2018年04月26日

実話映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』ネタバレ・ラストシーン/結末感想・表現の自由解説

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(ネタバレ・ラスト 編)

原題 The Post
製作国 アメリカ
製作年 2017
上映時間 116分
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚本 リズ・ハンナ、ジョシュ・シンガー


評価:★★★★    4.0点


この映画は、明確にトランプのメディア批判「フェイク・ニュース(偽報道)」に対する、表現者側からの"No"を宣言した映画だと思います。
そんな「権力の横暴」に対して「報道の正義」を守る姿を、メリル・ストリープとトム・ハンクスが説得力に満ちた演技で表現して、胸を打ちます。
ここには、民主主義の根本原理である、個人の自由意思を守るために戦う「理想主義」があると思います。

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映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』予告

映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』出演者

メリル・ストリープ(キャサリン"ケイ"・グラハム)/トム・ハンクス(ベン・ブラッドリー)/サラ・ポールソン(トニー・ブラッドリー)/ボブ・オデンカーク(ベン・バグディキアン)/トレイシー・レッツ(フリッツ・ビーブ)/ブラッドリー・ウィットフォード(アーサー・パーソンズ)/ブルース・グリーンウッド(ロバート・マクナマラ)/マシュー・リス(ダニエル・エルズバーグ)/アリソン・ブリー(ラリー・グラハム・ウェイマウス)/ジョン・ルー(ジーン・パターソン)/デビッド・クロス(ハワード・サイモンズ)/フィリップ・カズノフ(チャルマーズ・ロバーツ)/リック・ホームズ(ミュリー・マーダー)/パット・ヒーリー(フィル・ジェイリン)/キャリー・クーン(メグ・グリーンフィールド)/ジェシー・プレモンス(ロジャー・クラーク)/ザック・ウッズ(アンソニー・エセー)/ブレント・ラングドン(ポール・イグナシウス)/マイケル・スタールバーグ(エイブ・ローゼンタール)/ジャスティン・スウェイン(ニール・シーハン)


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以下の文章には

映画『ペンタゴン・ペーパー』ネタバレ

があります。

「会社倒産の危険」を冒しても「報道の自由」を守るべきか、その決断をポスト紙社主キャサリン・グラハムは下さねばならなかった。
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究極の選択に対し、キャサリンの出した答えは「GO」だった。
彼女は役員たちの反対を押し切って、涙を滲ませた眼で「ペンタゴンペーパー」の掲載を、編集長ベン・ブラッドリーに指示した。
ワシントンポストで輪転機が回り、新聞が刷り上がって行く。

しかし、その同時刻ポストの弁護士は文章を入手した編集者ベン・バグディキアンに、文章の情報源を問い質していた。
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もしニューヨーク・タイムズと同じ情報源であれば、法廷侮辱罪となり全員逮捕実刑を科せられると言うのだ。
バグディキアンは情報源が同一であることを認め、その情報は編集長ブラッドリーから、社主キャサリンにも知らされた。

キャサリンの家に、急遽ポスト首脳陣が召集された。
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ブラッドリーは、家族で引き継いできた会社を喪い、罪人となりかねない、キャサリンの決断の重さに、掲載中止も止むを得ないと理解を示した。
<キャサリンの重責を語るグラハムの妻>

また、経営陣は記事を掲載すれば会社が潰れると強く反対した。

その時キャサリンは、その記事によって「ベトナムの兵士の命が危険にさらされる事」は絶対に無いかと編集長ブラッドリーに訊ね、彼は「ない」と答えた。

そしてキャサリンは「報道の自由を守る」と言い、「ペンタゴンペーパー」の掲載を決断した。
なおも反対する役員に向かって、「社主は私です。反対するなら役員を止めてください」と毅然と告げた。

ホワイトハウスは報復を行い、時を置かず最高裁判所よりポスト紙とタイムズ紙の記事差し止めを提訴した。
両紙は憲法修正第1条(報道・表現の自由の条項)に則り「ペンタゴンペーパー」を公表する権利があるとして、差し止めは憲法違反だと提訴し対抗した。
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そんなポストの戦いに、全米の新聞各社も呼応し、一斉に「ペンタゴンペーパー」を紙面に載せた。
ニクソン大統領率いる政府と報道機関の対決の行方は、人々が注目するなか最高裁の判決に委ねられた。
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映画『ペンタゴン・ペーパー』ラスト・シーン


ポスト社内で、最高裁の判決の結果が読み上げられた。
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判事達は6-3の評決で「報道の自由」を支持した。
その判決文には「建国の祖達が、報道の自由を認めたのは、国民の自由と権利においてそれが重要だからであり、報道は国家権力のためではなく国民のために在る」と述べられていた。

ホワイトハウスでは、電話を握ったニクソン大統領が、ポスト紙をホワイトハウスに今後は絶対入れるなと怒りをぶちまけていた。
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その1年後、ウォーターゲート・ビルの警備員は、深夜怪しい人影を発見した。

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映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』感想・解説

