2019年08月14日

映画『軽蔑』(1967年)ゴダールが軽蔑したものとは?/感想・解説・ゴダールの反商業主義・評価

映画『軽蔑』(感想・解説 編)

原題 LE MÉPRIS
英語題 CONTEMPT
製作国 フランス・イタリア合作
製作年 1963
上映時間 102分
監督 ジャン・リュック・ゴダール
脚色 ジャン・リュック・ゴダール
原作 アルベルト・モラヴィア


評価:★★★   3.0点



60年代とは、自由と民主主義に揺らぎが生まれた時期でした。
そんな時代に監督ゴダールは、反米を唱え「共産主義」を信奉するに至ります。

また同時に60年代とは、POPカルチャーなど、あらゆるモノが消費の対象となり大衆に届けられた時代でもあります。
それはブリッジド・バルドーなど映画女優もまた、セックス・シンボルとして女性「性」を商品化され、消費されていくのです。

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<目次>
映画『軽蔑』感想
映画『軽蔑』解説/ゴダールと反商業主義
映画『軽蔑』考察/作品中から見えるテーマ
映画『軽蔑』解説/ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル
映画『軽蔑』評価

映画『軽蔑』予告

映画『軽蔑』出演者

カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)/ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピコリ)/ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)/フランチェスカ・ヴァニーニ(ジョルジア・モル)/フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)/ラング助監督(ジャン=リュック・ゴダール)/撮影監督(ラウール・クタール)/シレン(リンダ・ベラス)
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映画『軽蔑』感想


この映画に関して言えば、当時マリリン・モンローの向こうを張って、フランス版セックスシンボルと呼ばれたブリジッド・バルドーの目力に圧倒されます。
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しかし映画自体の内容は、バルドーのスター性を生かす映画というよりも、ゴダールの政治主張を語る作品となっていると感じます・・・・・

その結果としてこの映画は、その作品中に違うベクトルを持ってしまった。

ブリジッド・バルドーの妖艶な魅力を楽しみたい観客には、ゴダールのテーマ性が邪魔になり、ゴダールの世界に入り込みたいファンにとってはバルドーの存在感が大きすぎるように見えます。

そんなこの映画の対立する要素を、以下にまとめてみました。

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映画『軽蔑』解説

ジャン・リュック・ゴダールの原理主義
ジャン・リュック・ゴダールという映画監督は、1950年代末期のフランス映画界から生まれ、世界に衝撃を与えたヌーベル・バーグの旗手として有名です。
そのスタイルは革新的で、それまで映画のプロフェッショナルが決してやらなかった、斬新な映像表現を生み出し、賛否両論を生みました。
関連レビュー:ヌーベル・バーグ解説
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーベル・バーグの開幕

しかし、なかなか戦闘的な方のようで・・・・・・・・

映画作品や、政治、社会の問題に関し、数々の発言によって論争や混乱を巻き起こしています。

その端的な例が1965年の『気狂いピエロ』で、この映画ではベトナム戦争を泥沼化させたアメリカ合衆国に対し批判を繰り広げます。
関連レビュー:ゴダールの反米主義
『気狂いピエロ』
ゴダール監督のベトナム戦争批判
ジャン・ポール・ベルモンド主演

そして1960年代当時のリベラルな人々が、権力に対抗する思想として信奉していた「共産主義」的主張を強く語るようになります。

そもそも1960年代後半の世界は、アメリカでの公民権運動や、日本の安保反対運動に見られるように、民主化を求める市民の声が高まり、国家権力に対し実力行使も辞さない世相だったのです。
そんな最中の1967年8月には、ゴダールは資本主義的なアメリカ映画を強く批判し、自らも商業映画を作らないとの決別宣言文を発表しました。
「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。」− ゴダール、『ゴダール全集』4巻(1968年刊)

つまりは、資本家や権力者のための映画ではなく、民衆のための映画という事でしょうか・・・・・
実際その「共産主義的理想」に対する強い意志を反映し、この宣言後1979年『勝手に逃げろ/人生』まで商業映画を撮りませんでした。

そんなゴダールの反商業主義の主張は映画界でも力を持ち、もう一人のヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったフランソワ・トリュフォーと共に扇動し、1968年の第21回カンヌ国際映画祭を、商業的だと批判し中止へと追い込んでいます(カンヌ国際映画祭粉砕事件)。
このカンヌ事件の背景には、1968年の同時期に発生した「5月革命」と呼ばれる、歴史的事件がありました。
フランスの五月危機(ごがつきき)は、1968年5月におきた、フランスのパリでおこわれたゼネスト(ゼネラル・ストライキ)を主体とした学生の主導する労働者、大衆の一斉蜂起と、それにともなう政府の政策転換を指す。五月革命ともいう。セックス革命、文化革命、社会革命でもあった。
パリ五月革命がドゴールを倒したという説は誤謬であり、ドゴールは選挙に勝ち、政権にとどまり続けた。しかし運動の影響で政権は弱体化し、翌年にはドゴールは辞任することになる。(wikipediaより)
<5月革命の様子>

しかし、この時盟友である2人の間に溝が生じます。

カンヌ映画祭の中止だけで満足するトリュフォーに対し、ゴダールはもっと政治的メッセージを主張したのです。

ゴダールは本気で、世界を「共産主義革命」によって再生しようと考え、中途半端な妥協を許せなかったのでしょう。

そして、トリュフォーの映画『アメリカの夜』をゴダールが批判したことによって、2人は決定的に仲違いします。
そもそもトリュフォーは、自ら「政治や戦争には興味がない」と公言していた人です。
関連レビュー:トリュフォー映画の資質
映画『華氏451度』
どうしたトリュフォー?SF映画を撮って明らかになった事実!
トリュフォーはなぜ恋愛映画ばかり撮るのか?

そんな彼が、共産主義のイデオロギーを前面に掲げたゴダールと、対立するのは致し方ない成り行きだったでしょう。
トリュフォーとゴダールを描いた映画<二人のふたりのヌーヴェルヴァーグ>

こうやって追ってくると、この映画『軽蔑』当時のゴダールは、作品そのものに政治的な主張を色濃く反映させていたと見るべきでしょう。

そんな彼の作品だと見れば、この映画『軽蔑』が語るテーマは「反商業主義映画」の原理主義的主張であると個人的には思えます。

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映画『軽蔑』解説

作品ストーリーからテーマ考察

この映画『軽蔑』の内容に即し、「商業主義映画に対するアンチテーゼ」というテーマがどう語られているか追ってみたいと思います。

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まず冒頭の映画の撮影シーンで、この作品が「映画」を語ったものだと宣言します。

さらに次の夫婦の寝室での会話シーンで、その色が赤白青とトリコロールに彩られ、愛のあるフランス夫婦だと語られます。
そしてその「愛」は、ドイツ人監督フリッツ・ラングが、イタリア・チネチッタ撮影所で撮る「オデッセウス」という真の映画の存在で、更に「映画愛」として登場します。

しかし、そこにジャック・パランス演じるアメリカ人映画プロデューサーが、金の力で「真の映画」を商業主義に満ちた作品に書き換えようとします。
それは「映画愛」を金で売るのに等しい行為でしょう。

その「改変=映画を汚す」仕事を依頼されたのが、フランス人夫婦の夫ミシェル・ピコリ演じるポールでした。
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彼は、プロデューサーがエロチックなシーンを入れろという要求に、アパートの支払いができるからと応じます。

つまりは、金で「映画愛」を売ったのです。
その事は、妻をプロデューサーの車に乗せ、自分は後から行くシーンでさらに補強されます。

妻さえも、「夫婦愛」さえ、金のためにこの夫は売りかねないと語られます。
その事が分かったからこそ、フランス人の妻は夫を「軽蔑」したのでした。

それでも夫ポールは、ユリシーズを監督するフリッツ・ラングとの会話中で、ユリシーズに自らを置き換え「貞淑な妻を信じ言い寄る男達を認めたユリシーズだったが、単純な妻はそれで夫を嫌いになった」と語ります。
しかし、ここには妻を裏切った夫の意思、「ユリシーズの功名心」「ポールの金銭欲」の存在を巧妙に隠蔽しています。
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結局、妻の心変わりが「自らへの愛よりも実利を取る夫の卑しさ」を軽蔑したという事実を、ポール自身悟っていながらそれを糊塗する男側の言い訳だと感じます。

それゆえ妻に生まれた「軽蔑」は、たとえ後で改心したとしても決して許される事がありませんでした。
更には「愛」を喪った妻自身も「金=アメリカ人プロデューサー」に走った所を見れば、一度「愛」という価値を喪えば「金」に支配されると語られているように思います。
いずれにしても、このゴダール映画の「金=商業映画」に対する見方は、100か0かに近い厳しいもので、少しでも金に目が眩めば地獄の底という断罪ぶりです。
この峻厳さは、ゴダールがそれほど強く映画の商業化に拒否反応を示してしていたという「証左」のように思います。

そんな事で、この作品を「夫婦関係のもつれ=夫婦愛の錯綜=男女の恋愛」だけで読むには、他の余分な要素が多すぎると思います。

しかし、この映画が「男女間の愛」を強く感じさせるのは、ヒロイン役のブリジッド・バルドーの存在があまりにも女性的で官能的で、ゴダールの意図を超えて主張してしまっているからではないかと感じられてなりません。
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映画『軽蔑』解説

ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル

この映画のヒロインを演じるブリジッド・バルドーは、フランスの官能的女優として人気を博しました。

ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934年9月28日 - )は、フランス・パリ15区出身の女優、ファッションモデル、歌手、動物保護活動家である。頭文字が B.B.であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébéとかけて「BB」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルであった。(wikipedia より)


このブリジッドバルドーに冠せられた、「セックスシンボル」が意味したものは何だったのでしょうか?
セックスシンボル(sex symbol)とは性的魅力があり、性的魅力によって人気を得る人物のこと。
「セックスシンボル」という用語は、マリリン・モンロー、ブリジット・バルドー、ラクエル・ウェルチなどの映画スターの人気に関連して、1950年代半ばに初めて使用された。この概念は、第二次世界大戦後の女性の性的・経済的解放の増加を反映したものである。(wikipedia より)

1950年代とは、第二次世界大戦中の総力戦を戦う中で、それまで主婦の役割に限定されていた女性たちが、兵士として出征した男性不在の社会で積極的な役割を持ち、社会参画に意義を見出す女性達が声を上げだした時代でした。
すでに家庭内での主婦に飽き足らなくなった女性たちは、フェミニズム活動を繰り広げ自分たちの権利を主張します。
関連レビュー:1950年代フェミニズムの誕生
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
1950年代のフェミニズムとアメリカンドリームの行方
ケイト・ウィンスレットとレオナルド・デカプリオ主演

そんな女性たちの自立と権利の主張は、家父長制の家族における貞淑な良妻賢母という価値感を突き崩して行きます。

そんな時代に新たな価値観を提示した女優が二人、ハリウッド映画界に出現しました。

一人はオードリーヘップバーンであり、もう一人がマリリンモンローです。

オードリーヘップバーンが表したのは、そのデビュー作『ローマの休日』からして、自立する女性の気品と高貴だったように思います。
関連レビュー:新時代の「お姫様=女性像」
映画『ローマの休日』

オードリーヘップバーン主演
恋愛映画の金字塔

対して、マリリンモンローが示したのは、女性「性」を商品化することで、自らの価値を高めうるという真実でした。
この戦略的「性の商品化」は、戦前の「グラマー女優=ピンナップガール」の色気を、さらに男たちの欲望に沿う形でチューンナップし提示していると思えます。
関連レビュー:マリリンモンローという女優
映画『七年目の浮気』

60年代の「ロリータ巨乳」伝説
セックスシンボルの誕生

マリリンはヌードモデルになったという過去がスキャンダル化してもなお、むしろスキャンダルを利用して男たちの欲望を掻き立てることに成功します。

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またマリリンは、「夜寝るときに身に着けるのはシャネルの5番だけ」(裸で寝る意)などと挑発的な言葉をインタビューに語り、自らの性的魅力を売り込むことに貪欲でした。

彼女は貧しい出自の生まれで、徒手空拳で「性的魅力」を武器に体一つで成功を勝ち取ったその姿も、また女性の自立の方法として現実社会の一典型だったでしょう。
太陽のような天真爛漫さとセクシーさを併せ持つマリリン・モンローだったからこそ、当時の公序良俗に反する「性の商品化」も際どく認知されたのだと個人的には感じられます。

しかし、自ら切り開いた「性の商品化=セックスシンボル」を演じることに疲れた彼女は、悲劇を迎えることになりますが‣・・・それはまた別の話。

つまり、この映画のブリジッド・バルドーも「性の商品化」というマリリンのビジネスモデルに、全面的に乗っかっていた女優だったわけです。
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映画『軽蔑』評価


上で見たように、この映画の監督ジャン・リュック・ゴダール が主張したかったのは、共産主義的な信念に基づく「反商業主義」だと思います。

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しかし、だとすれば、その主張とは真逆の価値を体現する女優を使ってしまった点に、疑問を持たずにはいられません。

つまり、ブリジッドバルドーという「セックスシンボル=性の商品化」である女優が、ゴダールのこの作品のメッセージを裏切ってしまっているのです。
そんな矛盾が、観客にとって混乱を生むことになり、この作品の真意を不明瞭にしているように感じられ、★3個としました。

結局のところ、「共産主義」など「反自然的=禁欲的な理想」は、「性=自然」のダイナミズムに常に敗れるという事かもしれません・・・・・



posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月02日

ゴダール映画『軽蔑』(1967年)バルドーの眼力を見よ!完全再現ストーリー/あらすじ・ネタバレ・ラスト・結末

映画『軽蔑』(あらすじ・ネタバレ 編)

