は過去の西部劇が語った「男尊女卑」を「男権主義」を否定してみせる。

英雄神話の否定

先に述べた男権主義の否定と関わって、「西部劇」で描いてきた「英雄的=ヒロイック」な行為を否定する。
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つまりは、かつてのアウトローのマーニーやネッドが、実際のところ無様な姿をさらすのもそうだし、ビリー・ザ・キッドのような若いガンマンのキッドが実際は殺人が初めてだったりする描写で、これでもかとばかり過去の「西部劇」の華やかな銃撃戦の虚偽を描き出す。
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更には、保安官リトルビルは伝記作家ブーシャンプに対し、決闘や対決のリアルな実態を暴き、それがそのまま西部劇における華やかなガン・ファイトがフィクションだと言い、それはそのままこの映画の主張に通じる。

そして、その無様なガン・アクションの総括として、「西部劇」で描いてきた銃撃戦とは、単なるぶざまな「暴力」にすぎないとその殺人シーンと、主人公マニーの言葉で語っている。

人種差別の否定


この映画がさらに否定する、西部劇の属性は「人種差別」だ。
かつての「西部劇」は、アメリカ大陸を白人が占拠する事の栄光を謳ったものだった。
そのため本来は犯罪行為にあたる、インディアンを駆逐する過程を、栄光として描いていた。
それは、黒人奴隷制の肯定や、ヒスパニックの差別、娼婦に代表される女性セクシャリティーに対する蔑視をも含んでいた。
保安官リトル・ビルが、ネッドや娼婦たちに見せる行動がそれを象徴している。
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私的権力の否定

「西部劇」の舞台である、西部開拓地は人もまばらで、法制度、社会制度が十分機能していなかった。
それゆえ、男たちは自由勝手に西部の町を、己の腕を頼りに押し渡れた。
しかし無法地帯の混乱を納めるために、各地の集落やコミュニティーは、各地で保安官を任命するなど手立てを講じた。
しかし、それら西部の町での権力とは、公的ルールが未整備なため、往々にして市長や保安官などの私利・私欲を守るための権力の行使となることもままあった。
この映画の保安官リトル・ビルに象徴的だが、しかしこの映画のリトルビルは、例えば『荒野の用心棒』で描かれたような悪人の保安官ではない

むしろ、かつての西部劇が主役として描いてきた、勧善懲悪の正義の保安官として登場していると感じる。
その上で、このリトル・ビルの振る舞いが真に正義と言えるのかと問いかけているのだ。

つまりは、カウボーイは助けるが、黒人を鞭うち、娼婦を蔑む、差別的なキャラクター。
そして、町に銃を入れないという私的ルールに象徴される、権力の専横下。
または、独立記念日に女王の話をしたとイングリッシュ・ボブを責める、愛国的保守性。
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また女王の話をしたな。独立記念日だってえのに!

しかし再び言うが、彼の属性は、かつて描いた「西部劇の正義」をそのまま体現した存在なのである。
その上でこの映画は、彼が悪だと主張しているのである。

つまり、この映画では西部劇で主張する正義の危うさを指摘し、その正義を否定しているのだ。

その象徴がリトルビルが建てている、いつまでも完成しない家であり、この西部劇的な正義に基づく限り、健全な社会は成立し得ないと告げているのである。

このことはクリントイ−ストウッドがジーンハックマンに対し、その役をかつてのロス市警本部長のダリル・ゲイツのように演じてくれと言ったことでも明らかだろう・・・・・・

ダリル・F・ゲイツ(元ロス市警本部長)
unfo-Daryl.jpg1992年4月末から5月頭にかけ、ロサンゼルス市警の黒人逮捕時の暴力に端を発し、ロサンゼルス暴動が発生した。
死者53人、負傷者約2,000人を出し、放火件数は3,600件、崩壊した建物は1,100件にも達した。被害総額は8億ドルとも10億ドルとも言われ、逮捕者約1万人のうち42%が黒人、44%がヒスパニック系だった。
その暴動の際、本部長ゲイツは何ら効果的な手を撃たず、傍観していたと非難された。
この暴動の背景には、ゲイツ指揮下の麻薬取締にかかる、特にマイノリティーに対する差別的な捜査があり、暴力的な嫌がらせ、監視が平然と行われ怒りが蓄積されていたためと言われる。特に1987年4月に始まった、オペレーション・ハマーではアフリカ系アメリカ人やヒスパニック系の青少年を対象として捜査を頻繁に行ったため、1992年のロサンゼルス暴動の原因となった可能性が高いという。


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映画『許されざる者』解説

真に西部劇の否定なのか?

今まで述べてきたように、この映画が過去の西部劇の価値観を、丹念に否定していることは間違いない。
結局のところ、過去のアメリカ社会における問題、人種差別や私的権力の行使による混乱が、西部劇が語る悪しき男権主義にあると告発する作品でもあるだろう。

そして、それはクリント・イーストウッドが古典的西部劇のスターではなかったからこそ、大胆に斬って捨てることが出来たのではないかと考えたりもする。

しかし、どうしても疑問に思う一点が、その結論を導き出すのを押しとどめている。
この映画の最後、10分の決闘シーンが、それまでこの映画の語った「西部劇の否定」とは違うメッセージを発していると思われてならないからだ。

それゆえ、この映画が語るものの個人的な結論は、結末を描いた「ネタバレ・ラスト編」の中で述べるのが適切だと思う。

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posted by ヒラヒ・S at 17:43| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする