2017年09月21日

映画『シンレッドライン』日・米戦争の地獄にさす光/感想・解説・神への信仰

『シンレッドライン』(感想・解説 編)

原題 The Thin Red Line
製作国 アメリカ
製作年 1998
上映時間 171分
監督 テレンス・マリック
脚本 テレンス・マリック
原作 ジェームズ・ジョーンズ


評価:★★★★   4.0点

太平洋戦争における転換点とされる、ガダルカナル島の米軍反攻を題材にした戦争映画です。
戦争映画として、迫力ある戦闘シーンに眼を奪われますが、実は『神の不在』、『神の救い』を語った叙事詩だったように思います。

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『シン・レッド・ライン』キャスト

ウィット二等兵(ジム・カヴィーゼル)/ウェルシュ曹長(ショーン・ペン)/ベル二等兵(ベン・チャップリン)/ファイフ伍長(エイドリアン・ブロディ)/ガフ大尉(ジョン・キューザック)/ケック軍曹(ウディ・ハレルソン)/スタロス大尉(イライアス・コティーズ)/トール中佐(ニック・ノルティ)/クインタード淮将(ジョン・トラボルタ)/ボッシュ大尉(ジョージ・クルーニー)/マクローン軍曹(ジョン・サヴェージ)/ホワイト少尉(ジャレッド・レト)/ストーム軍曹(ジョン・C・ライリー)/マーティ・ベル(ミランダ・オットー)/ドール一等兵(ダッシュ・ミホク)/ティルズ二等兵(ティム・ブレイク・ネルソン)/ビード一等兵(ニック・スタール)/アッシュ二等兵(トーマス・ジェーン)/日本軍曹(豊嶋稔)/日本兵(光石研、前原一輝、酒井一圭、水上竜士他)
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『シン・レッド・ライン』感想



この映画の戦闘シーンは、従来の戦争映画に較べても、強い衝撃を伴う、激しく、グロテスクで、陰惨な表現を持ち、更にそれが映画の半分近くを占めている。
そういう意味では、間違いなく戦争映画なのだが、実際の肌触りはどちらかといえば「静寂」を感じるのが不思議だ。

それゆえに、従来の戦争映画と同質の、アクションの爽快さや、勝利のカタルシスを求めて視聴したとすれば、期待に反し落胆するかもしれない。
むしろ戦争映画の明快さは、1999年開催の第71回アカデミー賞で作品賞を共に争った『プライベート・ライアン』のほうにあるだろう。
関連レビュー:スピルバーグの戦争映画
『プライベート・ライアン』
第二次世界大戦の物語
トム・ハンクス主演・アカデミー賞受賞作品

しかし、共に激しい戦闘シーンを描きながら、『プライベート・ライアン』は、正義に命をかける事の価値を歌い上げているのに較べ、この映画は見事に真逆のメッセージを出しているように感じる。
結論から言えば、戦争という地獄を背景にした「宗教的な問いかけ」が、この映画の本質的なテーマはであったように思えてならない。
以下の予告を見ただけでも、この映画がどういう物語で、何を語りたいのかが窺い知れるだろう。

『シン・レッド・ライン』予告

【意訳】(モノローグ)この戦争に自然の魂があるか?自然それ自体が争うのはなぜか?自然が与えてくれた善きものを、いかにして喪ったのか?消え去ったのか?不注意で散逸したのか?誰もが自己の救済を捜し求める。みんな、まるで火に入れられた石炭のように。
(ショーン・ペン)この世界で、人自体が無意味だ・・・何事も成せないことを忘れるな。
(モノローグ)いつでもあなたは引っ掻き始める。戦争は人を気高くしない。それは彼等を狂わせ、魂を毒する。
(ショーン・ペン)お前がやろうとしている事と、どう違うんだ?この狂気の中で、みんな孤立する。もしお前が死ねば、それは無意味になったんだ。
(モノローグ)この大いなる邪悪。どこから来たのか。どうやって世界から、それを簒奪したのか?何を種とし、何に根を張って、かくも育ったのか?誰がこれを成したのか?誰が我々を殺すのか?生命と光を我々から奪った。我々が知った光景が、我々を嘲る。我々の破滅が地球の利益なのか?それは草の成長と太陽の輝きに益するのか?この暗黒にあなたもおられるのでしょうか?あなたはこの暗夜を看過なさるのですか?
(兵)俺達は、本当に汚れている。本当に汚れている。

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この映画は冒頭、自然と共に暮らす原住民達が安らぎ平和な姿から始まり、文明・文化が進んでいるはずの先進国が、血みどろの戦いを繰り広げる。
主人公のウィット二等兵は、原住民と共に遊ぶうちに、この地上世界に完璧な調和を見出した。
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しかし、アメリカ兵としての彼は、近代において生じた国家間の世界分割の中で、他国の見ず知らずの日本人を殺さなければならない。

たとえば原住民達の完璧な調和が在り得る世界を捨て、なぜ我々はこれほどの暴力を成し、血を流し、殺し合いをしなければ成らないのかと、その意味を必死に探す物語であるだろう。
そして、その問い掛ける先は彼らが、この世界を創造し統べると信じる「神=キリスト」に向かわねばなるまい。

神がなぜ、かくも過酷な地獄を我々に現出せしめたか?

神は何をお考えなのか?

そもそも「神」はどこにおわすのか?

この映画の中で、明滅するようなモノローグを聞いてみれば、追い詰められた兵士達の搾り出すような言葉は、結局「神の沈黙=神の不在」を問うものだった。
私はこの映画を見て、無垢なる乙女が惨たらしく殺され、その復讐をなした父が「なぜこの罪を見逃したか」と神に問いかける、イングマール・ベルイマンの『処女の泉』が思い出されてならなかった。
関連レビュー:「神の沈黙」の意味を問う
『処女の泉』
イングマールベルイマンの古典的映画
若き日のマックス・フォン・シードー

そして、その『処女の泉』が、それでも「神の存在」によらずして人間は生きられないという結論に至ったのと同様、この映画も最後に示されたのは絶対者に対する肯定であったように思われてならない。
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この「神」を拠り所として自己と世界が成立しているという、一神教の絶対的な世界観は本当にシンプルで力強い世界観だと思う。

全てが、ただ一つの絶対者から発しているという考え方は、自らと世界がそのまま肯定され、根源的な「真・善・美」を承認するものであるだろう。
しかし、同時にその「真・善・美」は、その一つの神を奉じる宗教の信者のみの特権でしかない。

そして、その唯一絶対が複数存在する事の矛盾、一神教が多数存在する事の理論的不整合を解消し得ない。
したがって整合性を求めれば、一神教の信者は自らの神が唯一の神だと証明するために、他の一神教の宗教及び多神教、無神論者を制圧せねばならなくなるだろう。
過去の争いを概観してみれば、そんな世界観の対立として生じた戦争の例は、枚挙にいとまがない。

そして、そんな一神教の信者はキリスト教徒20億人、イスラム教徒12億人を数え、更にユダヤ教徒の1,300万人も含め、人類のおよそ半分が信じる世界観としてある。

この映画は、キリスト教的な唯一絶対の神がこの世界を救済するのだという「信念=信仰」が、「現世の地獄=戦争」を前にして、より強く、より堅固に、人々に求められる姿を描いているだろう。
だとすれば、世界が困難に陥るほど、その一神教に対する信仰心は高まり、同時にその自己矛盾も高まり、世界は対立を深くしていくと思えもするのである。

関連レビュー:テレンス・マリック監督の語る「神」
『ツリー・オブ・ライフ』

ブラッド・ピットとショーン・ペン出演
神の創造した世界を描く




posted by ヒラヒ・S at 17:27| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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