「表現の自由」の重要さ

この映画で語られている、報道の自由を守るための闘いの激しさに、胸打たれました・・・・・
しかし同時に、昨今のヤラセや虚偽報道を聞くにつけ、そんなに「報道の自由」と偉そうに主張すべきことなのかと、正直不思議な気もしました。

そこで浅学の身としては、そんなに大騒ぎするほど大事なモノかと、ちょっと調べてみたところ・・・・・・・・
驚くことに、そんな付け焼刃で覗いただけでも、実に「報道の自由=表現の自由」というものが、民主主義の根幹に関わる重大事だと知ったのでした。

表現の自由(ひょうげんのじゆう、英: freedom of speech)とは、すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利。 外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由。 個人におけるそうした自由だけでなく、報道・出版・放送・映画の(組織による)自由などを含む。(Wikipedia)

この表現の自由、自らを自由に表現できるという行為が無ければ、民主主義は成立しないという驚愕の事実。

それはこんなワケでした。

@民主主義とは、それを構成する有権者の意見の集約により成立する。

Aその構成員の意見の表明が、何らかの圧力や実害によって妨げられれば、集約された意見は非民主的な結果を生む。

B従って、民主主義が機能するための絶対条件として、表現の自由が必要不可欠だ。

Cそしてまた、表現の自由のためには、権力によって歪められたりしない正確な情報が不可欠であるため「報道の自由」が担保されねばならない。

違ってたらゴメンナサイ・・・・・

ザックリこういう事だと理解しました。
もしこの解釈が正しければ、民主主義を取っている政治体制において、表現の自由を守ることこそ、その有権者の代表を務める為政者の成すべき最低限の義務であるに違いありません。

そう思う時、日本の現状、日本の政治家、総理を筆頭とする政府与党に、その意味が真に理解できているでしょうか?

高市 早苗・総務大臣当時「電波停止」発言(2016年2月8日)
高市氏の「停波」発言.png(毎日新聞2016年2月18日東京夕刊より)

表現の自由があるからこそ、民主主義の政治家・政府はその「正当性を担保」されているのではないのですか?

個人的に、その「民主主義が機能する絶対条件として、表現の自由が必要不可欠」という原理原則から言えば、民主的な政体にあって「為政者側=権力者側」が「検閲」と取られかねない言葉を発する事は、民主主義の原理を自ら否定するものだと、言わざるを得ません・・・・・

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もちろん、この表現の自由に関しては、権力者側の言い訳として「公共の利益に反しない限り」などという付帯条件もあったりします。

それで、たとえばこの映画のニクソン大統領のように、「ペンタゴンズペーパーの公開」が公共の利益に反する(ベトナム戦争の勝敗に関わり、国家利益を損ねる)という主張も出てくるわけです。

たしかにベトナム戦争という戦時下の、国家的非常事態にあって、政府の過去の戦争作戦行動が明らかになるのは、ニクソンでなくとも避けたいというのは本音でしょう。


戦争遂行に関してプラスかマイナスかを考えれば、「ペンタゴンズペーパーの公開」は決して戦略的な自由を拡大する方向にない事は明らかだからです。

そして、映画の中では、そんな政府側の「国家利益=公共利益の損失」という主張と、報道各社が主張する「表現の自由」とが衝突し、その裁定が最高裁で結論づけられたのです。

結果は映画で語られたように、最高裁判事9人の評決の末「表現の自由」に軍配が上がりました。
その判決理由の一部が、作中で引用されています。
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いわく『建国の父祖は、憲法修正第1条(報道・表現の自由の条項)において、それが我々の民主主義での重要な役割を成し遂げるために受けるべき保護であるとして、報道の自由を与えた。報道は市民に仕えるもので、権力者のためではないからだ。』

これは、報道を含めた表現の自由の力によって、権力者と為政者の不正を正すことができ、それがひいては主権者である市民を守り、国益を守ることに通じるのだという、「民主主義の原理原則」の理想を語った判断だろうと思います。

しかし、評決が6対3の結果だと語られている通り、3人の判事が反対をしていることも事実です。

そしてこの賛成票6も、ベトナム戦に対する国民的な忌避感と、ニクソンを含めた歴代大統領の明らかな虚偽という、国民に対する背信行為があってこその「表現の自由」の勝利であり、その時の社会情勢によってはひっくり返る可能性もある、危ういバランスの上にあることも間違いありません。
それは、「9.11同時多発テロ」の後に「愛国者法(反テロ法)」ができたように、「表現の自由」を尊ぶアメリカですら、時の国民感情によって法の解釈も変容していくのですから・・・・・・

過去の歴史は、権力は拡大し暴走しようとするベクトルを持っていると語ります。

その暴走を常に国民は、懐疑と危惧を持って注視し、その自由を失わないよう努めなければならないのでしょう。

その最も有効な監視装置として、政権と対峙し、凝視し、過誤を問い、警鐘を鳴らすためにマスコミ各社は存在しているのだとこの映画は語っています。







posted by ヒラヒ・S at 17:20| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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