原題 LE MÉPRIS
英語題 CONTEMPT
製作国 フランス・イタリア合作
製作年 1963
上映時間 102分
監督 ジャン・リュック・ゴダール
脚色 ジャン・リュック・ゴダール
原作 アルベルト・モラヴィア


評価:★★★   3.0点



女優ブリジッド・バルドー時に29歳、その肉体美に眼を奪われ、その濃厚な女が迸るような蔑みの視線に脳を焼かれます。
一方監督ゴダールは、この映画の4年後の1967年8月「商業映画との決別宣言文」を発表する以前に、映画産業界に対する軽蔑をこの映画で表白しているように見えます。

そんな事でこの映画は、ブリジッド・バルドーのスター性が魅力的ながら、ゴダール的な思弁性を秘めた映画だという印象です。

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<目次>
映画『軽蔑』ストーリー
映画『軽蔑』予告・出演者紹介
映画『軽蔑』解説/フランス映画の伝統と拡散
映画『軽蔑』ネタバレ・結末
映画『軽蔑』結末・ラストシーン

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映画『軽蔑』ストーリー


女優が歩くところをカメラが追う、映画の撮影現場。
そこにキャストとスタッフの名が描かれる。
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豊満な肉体がベッドの上に在る。
その肉体の主、女優カミーユ(ブリジット・バルドー)は夫に尋ねる。
私の体が好き?私の乳房と乳首のどちらが好き?
CONTEMPT_nake.png全部好きだと、夫で劇作家のポール(ミシェル・ピッコリ)は答える。

翌日、ポールはアメリカの映画プロデューサー、プロコシュ(ジャック・パランス)と撮影スタジオで会った。
通訳のフランチェスカ(ジョルジア・モル)を交え、監督フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)の撮った映画『オデッセウス』のラッシュを見た。
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見ながらプロコシュは、もっと色っぽいシーンを入れたいと言い、ポールにシナリオの改定を依頼した。ポールは胸に入れられた小切手を見てその仕事を受けた。

昼時になり、カミーユがスタジオに来た。
プロコシュはカミーユを見ると、二人を昼食に招待した。プロコシュはカミーユに、2シーターのスポーツカーに同乗しろと誘った。カミーユはポールと一緒に行きたいと言った。
しかし、ポールは気にしないから二人で先に行けと促した。
【意訳】プロコシュ:良ければ行こう。/プロコシュ:奥さん座って。/ポール:お宅で会おう。僕はタクシーを拾う。/カミーユ:彼に先に行ってもらって、2人でタクシーに乗りましょう。/プロコシュ:決めてくれ。

ポールがプロコシュ邸に着いた時、先着した二人は体を寄り添わせながら歩いていた。
妻カミーユは「遅い、30分も経っている」と夫を睨んだ。
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ポールは、事故があったと言い訳したものの、カミーユはそっぽを向いていた。
プロコシュは、カプリ島の別荘で行われるロケにポールとカミーユを誘った。それにカミーユは「夫が決める」と答えた。

アパートに帰ってから、カミーユは前夜と人が変わったように不愛想だった。
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夫ポールはその理由を問い質すが、妻は答えず苛立った夫は妻に手を上げた。
その日から、二人は寝室を別にした。

電話がなり夫婦は映画の参考にと、プロコシュと共に映画館に行くことを求められた。
ブロコシュからカプリ島への誘いが再び在り、ポールは「カミーユ次第だ」と返事し、それを聞いた彼女は再び不機嫌になり「もうあなたを愛していない。あなたを軽蔑する」と口に出した。
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映画館で夫婦はほとんど口をきかなかった。

結局カミーユはカプリ行きを承知した。
カプリ島の海に浮かんだ船上で撮影が進む。プロコシュは撮影中にもかかわらず、一足さきに別荘に帰ろうとカミーユを誘った。
カミーユは夫の顔を見つめたが、ポールは「行きなさい」とカミーユを促した。
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別荘に戻ったポールは、窓際で口づけを交わすカミーユとプロコシュの姿を目撃する。
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拳銃を忍ばせたポールは、カミーユになぜ軽蔑するのかと詰問した。
カミーユはもう愛していない、あなたと別れると告げる。
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ポールは、もうこの映画の脚本の仕事は降りる。劇作家に戻るとカミーユに告げ、一緒に島を出ようと懇願した。
しかし、カミーユは裸で海に飛び込み泳ぎ去った。

翌朝、帰り支度をするポールのもとに、カミーユの置き手紙が届いた。
妻は「プロコシュとローマに立つ」と書き残していた。
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映画『軽蔑』予告


映画『軽蔑』出演者


カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)/ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピコリ)/ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)/フランチェスカ・ヴァニーニ(ジョルジア・モル)/フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)/ラング助監督(ジャン=リュック・ゴダール)/撮影監督(ラウール・クタール)/シレン(リンダ・ベラス)
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映画『軽蔑』解説

フランス映画の伝統と拡散

いきなりですが、フランス映画といえば「ヌーヴェルヴァーグ」が思い浮かぶ、古い世代に属する私です。
しかし最近のフランス映画のバリエーションは、実に多岐に渡っており、是非その魅力をお伝えしたい・・・・・・
という事で、当ブログで紹介したフランス映画のレビューをご紹介しようという、ゴリ押し企画です。

まずは、ハリウッド的なフランス映画を撮るフランス人監督のパイオニア、リュックベッソン監督1990年の作品から。
関連レビュー:フランス映画の過剰なロマンティズム
『ニキータ』
リュック・ベッソン監督の語る美しき暗殺者
名作『レオン』につながる、ジャン・レノ主演作


しかし、フランス的伝統を継承する監督も。1991年レオス・カラックス監督。
関連レビュー:フランス恋愛至上主義映画
『ポンヌフの恋人』
フランス的恋愛の狂おしい世界
レオス・カラックス監督、ニュー「ヌーヴェルヴァーグ」


こちらもフランス的な味わい。2001年ジャン・ピエール・ジュネ監督。
関連レビュー:フランス恋愛至上主義映画
『アメリ』
パリのメンヘラ少女の恋
不思議少女のパリ生活を描いて大ヒット!!


フランスと世界で大ヒット2011年、ハリウッド的作風のエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュ共同監督作品。
関連レビュー:実話映画!フランス階級社会の奇跡
『最強の二人』
フランスの大富豪障碍者と黒人失業者の絆
心温まる大ヒット・トゥルーストリー


アカデミー作品賞、 アカデミー主演男優賞2011年の ミシェル・アザナヴィシウス監督作品。
関連レビュー:フランス発・現代版サイレント映画
『アーティスト』
オスカー受賞の現代サイレント映画
この映画はレイプか?


フランス移民によるフランス映画、2012年ダニエルコーエン監督。
関連レビュー:差別的「笑い」表現の生まれた理由
映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏にようこそ』
ジャン・レノの「侍」とミカエル・ユーンの「ゲイシャ」
監督ダニエル・コーエンと差別表現

こうやって、上げてみるとフランス的な作家主義が強い作品と、ハリウッド的明快な映画とに分かれるようにも思います。

そして2010年代に入ると、ハリウッド風の単純明快な映画が増えているようにも感じ、フランス的個性が喪われつつあるのかと、すこ〜〜し心配になったりします。
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以下の文章には

映画『軽蔑』ネタバレ

があります。
(あらすじから)
ハイウェイを走るスポーツカーにカミーユとプロコシュが乗っていた。
プロコシュはガソリンスタンドに給油で止まると、ローマで何をするとカミーユに尋ねた。
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カミーユはタイピストになると答え、再び車に乗り込む。

道路上の大型車との事故。
衝突したオープンカーでは、二人の男女が死んでいた。
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カミーユとプロコシュだった。

映画『軽蔑』結末・ラストシーン

2人が事故に会った事も知らず、島を去るポール。
ラング監督と別れの挨拶に向かう。
【意訳】ポール:元気で/通訳フランチェスカ:さようなら/ポール:さようなら。(階段を上るポール)ラング監督さよならを言いに来ました。/ラング:さようなら。これからどうする?/ポール:ローマに帰り、劇を書きあげます。あなたは?/ラング:映画を仕上げる。いつだって始めたら終わらせなければ。/ポール:どんなシーンを撮ってるんですか?/ラング:ユリシーズが再び母国を眼にする場面だ。/スタッフ:準備オッケーですラング監督/スタッフ:お静かに!




posted by ヒラヒ・S at 16:56| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月11日

映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏〜』料理・人種差別反対!/感想・解説・差別表現・批判

映画『シェフ! 三ツ星レストラン〜』(感想・解説・批判 編)

原題 COMME UN CHEF
製作国 フランス
製作年 2012
上映時間 85分
監督 ダニエル・コーエン
脚本 ダニエル・コーエン

評価:★★☆    2.5点



この映画は、軽快でオシャレなコメディー風味で、肩ひじ張らず楽しめる作品に仕上がっています。
ネットの映画採点を見ても、「YAHOO映画」で3.7/5、「ぴあ映画生活」で77%、グーグルで84%の評価を受けていますので、多くの観客が見て損はないと感じている作品です。

しかし個人的な評価としては、疑問を感じざるを得ない描写があって、低い点となりました。
以下、その理由を述べさせて頂ければと思います・・・・・・・

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<目次>
映画感想
映画解説「分子ガストロノミー」差別
映画解説「人種差別」
映画解説「映画が差別的になった理由」

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映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』予告

映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏〜』出演者

アレクサンドル・ラガルド(ジャン・レノ)/ジャッキー・ボノ(ミカエル・ユーン)/ベアトリス(ラファエル・アゴゲ)/スタニスラス・マテール(ジュリアン・ボワッスリエ)/アマンディーヌ (サロメ・ステヴナン)/ティティ(セルジュ・ラヴィリエール)/ムッサ(イサ・ドゥンビア)/チャン(ヴァン・ヘイ・ミーン)
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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 三ツ星レストランの舞台裏へようこそ』感想


この映画の冒頭『ポール・ポーキューズ』の名前がいきなり登場し、フランス料理を描く作品らしいオープニングにワクワクします。
ポール・ボキューズ(Paul Bocuse, 1926年2月11日 - 2018年1月20日)は、フランスのリヨン近郊にあるレストラン「ポール・ボキューズ」のオーナー3つ星シェフで、ボキューズ・ドール賞の創設者。(右写真)
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第二次世界大戦後の1946年、リヨンの「ラ・メール・ブラジエ」(La Mère Brazier)で修行した後パリでもキャリアを積み、「ラ・ピラミッド」のフェルナン・ポワンに大きな影響を受けた。1959年に生家のレストラン「ポール・ボキューズ」を継いで、1961年には国家最優秀職人章(MOF)を取得、1965年に得たミシュランの3つ星を50年以上維持した。
鱸のパイ包み焼きや、料理人としてはじめてレジオン・ド・ヌール勲章を受勲した際、ヴァレリー・ジスカール・デスタン大統領に捧げたトリュフのスープはあまりに有名。クレーム・ブリュレを今の形にしたのも彼である。(wikipedia より)

しかし、見て行く中で期待はじょじょに裏切られ始めました。
いろいろ料理について語るものの、なぜか料理がおいしそうに見えない。
たとえば、フランス料理を描いた映画であるなら、かの名作『バベットの晩餐会』のごとく、しっかりメニューとその皿を描いてもらい、食べたいという気持ちにさせて欲しかったのです。
関連レビュー:フランス料理と神の恩寵
映画『バベットの晩餐会』
ガブリエル・アクセル監督のフランス料理映画の傑作
88年度アカデミー外国語映画受賞作

さらに違和感を感じたのは、フランス映画のはずなのに、フランス映画らしい味わいが感じられなかった点です。
たとえば、フランス映画の演出では、ストーリーに必要とされる以上に、細部に華麗な装飾をほどこし、アクション映画を描きながら恋愛ロマンにしか見えないなど・・・・・・
関連レビュー:フランス映画の過剰なロマンティズム
『ニキータ』
リュック・ベッソン監督の語る美しき暗殺者
名作『レオン』につながる、ジャン・レノ主演作

フランス映画が持つ、隠喩的ロマン主義とでもいうべきものが見えず、作家主義的な特徴も無く、シンプルでストレートな語り口に、ちょっと肩透かしを喰らった気になったのです。
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脚本と監督を務めた、ダニエル・コーエン(写真)という人物は、1964年 アルジェリア生まれという事でフランス文化圏で生まれ育ったのは間違いないと思います。
しかし、そのキャリアを見てみると、イギリスで撮影監督を2本やり、『エイリアン VS ヴァネッサ・パラディ』というフランス主体の映画で俳優をやったりと、キャリア自体を見てもそこまでフランス映画にしっかり関わってないのかもしれません。

そんなこんなでフランス的でない、どこかハリウッド映画のような起承転結のシンプルな割り切り方は、フランス映画的な含みがなく、薄くて軽いなと感じたのでした。
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考えてみれば、最近のリュック・ベッソンに代表されるような、ハリウッド的な娯楽作品を撮るフランス人監督達の画風には、一見ハデで華やかに見えても、この映画のようにどこか空虚な印象があります。

それは、ハリウッド的な大スターと資金量が無い中で、単純な(万人に判りやすい)ハリウッド映画文法に則れば、必然的に迫力が薄い作品が生まれざるを得ないのではないかとも考えたりします。
つまりは、単純なストリーな主張に説得力を持たせるには、過去の同種映画より多くの物量が無ければ迫力を生めないだろうと思えるのです。その事実はハリウッドの映画製作費が、昨今では数百億ドルにまで脹れあがっている事でも明らかではないでしょうか・・・・・

