2018年02月09日

映画『エンド・オブ・デイズ』シュワちゃんの神/あらすじ・感想・解説・評価

アクション・ヒーローが告げる正義

原題 End of Days
製作国 アメリカ
製作年 1999
上映時間 122分
監督 ピーター・ハイアムズ
脚本 アンドリュー・ダブリュ・マーロー


評価:★★★☆    3.5点



しばしば観客とは、出演スターや、宣伝コピーなど広告イメージや、更にはタイトルのみでも、先入観を持ち、それぞれのうちで独自の映画を育て、期待するものではないだろうか?
この映画に関しては、結局「シュワルツネッガー」というアクション・スターを欲している観客に対して、「シュワルツネッガー」が望むものを提供しなかったという事に、尽きるのではないか・・・・・・
しかし、そんな先入観を持たずに見たならば、この映画は高い完成度を持っていると、個人的には思えてならない。

映画『エンド・オブ・デイズ』あらすじ

1999年、ニューヨークの街は大晦日を控え慌ただしかった。元刑事ジェリコ(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、訳あってニューヨーク市警を退職し、今は民間の警備会社で働いていた。しかし、身辺警護を依頼された証券取引業者が狙撃された。ジェリコは犯人を追い詰めるが、そのヴァチカンの元修道士だった男は「悪魔が復活する」と言いながら、銃をジェリコに向けたためジェリコは男を射つ。男の住居を調べたジェリコは、部屋にあった写真の女性クリスティーン(ロビン・タニー)の家に向かった。すると、黒い貫頭衣の男達に彼女は襲われているところだった。ジェリコは、彼女を敵から守りつつ教会に逃げ込んだ。彼らを迎えたコヴァック神父(ロッド・スタイガー)は、クリスティーンはミレニアムの終わりに復活したサタンが次のミレニアムを支配するべくに選んだ悪魔の花嫁だと語る。更に、彼女がサタンと結ばれた時、この世は滅亡するのだとと告げる。混乱するジェリコの前に、警護を依頼していたあの証券業者が表れた。実は彼こそ、人に姿を変えていたサタン(ガブリエル・バーン)だったのだ。サタンはジェリコに、殺された妻子を復活させたくはないかと囁いた。揺れ動くジェリコは、それでもサタンを窓から突き落とし、クリスティーンを守るため教会に戻る。しかし、そこに本性を現したサタンが出現し、ジェリコに深い傷を与え、彼女を奪っていった。コヴァックらに命を救われたジェリコ大晦日の夜、クリスティーンと世界を救うため、地下室で行われていたサタン復活の儀式の場に、単身乗り込んだ・・・・・・

映画『エンド・オブ・デイズ』予告


映画『エンド・オブ・デイズ』出演者

ジェリコ・ケイン(アーノルド・シュワルツェネッガー)/株屋/サタン(ガブリエル・バーン)/クリスティーン・ヨーク(ロビン・タニー)/ボビー(ケヴィン・ポラック)/コバック神父(ロッド・スタイガー)/マージ(CCH・パウンダー)/メイベル(ミリアム・マーゴリーズ)/エイブル(ウド・キア)/トマス・アキナス(デリック・オコナー)/アルビーノ(ヴィクター・ヴェルナド)/カーソン(ロバート・レッサー)/ローマ法王(マーク・マーゴリス)/枢機卿(マイケル・オハガン)/ケロッグ (ジャック・シアラー)/修道士(モー・ガリーニ)/神父の助手(デイヴ・フランコ)/車掌(ウォルター・フォン・ヒューン)/実業家(スティーブ・クレイマー)/病院の警官(ジョン・ニールセン)/トマスの担当医(エリオット・ゴールドワーグ)/エイブルの妻(リン・マリー・セイガー)/エイブルの娘(リンダ・パイン)


スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

映画『エンド・オブ・デイズ』感想・解説


世紀末のニューヨーク悪魔が降臨し、サタンに選ばれた娘クリスティーンが襲われる。
たまたま事件に関わった元刑事ジェリコ(シュワルツネッガー)が娘を守って悪魔と闘うというストーリー。
end-poster2.jpg
この主人公ジェリコは娘と妻を刑事在職中に犯罪者に殺され、神を信じていないというよりは、憎んでいるという方が近い。

それゆえ神よりも銃を信じると言い切る。
サタンはそのジェリコに向かって、悪魔の味方をすれば妻と娘を返してやると、誘惑する。

しかし、ジェリコはその誘惑を断ち切り、クリスティーンを助ける道を選ぶ。
ジェリコにとってクリスティーンとは、罪なくして殺された妻と娘が投影された存在だ。
しかしまた、クリスティーンを守るという事は、悪ではなく正義を選ぶという宣言でもある。

つまるところジェリコの戦いとは、勧善懲悪を現したものであり、西洋文明において善とは「キリスト神」に他ならない。

それゆえ、神よりも銃を信じると言っていたジェリコが、最後に銃を捨てるという行為によって「神」を再び見出した事が語られたとしても、物語的に不自然だとは思わなかった。

end_poster1.jpg
また完全に神に身を委ねたジェリコの姿に、キリストの聖母子像のイメージが重ねられ、更に娘と妻がいる天国に迎えられる事が示されるとき、ジェリコの戦いはそのままキリスト教的宗教観の中で完結する物語として読み取るべきだろう。

このように、この映画のテーマとストーリーは完全にシンクロしており、破綻は無いと感じた。
もちろん、アクションとテーマの同調性の弱さや、テーマ自体の旧弊さを指摘することはたやすい。

しかし近年の「ハリウッド・アクション映画」のテーマ性のカケラもない破壊量の競争に較べれば、数段上等な作品だと感じた。

そもそも「アクション映画」の系譜から考えれば、初期の西部劇や、戦争映画にしてみても、「正義=神」の名のもとで暴力が容認され、行使されるというのが本来的な形であった。


だがいつしか、その「暴力」の「正義」が無くても、映画を「楽しめ」る事に観客が気づき、同時に「暴力=アクション」が多ければ多いほど映画が「売れる」事に制作者が気づいたとき、「暴力=アクション」は増大の一途を辿り、ついにはCG・FXの効果もあり映画全編をアクションが覆い尽くす作品に何の違和感も持たなくなってしまった。

しかし「ゾンビ映画」の死者を殺戮しまくる映画状況が正常といえるであろうか?

end-pos3.jpg
この「映画アクション量の増大」に寄与したハリウッドスターの一人が、この映画の主人公を演じた「シュワルツネッガー」である事は間違いない。

好意的に解釈すれば、その「シュワルツネッガー」であればこそ「アクションの正義」を語りたかったのだと思うのである。
そしてまた、それゆえにこの映画が失敗したのだ。

「シュワルツネッガー」の「盛大な破壊行為」を期待した観客に対して、「破壊行為には正義が必要」だというメッセージを送れば、観客としてはこう言いたくなるに違いない・・・・・・
 「これまで破壊しまくっといて、今さら偉そうに説教なんかされたくない!」


云い忘れたが、この映画のキャスティングもホントに完璧だと思う。

ただ一人「シュワルツネッガー」を除いて・・・・・・・

やはりこのテーマ・メッセージを送るのであれば、例えば「ハリソン・フォード」が主人公であったとすれば、説得力が上がるのではないかと思ったりする。

Film2-GrenBar.png

スポンサーリンク


film1-Blu-sita.jpg

シュワルツネッガー出演作

『ターミネーター』

シュワルツネッガーの出世作
SFアクションの金字塔
『プレデター』

シュワルツネッガーの肉体の意味
ジャングルでの異星人バトル
『マギー』

シュワルツネッガーのゾンビ映画
ゾンビ映画の革新的挑戦



posted by ヒラヒ・S at 17:37| Comment(0) | TrackBack(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック