2017年11月12日

リメイク映画『許されざる者』(2013年)李相日監督の描いたもの/ネタバレ感想・解説・批判

日本版『許されざる者』(感想・解説 編)


製作国:日本
製作年2013年
上映時間135分
監督:李相日
アダプテーション脚本:李相日
オリジナル脚本:デヴィッド・ウェッブ・ピープルズ



評価:★★☆   2.5点



この映画『許されざる者』は、クリント・イーストウッド監督主演の1992年の名作のリメイクです。
オリジナル版を、日本の実力派俳優が忠実に演じ、その設定も上手く置き換えた努力に頭が下がります。
しかし、忠実であればあるほど、この映画が語る本質が不明瞭になりはしなかと疑問を持ちました・・・・・・

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映画『許されざる者』出演者

yuru-cast.png釜田十兵衛(渡辺謙)/大石一蔵(佐藤浩市)/馬場金吾(柄本明)/沢田五郎(柳楽優弥)/なつめ(忽那汐里)/お梶(小池栄子)/北大路正春(國村隼)/堀田佐之助(小澤征悦)/堀田卯之助(三浦貴大)/姫路弥三郎(滝藤賢一)/秋山喜八(近藤芳正)

映画『許されざる者』予告

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以下にはネタバレが含まれています。

映画『許されざる者』感想



この映画の重厚な画作りと、地に足の着いた演出は、見事に人の世の苦悩をスクリーンに定着したものだと感心した。
yuru-risou.jpgこの暗い画面は、イーストウッド監督の「黒=闇」の存在感に十分匹敵する力があると思う。
この映像に込められた深く強い情念は、監督李相日の優れた資質が表現されたものだろう。(右:李相日監督)
最後の殺陣も迫力があり、北海道の厳しい自然の中で繰り広げられる闘争劇は、リアリティーと力強さを感じた。

そんなドラマの集積として、この映画が語ったのは、貧困ゆえに人を殺す「許されざる者の悔恨」の物語だった。
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それは「武士は喰わねど高楊枝」という、プライドに生きる事を義務付けられた侍階級の者であっても、主人公が表したように食い詰めれば金のために人を殺すと語られているだろう。

その武士の悲哀は、賞金稼ぎの元武士・北大路正春にも共通する。
そして同じ武士階級でありながら佐藤浩市演じる警察署長・大石一蔵は、勝者としてその警察権力を恣意的に行使し敗者を痛めつける。
ここには残酷な、人生における勝者と敗者の構図があるだろう。
さらにこの映画に描かれた敗者は、落魄した武士だけでなく、アイヌの民、女郎たちをも含んでいる。

つまるところ、勝者とは歴史上常にメジャーな存在であり、敗者となるがゆえにマイノリティーに落ちるのだろう。

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そして、マイノリティーを代表して「メジャー=体制側」に挑んだ主人公は、一時メジャーを倒したとしても、制度としての体制側を打ち崩すことは出来ず、結局犯罪者として追われ、逃亡し続けなければならない。


炎で全てを焼くつくそうにも、その火が消えれば地獄の業火に焼かれるのは、己自身でしかない。
それは彼が敗者の屈辱を、暴力という形で爆発させたからだった。
つまりこの「武士=支配階級から落ちた反体制分子」は、マイノリティーの鬱屈を背負いテロルを行使した「反逆者=ルサンチマン」だった。


それは、旧幕府の崩壊により必然的に背負った業だったろう。
考えてみれば、薩摩長州の討幕の根源に、関ヶ原の徳川に対する屈辱があったとすれば、歴史の回転とは「ルサンチマン=憤り・怨恨・憎悪」より生まれるのかもしれない。

この映画が語る「敗者=マイノリティー」が持つ情念・恨み・鬱屈の強さは、映画の警察署長が代表するように、日本社会が持つ「勝者=お上」の強権によって、更に深く強く骨身に血肉に沁み込んでいくだろう。