さらには、アメリカ文化が信じる「ルールに則った上での公平な競争」という理念があるからこそ、勧善懲悪やハッピーエンドのシンプルな物語を信念を持って語れるのでしょうが、ヨーロッパ的な階級社会に在ってそんな「公平」を元にした「成功物語」にリアリティがあるのかとも思ったりします・・・・・・・・・
しかし、このハリウッド的なフランス映画だという点で期待と違う、また料理映画なのに料理がしっかり描写されていないなどは、個人的な思い込みを裏切られたというだけのことです。

しかし、個人的思い入れと映画の完成度とは、また別の問題だというのは、我ながら承知しております。
そういう意味では、決して物語として破綻しているわけではなく、笑いを交えながら、1人の夢見がちな男の成功物語を上手く書いて、さらに「人生で大事なモノ」なんてテーマも明快に描かれていると思いました。
また、キャステイングに関してはほぼ完璧で、特に女優陣が素晴らしいと感じて、フランス女優の伝統は守られているのだなぁ〜と感慨深いものがありました。
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そんなこんなで、脚本・編集・演出・撮影など映画技術として評価させて頂ければ、★4つは付けたい作品でした。
しかし、作中でいう所の「分子料理」、一般的に「分子ガストロノミー」と呼ばれる料理の扱いに納得がいかず、さらにはそこから派生して、この監督には差別的な傾向があるのではないかと思えたのです。

下に★1.5点を引くことになった詳細を書かせて頂きます・・・・・・

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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/差別表現

「分子料理=分子ガストロノミー」差別

この映画には、個人的には明らかに差別表現があるように感じられて、★1.5点を引きました。
この映画はコメディーなので、どこかで笑いを産まなければなりませんが、どうもその笑いが他者を侮蔑する形で作られているように感じたのです。

まず気になったのは、「分子料理=分子ガストロノミー」の表現です。
この映画で描かれているのは、こんなカンジ・・・・・・

【意訳】シェフ・ラガルド:それで?/黒人助手:カモの粉を細かく入れたみたいな。/アジア系初老助手:魚っぽい。/シェフ・ラガルド:本当だ。お前は魚とカモを一緒にした!/分子料理家:たぶんコンデンサーの問題だから、確かめなくちゃ。/分子料理家:味見して、ラガルドさん。本当のカモのエッセンス。/シェフ・ラガルド:違うな。これはラズベリー。/分子料理家:続けデ、食べ続けデ。(キッチンで爆発)/シェフ・ラガルド:どうした?/分子料理家:心配ナイ。ラガルドざん。普通の科学的反応でスカラ。

実際ここには、「分子料理=分子ガストロノミー」への侮蔑のみを感じ、敬意を感じません。

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しかし「分子ガストロノミー」をゲテモノ料理扱いしているのは、現代で料理を描く映画としてはいかがなものかと思わずにはいられません。

フランス料理が、19世紀前半のシェフのアンナトン・カレームや、19世紀後半にの偉大な料理人オーギュスト・エスコフィエによって世界的な名声を勝ち得た時、それは旧来の料理に対する革新的なアイデアと共にあったのです。
そして「分子ガストロノミー」も、そんなフランス料理が成し得た革新に、科学的な知見を加えることで、更なる味覚の地平を切り開く21世紀の革新だったのです。

たとえば、分かり易く言えば、「青物を茹でるときには、湯に塩を入れなくてはならない」とか「肉の表面を強火で焼くと肉汁が閉じ込められる。」という料理界の常識は、実はまるで嘘だったと「分子ガストロノミー」によって科学的に証明されたおかげで、肉の調理のバリエーションが増え、新たな料理が生まれるという具合です。

そんな「分子ガストロノミー」を代表する料理人が、スペイン人シェフのフェラン・アドリアです。
フェラン・アドリア(カタルーニャ語: Ferran Adrià i Acosta、1962年5月14日 - )は、スペイン・バルセロナ県ルスピタレート・ダ・リュブラガート出身の料理人。ジローナ県ロザス近郊にあるエル・ブジの料理長だった。世界有数の料理人とみなされている。(wikipediaより)
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<フェラン・アドリアのドキュメンタリー映画予告>

このフェランを意識しているからこそ、上の「スペイン人分子料理家」の登場となるわけです。

しかし、この現代の美食「分子ガストロノミーをゲテモノ」扱いする事が正しいでしょうか?

料理を題材とする映画ならば、料理に対して敬意を持つべきではないでしょうか?

