2017年10月26日

映画『許されざる者』を巡る西部劇の歴史/感想・解説・クリント・イーストウッドと西部劇

1992年『許されざる者』(感想・解説・西部劇歴史 編)



原題 Unforgiven
製作国 アメリカ
製作年 1992年
上映時間 131分
監督 クリント・イーストウッド
脚本 デイヴィッド・ピープルズ


評価:★★★   3.0点



この映画『許されざる者』はアメリカ本国で、アカデミー賞他多くの賞を獲得した作品です。
実を言えばその内容は、アメリカ映画の真髄ともいうべき西部劇を、否定し解体させるような作品として、一見その姿を表します・・・・・・・
その解体させられた西部劇とは何だったのかを、映画史から探り、更にはクリント・イーストウッドの西部劇が古典的西部劇とは違うという点を検証したいと思います。

映画『許されざる者』予告


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映画『許されざる者』解説

西部劇の系譜


西部劇は、映画の歴史とともにあり、実に映画的なジャンルだと思える。
それゆえ、ハリウッド映画が世界に進出すると同時に、西部劇は世界中に広まり、ついには各国の映画界で自前で西部劇が作られ、このジャンルの伝播・拡散が成された。

○世界初の西部劇


世界初の西部劇は1903年の大列車強盗だといわれます。
"大列車強盗" (1903)

サイレント(無声)映画時代(1894-1927)に、西部劇は人気で盛んに作られた。すでに当時、西部劇のスターとしてトム・ミックスとウィリアム・S・ハートの二大スターが誕生していた。

○トーキー映画の出現と西部劇の衰退


トーキーの出現(1927年)によって西部劇は衰退し、大手映画スタジオは西部劇を作らなくなる。
1930年代後半では、西部劇は弱小スタジオの低予算作製の作品となり、ハリウッドでは三文映画のジャンルと見なされるようになった。

○ハリウッド西部劇・黄金期1940〜1960年代


西部劇の復活は、ユニバーサル映画の1939年製作の『砂塵』が、マレーネ・ディートリヒとジェームズ・ステュアートの二大俳優を起用し、商業的成功を収めたことで始まった。
『砂塵』予告

また、同年1939年にはジョン・フォードの『駅馬車』がジョン・ウェインの主演で作られ、これがその年最大のヒット作となる。
『駅馬車』予告

この映画によって、新人ジョン・ウェィンと西部劇の人気は、不動のものとなった。

以降この黄金期には、ジョン・フォード監督の『騎兵隊』『荒野の決闘』や『捜索者』、ハワード・ホークス監督『赤い河』『リオ・ブラボー』、アンソニー・マン監督『西部の人』『ララミーから来た男』、ジョージ・スティーヴンス『シェーン』、ジョン・スタージェス『OK牧場の決斗』などが生まれ、単純なアクション活劇から脱し、様々な物語の意匠を身にまとい、複雑で詩情を含んだ作品が生み出された。
関連レビュー:古典的西部劇作品
『荒野の決闘』
ジョン・フォード監督
西部劇に詩情を込めた映画


○ハリウッド西部劇の衰退(1960年代〜修正主義西部劇)


1960年代には、アメリカ国内の人権問題の世論が高まり、ネイティブ・インディアンを悪者にする従来の西部劇は描きにくくなり、ついには西部劇の批判を含めた映画が生まれる。
その表れは、早くも1960年ジョン・ヒューストン『許されざる者』で語られた。

このイーストウッド西部劇と同じ名前を持つ映画は、間違いなくイーストウッド版に影響を与えていると思う。

関連レビュー:1960年の修正西部劇
『許されざる者』
ジョン・ヒューストン監督
西部劇の懺悔を込めた映画

更に1960年代を通じ古典的西部劇は衰退し、反西部劇的主張は1970年の『小さな巨人』、『ソルジャー・ブルー』によって、決定的に宣言された。
以降、製作されたハリウッド製西部劇は、例えば古典的な要素を含んでいても、コンテンポラリー・ウェスタン(現代西部劇)と呼ばれる。

○1970年以降の西部劇/マカロニ・ウェスタン


本家アメリカで西部劇が衰退する中、マカロニ(スパゲッティー)・ウェスタンが西部劇に新しい息吹を吹き込む。
関連レビュー:マカロニ・ウェスタンの誕生
『荒野の用心棒』
セルジオ・レオーネ監督
クリントイーストウッド主演映画

そもそも、アメリカ以外の西部劇も1960年代には欧州でユーロ・ウェスタンが、盛んに製作されていた。
その一部としてイタリア製西部劇があったが、その独特の世界観によって世界に強い衝撃を与えた。
そして、逆輸入の形でハリウッドの西部劇にも影響を与えた。

○黒澤明と西部劇


因みに西部劇の影響を受けて撮られた映画の例として、ジョン・フォードに心酔していた黒澤明を上げないわけにはいかない。
そしてまた黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』『七人の侍』は、明らかにマカロニ・ウェスタンと本家のウェスタンに強い影響を及ぼした。
関連レビュー:チャンバラ西部劇の誕生
『七人の侍』
黒澤明監督作品
西部劇へのリメイク多数の傑作

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映画『許されざる者』解説

クリント・イーストウッドと西部劇



実は、クリント・イーストウッドは、古典的な西部劇で主役を張るスターではなかった。
売れない役者だった彼を救ったのは、イーストウッドが28歳の時に手にした、TVドラマのウェスタン『ローハイド』のロディ・イェーツ役だった。
そのTVシリーズのおかげで、彼の名前は世間に知られるようになり、プールつきの豪邸を手に入れたという。
『ローハイド』第4シーズン21話「はるかなる夢路」
【意訳】紳士淑女の皆さん、ジニー嬢がいつも愛している歌を歌います。

しかし、『ローハイド』の出演が3年目を向かえ、『ローハイド』自体の人気が落ち始め、週一の放映が月一になってしまう。それに伴い、イーストウッドのギャラも少なくなっていた。

また、アメリカの俳優は映画に出るか否かでステータスに天と地ほどの差もあるため、イーストウッド自身にも、このままではTVスターとして終わるという焦りもあったのではないか。

そして『ローハイド』がまだ放映中の1963年、クリント・イーストウッドの元に映画のオファーが入る。
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その当時は無名だった映画監督、セルジオ・レオーネの映画『荒野の用心棒』の出演依頼だった。

当初、気乗りしなかったイーストウッドも、黒澤明の『用心棒』のイタリア版リメイクだと知って興味を持ち、出演を受諾したという。
このレオーネとイーストウッドのコンビは、以後『夕陽のガンマン』『続・夕陽のガンマン』をリリースするが、この一連の映画が持つテーストは本家のアメリカ製西部劇とは異質な味わいを持っている。


unfo-fistfull.jpg個人的には、マカロニ・ウェスタンが持つ高い刺激性(暴力シーン・欲望の顕在化)は、西部開拓の歴史事実を考慮せずに、ドラマを構築する事が出来たからこそ可能になった、映画表現ではないかと感じられる。
つまりは「根も葉もない絵空事」だからこそ、過激なシーンを描き得たのだろう。

結局、マカロニ・ウェスタンの本質とは、現実世界に依拠しないファンタジーとしての「おとぎ話の残酷」を表現したものだと個人的には信じている。
それゆえ、人間的な価値「真・善・美」を超越し、冷酷な暴力世界が表現できた。
そういう点では、イーストウッドが「マカロ二・ウェスタン」に出た事の重要性は、強調しても強調しすぎることはないだろう。

たとえばジョン・ウェインやヘンリー・フォンダのような俳優の演技は、古典的な西部劇が求める開拓者の喜怒哀楽を表現するため、ウェットな情感を必要としていた。
もし彼らが演じたとすれば、1963年時点ではその演技は、決して血も涙もない暴力刺激を表現することは無かったに違いない。
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やはりクリント・イーストウッドのどこか虚無的でクールな佇まいが、よりマカロニ・ウェスタンの『おとぎ話』の残酷を、陰惨に無慈悲に強化したはずだ。
そして、以後マカロニ・ウェスタンの演技のスタンダードが、イーストウッドによって確立させられたと感じられる。

しかしそれは、イーストウッドの演技が、ハリウッド製ウェスタンの本流とは違う事も意味していたはずだ。
そしてその事実が、この映画『許されざる者』のドラマに重要な意味を持っていると信じる。



posted by ヒラヒ・S at 17:13| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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