そんな歴史の中で日本人が背負った「業の深さが」この映画の暗闇に潜んでいるように感じた。

関連レビュー:渡辺謙の世界進出作品
『ラストサムライ』
武士道に対する敬意を感じる映画
トム・クルーズ主演


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イーストウッド『許されざる者』の完成度の高さ



この映画は、渡辺謙とクリント・イーストウッドの友情と信頼を元にして、勧められたリメイクであったのではないか。
日本版の忠実にイーストウッド版をなぞる努力に、オリジナルに対する強いレスペクトを感じた。
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しかし、正直言ってオリジナルの物語の完成度の高さを思う時、この物語の形をそのまま再現し使用することにこだわるべきではなかったように思えてならない。

なぜなら、個人的な解釈で言えば、オリジナルの作品が語るのは「西部劇神話の解体」であり、更にそれでも西部劇的正義を元にしなければアメリカが立ち行かないという「西部劇神話の再生」だったと思えるからだ。

関連レビュー:「西部劇神話の解体」
『許されざる者』
クリント・イーストウッドのアカデミー賞受賞作
西部劇の歴史

そのアメリカ合衆国を形作ってきた「西部劇」の罪を、微に入り細に入り語るために、完璧な人物配置と物語の展開をもって、凄まじいほどの完成度で構築してみせる。

正直言って、ここまで上記のテーマのために完璧に構築されたオリジナル作品を元に、他のテーマを語るのは理不尽に近いとすら思えてならない。

関連レビュー:クリント・イーストウッドのオリジナル
『許されざる者』
西部劇神話の再生
ネタバレ・ラスト・結末の意味


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以下にはこの作品に対する悪評があります。ご注意下さい。

リメイク映画『許されざる者』批判



このリメイク版映画が描く諸要素から導きだした上の感想は、つまるところ個人的な映画の解釈にすぎない。
それが、どれほど共感を得るかは分からないが、しかし李相日監督が描くべきテーマとして相応しいと感じる。
そんな歴史認識としてのルサンチマンというテーマに、この映画全ての要素を収斂させたならば、間違いなく日本映画に残る傑作となったに違いない。

しかし残念ながら、この映画はテーマに対して不要な要素や不足な部分を個人的には感じた。

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そして、たぶん映画の全てを主題に対して従属させ得なかったのは、オリジナル版の形を踏襲せざるを得なかったためだと想像している。

しかしイーストウッド版の解説で述べたとおり、オリジナルは「西部劇神話の否定と再生」に対して完璧に構築された傑作だった。
その主題を離れてその形を踏襲することは、無理があるし、不合理でもあるだろう。

実を言えば、そのオリジナルのテーマ自体をそのままこの映画で描く事もできた。
それは、「武士道神話」が日本社会を第二次世界大戦の破滅に追いやった点を指摘し、そこにある男尊女卑、家父長制を糾弾する。
しかしそれでも、日本の規範とは「武士道」によってしか成立しないと語ることだ。
このテーマであれば、オリジナルそのまま置き換えも可能だったろう。


しかし、この行為はオリジナルの形を再現するために、後からテーマを貼り付けるという本末転倒に過ぎない。

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個人的な理想を言えば、本来全ての表現物は、作者が志す主題が根本に有って、それに見合う形でドラマのあらゆる要素が有機的に構築されるべきだろう。


そう考えたとき、オリジナルの完成度を考えれば、元の形を大胆に離れずしてリメイク版の語る「敗者のルサンチマン」を語りえたとは思えない。

李相日監督のために、そんな窮屈な縛りが惜しまれてならない。


従って個人的には、この映画が持つそのテーマを、100%語りえた完成形からすれば、★2.5とせざるを得なかった。

関連レビュー:西部劇のチャンバラ変換映画の元祖
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posted by ヒラヒ・S at 18:30| Comment(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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