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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/人種差別表現


こんな「分子料理=分子ガストロノミー」への侮蔑的表現を見ていると、この映画は本質的に差別があるように思えてきました。
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たとえば、スペイン人の分子料理家は、スペイン語なまりのフランス語で、興奮すると「アナタ、怒る、ワダシ、カエル!」というような口調になり、これはスペイン人から見れば差別的でしょう。

そんな人種差別的な表現は、主役二人も日本人に化け見せてくれます。
分子料理家を追いだしたものの、ミシュランの採点者の嗜好に合わせなければクビになる二人は、致し方なく「分子料理」を出している、ライバルの店に日本人大使館員夫婦に化け偵察に行くというシーンです。
【意訳】ウェイトレス:レモン味カラメル・ネギです。/ジャッキー:これが?/ウェイター:野菜畑のビーフです。この葉を嗅ぎながらお食べ下さい。/ジャッキー:難しいわ。/ウェイター:ご自分で/ジャッキー:面倒ね/ラガルド:アリガト(日本語)/ウェイター:シリル料理を堪能ください。/ジャッキー:取れない。/ラガルド:香りは面白い。スッパイ。(麺をすするのを見て)どう?/ジャッキー:胸腺だ。胸腺スパゲッティ―。
正直一番笑えるシーンだったのは間違いありません。
しかし、差別目線で見ると、今時チョンマゲとゲイシャの日本人というのも驚きます・・・・・・
まるで60年代のハリウッド映画の「ホワイト・ウォッシング=イエロー・フェィス」の差別的表現を見るようです。
関連レビュー:「ホワイトウォッシング」問題を徹底解説
日本人を白人が演じた実例集
アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシング」反対意見

いくら、コメディーだとはいえ、この映画の「笑い」は差別的な笑いに満ちているように思えてなりません。

そう思うと、映画のそこここに、そんな悪意を感じだしてしまいました。
たとえばジャン・レノ演じるシェフを裏切る、二人の副シェフの存在も気になります。
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この裏切り者は、アジア系と仏領アフリカ北部の出身に見えます。

さらには、主役2人を助ける3人の助手は、彼らの成功に貢献したように思いますが・・・・・・・・
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主人公2人は人生の成功を納めたのに対し、彼ら非白人種の3人は元の老人ホームのコックに逆戻りする事にも、どこか釈然としません。

実を言えば、個人的には「ホワイト・ウォッシング=イエロー・フェィス」に限らず、他人種を描くには2種類あると考えています。
1つは、愛のある、尊敬のある「敬意を含んだ他人種表現」。
もう一つは、蔑んだ、嘲笑を含んだ「悪意を含んだ他人種表現」です。

そして、この映画は間違いなく後者であり、ここに「侮蔑」と「あざけり」を個人的には感じたのでした。

次では、その差別が起きた理由を、追求したいと思います・・・・・・
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以下の文章には、この映画に対する悪評があります。ご注意ください!

映画『シェフ! 』解説/人種差別と国粋主義


こうして差別の例を検証してみると、一つ気付いた事があります。
この映画は、フランス人シェフとフランス料理の栄光を描いて、それ以外の料理や人種を評価していないのです。
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つまりは、この映画は「料理映画」ではなく、「フランス万歳!国粋映画」なのだと。

けっきょくは「フランスの愛国者」が作った映画であるがゆえに、他の「人種・文化」を笑いものにしていると見えたのです。
そう思ってみれば、フランス以外を笑いものにする必然性も分かるように思います。

しかし冒頭の「感想部分」で述べたように、この映画は「フランス料理」を美味しそうに描けず、さらには「フランス映画的」な味わいも生めませんでした。
本来、フランスを愛するのであれば、フランスの栄光を形として見せるべきなのに、それが出来ていない矛盾。

その「愛の証明」の不出来な分、「フランスの外を嘲笑」することで「フランス愛」を主張しているように見えてしまいます。
いずれにしても、他の文化や人種をコキおろして、自国のプライドをくすぐるような作品を私は好きになれませんでした。
こう書いて来ていながら、実を言うと「差別的」な事を書くようで、気が引けるのですが・・・・・・
この映画の監督の出自が気になってきました。
この監督、ダニエル・コーエンはアルジェリア生まれという事で、フランス植民地の出身です。
そういっては何ですが、フランス社会では異邦人です。
関連レビュー:フランス階級社会を解説
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フランスの大富豪障碍者と黒人移民の絆
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実を言えば、そんな社会内の非正統、傍系であるがゆえに、よりフランス人たらんとして「フランス愛国者」「フランス至上主義」になってししまったのかと想像したわけです。

そう思えばこの映画には、フランスで成功できない移民の悲しみと、それでもフランスを愛さざるを得ない移民の、アンビバレンツな痛みを感じたのでした・・・・・



posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | フランス映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする