2018年01月16日

映画『家族ゲーム』(1983年)森田芳光の難解を読み解く/解説・ネタバレ・あらすじ・感想・意味

映像の独立性

英語題 The Family Game
製作国 日本
製作年 1983
上映時間 106分
監督 森田芳光
脚本 森田芳光
原作 本間洋平


評価:★★★★★  5.0点



この映画は、通常の映画と違う文法でできていると感じる。
普通の映画は、ドラマの説明を「言葉」に還元し、そのストーリーを「状況説明画像」と「セリフ」に頼って、語っている。
本来この方法論は、小説など言語をベースにしたメディアを映像的に置換したものだ。
しかしこの映画は、可能な限りそれらの「言語的説明」を排し、そのテーマや劇の骨格を、映像的なシークエンスに埋め込む。
その潔癖な語り口は、森田芳光という映画作家の、映像に対する信頼の表れのように思えてならない。

以下のストーリーには結末までの内容が記されています。
ご注意ください。

映画『家族ゲーム』ストーリー


中学三年の沼田茂之(宮川一朗太)は高校受験を控えており、父の孝助(伊丹十三)、母の千賀子(沼田千賀子)、兄の慎一(沼田慎一)たち家族も含め、落ち着かない。茂之は成績が悪く、何人も家庭教師をつけてみたが、茂之の態度ですぐに辞めてしまう。しかし、三流大学を3年留年している、吉本(松田優作)という新たな家庭教師が、植物図鑑を持ち、海沿いの沼田家に船でやって来た。父・孝助は吉本に「成績により特別金を払う」と持ちかける。その日から吉本は、いやがる茂之を時には殴りつけながら、勉強を教え、時には喧嘩の手ほどきもした。
茂之の成績は少しずつ上がり始める。
茂之は学校で幼馴染みで同級生の土屋にいじめられていた。しかし訓練の甲斐あって、ある日の放課後に土屋を返り討ちにした。そして、茂之の成績は上がり、ついに兄と同じ西武高校の合格ラインを越えた。しかし、茂之はレベルを落とした志望校を学校に届けていた。理由を言わない茂之に、両親は困惑しつつも、ついに怒り志望校変更を吉本に頼んだ。吉本は茂之の学校に乗り込み、強引に志望校を変更させた。戻った吉本は、西武高校に行きたくない理由を、兄・慎一に訊ねた。慎一は、西武高校は土屋の志望校でもあり、小学生の時、茂之が授業中に脱糞したことを土屋が知っているため行きたくないのだと語った。それを聞いた吉本と、語った慎一は大笑いする。
結局、茂之は西武高校にみごと合格し、土屋は私立高校に行った。吉本の役目は終わり、家族の横一列の祝いの席が設けられた。父孝助は食べながら吉本に、最近ヤル気がない慎一の家庭教師の依頼する。しかし、吉本は断わり、いつしか食べ物をまき散らし、大混乱を引き起こした。そして怒りつめよる孝助を殴り気絶させる。そして、沼田家の残り3人も気絶させた。
時は過ぎ、ある春の午後、上空ではヘリコプターが飛び回っており、その騒音の中、茂之、慎一、千賀子の3人は昼寝をしている。
ヘリコプターの音は大きさをまし、それは沼田家の死んだような3人の上に覆いかぶさる・・・・・・

映画『家族ゲーム』予告


映画『家族ゲーム』出演者

松田優作(吉本勝)/伊丹十三(沼田孝助)/由紀さおり(沼田千賀子)/宮川一朗太(沼田茂之)/辻田順一(沼田慎一)/松金よね子(茂之の担任)/岡本かおり(美栄子の姉)/鶴田忍(慎一の担任)/戸川純(近所の主婦)/白川和子(美栄子の母)/佐々木志郎(美栄子の父)/伊藤克信(茂之の国語教師)/加藤善博(茂之の体育教師)/土井浩一郎(土屋裕)/植村拓也(三井順)/前川麻子(田上由利子)/渡辺知美(樹村雅美)/松野真由子(浜本道子)/中森いづみ(菊地保子)/佐藤真弓(山下美栄子)/小川隆宏(芝田友幸)/清水健太郎(若い教師)/阿木燿子(吉本の恋人)
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映画『家族ゲーム』感想



上にあらすじを書いては見たものの、我ながらこの文章はこの映画の何物も伝えてない。
なぜならこの映画の本質は、ストーリーではなく、映像の間やモンタージュの中にこそ潜んでいると思えるからだ。
この映画を傑作だと個人的に信じているのは、そんな映像の独立性を可能な限り追求しようとした、森田芳光の映像作家の矜持が鮮明に表されていると感じるからだ。

この非言語的方法論は、映像情報というものが言葉ほど限定力・説明力を持たないがゆえに、常に見る者の感性に委ねなければならない点で困難な挑戦であるにしても、この映画では間違いなく成功していると感じる。

それは、例えば松田優作の他者との距離感であったり、食事をするときの音であったり、言葉の発せられる大きさと画像の大きさの不均衡だったりする。
そこで生み出された世界は、リアルでありながら、まるで非現実な光景である。

ここにある平凡な日常でありながら異世界であるということこそ、現代における「家族」の異常を画像として埋め込んだ証拠だったろう。

つまりはこの映画を見た観客が、不協和や不整合や非日常を受け取り、この映像の集積に対して混乱を生じるという事実こそが、この作品の語る「ゲームとしての家族」の姿の異様さを、観客に伝え得たという証拠だった。
そして、その成功の鍵となったのは、松田優作という演技の空間把握力に長けた役者が、森田の共犯者として映像の独立表現に多大な貢献を成したからに違いない。


個人的な印象でいえば、この映像シークエンスを言語性に優越させるという方法論を取った日本の巨匠が、小津安二郎ではなかったか。
関連レビュー:小津安二郎の代表作
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父と娘の永遠の契り
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小津という偏執的な作家は言語的な物語を矮小化し、映像的独立性を高めつづけ、ついには小津だけに分かる映像文脈の積み重ねによって、映画映像の抽象化という世界に踏み込んだと解釈している。

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そして小津安二郎が描いた、純粋映像としての間やテンポは、言葉以上に日本の家族制度に対する『絶対的な信頼と美』をスクリーンに投影していたと個人的には思う。(左:笠智衆、右:小津安二郎)


そのために笠智衆という、記号的俳優を必要としたのは、森田にとっての松田優作と同じ事であったろう。

しかし、森田と松田の2人が作り出した映像の不安定さ居心地の悪さは、小津と笠智衆が生んだ心地よい安心と較べ、あきれるほどに遠くかけ離れている。
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(左:松田優作、右:森田芳光)
そして、この二人が生んだ、この映画にある不穏さや不協和音の果てに、現代文明は滅ぶのだろうという予兆を、その最後に禍々しく響かせて不吉だ。

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映画『家族ゲーム』解説

戦後日本の憂鬱


この映画の公開当時、1983年の日本経済は高度成長期を過ぎ、バブル時代に向かっていた。
その一億総中流社会という均質で豊かな社会に日本人は住みながら、どこか不安で落ち着かなかった。
なぜなら、戦後一貫して日本人が信じてきた「豊かであれば幸福である」という思い込みが欺瞞だと気付いたのがこの時期だったと、個人的には思えるからだ。

関連レビュー:戦後日本の理想的家族
『私は二歳』
市川崑監督の描く高度成長期の日本
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なぜなら経済力の進展は、それまで日本人のアイディンティティであった、小津的「日本的大家族」を日本人に捨てさせた。
それは夫婦二人で生活が営める経済力があるならば、「日本的大家族」の古い因循と固陋の形を欲さないという事実を、「核家族」への移行が証明しているだろう。
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つまり日本人は、従来の「日本的大家族」と「地縁」に基づく自らの存在証明を放棄し、「核家族」という名の自由と個の権利を求めたのだ。

しかし、結果的に日本人にとって小津的「日本的大家族=帰属集団」の喪失は、かくも日本人のメンタリティを不安定に、焦燥させ、不安にさせ、苦悩せしめるのだと、現代を生きる日本人は、その狭い団地の中で実感しているだろう。
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なぜなら、核家族の自由や権利は、旧来の家族制度にあった縁者の「無条件の承認」に代わる安心をもたらさなかった。
戦後日本が築きあげた世界一に肉薄する経済力をもってしても、日本人を幸福にする新たな価値を、その金銭によって購うことは出来なかった。

その上で日本人は問わざるを得ない。
「個人の自由や権利が、金銭的余裕が幸福を生まない」としたら、何が日本人を幸福にするのかと。

その正解のない「幸福絶対条件」を追求した果てに、ついに精神的に破綻し「バブル崩壊」を生じせしめたのではないかとすら思う。
いずれにせよ、映画に時代が憑依する事があるとすれば、間違いなく、この映画は当時の不安を映り込ませ、その未来のバブルの崩壊を予兆していると信じる。

監督森田芳光が持つ感性の、震える触手のような明敏さを思わずにはいられない。
ただ森田にしてみれば残念な事に、松田優作という希代の俳優の早世により、映像作家として十分その才能を映像に置き換え得なかったように思える。

もし松田優作が、森田の映画『模倣犯』の主役を演じていたなら、あの映画の意味はまるで違うものになっていただろうと思うと、残念でならない。

この『家族ゲーム』と『それから』で示された、森田と松田の共犯関係がその途上で断絶せざるを得なかったのは、間違いなく日本映画界の損失だったに違いない。

しかし今となっては、この2本を残してくれただけでも、この物故した二人の天才に映画ファンとして感謝をすべきだろう。

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森田芳光監督作品

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posted by ヒラヒ・S at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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