2018年01月18日

映画『ニューシネマパラダイス』完全再現ストーリー/あらすじ・ネタバレ・ラスト・結末

映画『ニューシネマパラダイス』(あらすじ・結末 編)



原題 Nuovo Cinema Paradiso
英語題 Cinema Paradiso
製作国 イタリア フランス
製作年 1989
上映時間 123分
監督 ジュゼッペ・トルナトーレ
脚本 ジュゼッペ・トルナトーレ
音楽 エンニオ・モリコーネ


評価:★★★★★ 5.0点




この映画をまだご覧になってない方は、ぜひ今すぐビデオ屋さんに駆け付け、その感動のラストをご覧になられる事をオススメします。
この1989年のイタリア作品は、映画の甘美なノスタルジーを描いて秀逸だと思います。
映画ファンなら必ず覚えがある、幻影が現実よりも勝る瞬間があるのだと、この映画のラストが雄弁に語りかけてくれます。

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映画『ニューシネマパラダイス』あらすじ



シチリア島、海の見える部屋。
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電話の声が流れている。
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話しているのは、映画監督サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(ジャック・ペラン)に電話する母(プペラ・マッジョ)の声だった。

ローマの息子は不在で、サルヴァトーレのガールフレンドが受けた。
cinema-salold.png深夜に帰宅したサルヴァトーレは、母からの電話がアルフレードが死んだという内容だったと聞いた。
それを聞いた彼は、ベッドで横になりながら呆然とし、想いは30年前にあとにした故郷、シチリアのジャンカルド村での少年時代に戻った。


時は、第二次世界大戦が終わったばかりのシチリアの教会。
司祭(レオポルド・トリエステ)の助手でありながら居眠りをする少年は、「トト」と呼ばれていた少年時代のサルヴァトーレ(サルヴァトーレ・カシオ)だった。
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その教会は映画館『パラダイス座』を併設し、その映画を司祭が検閲していた。
cinema-cenc.gif上映が始まったのは、ジャン・ルノアール監督ジャン・ギャバン主演の映画『どん底』だった。
しかしクライマックスのキスシーンになると鈴がなり、そのシーンはカットされるのだった。

それゆえ、村に一軒の映画館に集う村人は、これまで映画でキスシーンを見たことがなかった。
トトはそのようすをカーテンの陰から覗き、ついには映写室でフィルムを回すアルフレードの元に潜り込んだ。
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トトは映画に夢中で、可燃性のフイルムが危険だとアルフレードに怒られても、映写室に入り込んではこっそりフイルムをくすねていた。
トトは母マリアと赤ん坊の妹との3人暮らしで、父は戦争でロシアに出征し戻って来なかった。

cinema-indi.gifそんな苦しい生活の中で、ある日トトは映画館にいた。
そこでは、『駅馬車』の予告が流れ、ビスコンティー監督の『揺れる大地』が上映され、『チャップリンの拳闘』で笑い転げた。

しかしトトは映画館に入るため、お使いのミルク代を使ってしまったのだ。
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夕方、映画館を出ると、母がトトの前に立ち怒りにまかせて叱り叩いた。

そこを通りかかったアルフレードは、俺がただで入れてやったんだとととりなす。
そして、金は劇場に落ちていたと、自分のポケットから差し出しトトをかばった。
こんなトトとアルフレードの間には、いつしか心が通じ合うようになっていった。
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しかし、ある日トトとアルフレードが自転車で帰って来たところ、トトの家でぼや騒ぎが起きていた。
トトのこっそり集めたフィルムに、妹が火をつけ燃えてしまったのだ。
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母・マリアは怒り狂い、アルフレードを責めた。

トトは自分がフィルムを盗んだからで、アルフレードは知らず、責任はないと言う。
しかし、母の怒りは収まらず、もうトトに関わらないでくれと、アルフレードに宣告した。
アルフレードもその怒りの前に、誓いの言葉を言わざるを得なかった。


トトはその後もアルフレードのいる映写室に入りたがったが、彼は約束を守り頑として入れさせなかった。
しかし、ある日アルフレードが小学校にやって来た。
彼は小学校を卒業しておらず、トト達と一緒に卒業試験を受けることになっていたのだ。
アルフレードが問題を解けずに四苦八苦して、トトに助けを求めた。
【意訳】アルフレード:トト、トト。(トトは拒否)この腐った小僧め!トト助けてくれ/監視員:静かに!/アルフレード:こんなクソッタレの問題解けない。/監視員:静かに!/アルフレード:トト

トトは試写室に入れてくれるならと、交換条件を出し答えを教えた。

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それから、トトは映写室に入り浸り、映写技術をアルフレードから教わり習得した。

いろいろな映画の中、ニュースでロシア戦線でのイタリア兵の死を伝える映像があった。
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トトは母と共に役所に行き、父の遺族年金の申請をした。

そんな中でも、トトは映画の方が気にかかり、村人たちの中心にも『パラダイス座』があった。
そんな『パラダイス座』の中で、様々な人生模様が繰り広げられていた。
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そしてある日、イタリアの人気コメディアン・トトの映画を見ようと押しかけた観客が、劇場に入れずあぶれているのを見たアルフレードは、劇場の向かいの家の壁にその映画を映し出した。

しかし、その時加熱したフィルムに火がつき、パラダイス座は火に包まれた。
火が燃え盛る中、トトは懸命に映写室に飛び込み、アルフレードを救出する。
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しかし、アルフレードは火傷が原因で失明してしまう。
そして映画館も失われた。

村の娯楽がなくなると人々は落胆した。
しかし、そこに宝くじで大金を手にした村人スパッカフィーコが名乗り出て、パラダイス座は「新パラダイス座」として再建され、アルフレードに代わってトトが映写技師になった。
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教会の検閲が無くなった映画館では、キスシーンも流れ、更に過激なシーンも見られるようになり、村人は喜び映画館はいつも満杯だった。

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青年となったトトは、映写技師のかたわら、自分で映画を撮るようになった。

そんなある日駅の風景を撮影していると、そこに都会的な娘が降り立った。
その娘はエレナといい父は厳格な銀行家だった。
一目惚れしたトトは、学校でも村中でも必死にエレナにアプローチし、二人は恋に落ち両想いとなった。
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しかしエレナの父は2人の交際を認めなかった。
cinema-soltel.pngエレナは置き手紙を残し、その家はパレルモに転居した。
トトも兵役につき、除隊後村に戻った彼の前に、エレナが2度と姿を現わすことはなかった。

エレナを喪ったトトは、失意の中シチリアを離れローマに旅立つ決心をする。
旅立ちの日、駅に母と妹が見送るなか、アルフレードと言葉を交わすトト。
【旅立ちシーン】
【意訳】アルフレード:戻ってくるな。俺達のことを考えるな。振り返るな、書くな、郷愁に浸るな。俺達を忘れろ。もしお前が帰ってきても、絶対俺を訪ねたり会おうとするな。お前を家に入れないぞ、分かるか?/トト:ありがとう・・・・・今までのこと全て・・・/アルフレード:何にせよ、それを愛せ。パラダイス座の映写室で、子供の頃愛したように・・・・・/司祭:トト!トト!遅かった!可愛そうに。

そのアルフレードの言葉を胸に、トトはローマに旅立って30年が過ぎ、そしてアルフレードの死によって故郷に戻ってきた。

(下部にネタバレとラストが有ります)

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映画『ニューシネマパラダイス』予告


映画『ニューシネマパラダイス』出演者

サルヴァトーレ・ディ・ヴィータ(少年期サルヴァトーレ・カシオ/青年期マルコ・レオナルド/中年期ジャック・ペラン/アルフレード(フィリップ・ノワレ)/エレナ(若年期アニェーゼ・ナーノ/中年期ブリジット・フォッセー:ディレクターズカット版)/マリア(中年期アントネラ・アッティーリ/壮年期プペラ・マッジオ/神父(レオポルド・トリエステ)/スパッカフィーコ:パラダイス座支配人(エンツォ・カナヴェイル)/イグナチオ:劇場の案内人(レオ・グロッタ)/アンナおばさん(イサ・ダニエリ)/広場の男(ニコラ・ディ・ピント)
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以下の文章には

映画『ニューシネマパラダイス』ネタバレ

がありますご注意ください。


再び故郷へ足を踏み入れたとき、トトは中年となり映画監督として成功を納めていた。
cinema-old.png今やサルヴァトーレと呼ばれるのが相応しい彼は、アルフレードの葬儀に出席するため故郷に戻った。
村に戻ったサルヴァトーレは母・エレナと妹に会い、葬儀の列のなか司祭や、懐かしい村の人々と会った。

そこで、アルフレードの残した形見のフイルムを受けとる。
そして、新パラダイス座の館主スパッカフィーコから、映画館は取り壊され、もうすぐ駐車場になると聞かされる。
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サルヴァトーレは、その眼で映画館が爆発解体される光景を焼き付けた。

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映画『ニューシネマパラダイス』ラスト・シーン


アルフレードの形見のフィルムを、ローマに戻ったサルヴァトーレは映写した。

それは幼い日、アルフレードがくれると約束していた、検閲でカットしたキスシーンのフイルムだった。
繰り広げられるラブシーンを見ながら、サルヴァトーレは涙を流し続けた。


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posted by ヒラヒ・S at 17:27| Comment(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

映画『家族ゲーム』(1983年)森田芳光の難解を読み解く/解説・ネタバレ・あらすじ・感想

映像の独立性

英語題 The Family Game
製作国 日本
製作年 1983
上映時間 106分
監督 森田芳光
脚本 森田芳光
原作 本間洋平


評価:★★★★★  5.0点



この映画は、通常の映画と違う文法でできていると感じる。
普通の映画は、ドラマの説明を「言葉」に還元し、そのストーリーを「状況説明画像」と「セリフ」に頼って、語っている。
本来この方法論は、小説など言語をベースにしたメディアを映像的に置換したものだ。
しかしこの映画は、可能な限りそれらの「言語的説明」を排し、そのテーマや劇の骨格を、映像的なシークエンスに埋め込む。
その潔癖な語り口は、森田芳光という映画作家の、映像に対する信頼の表れのように思えてならない。

以下のストーリーには結末までの内容が記されています。
ご注意ください。

映画『家族ゲーム』ストーリー


中学三年の沼田茂之(宮川一朗太)は高校受験を控えており、父の孝助(伊丹十三)、母の千賀子(沼田千賀子)、兄の慎一(沼田慎一)たち家族も含め、落ち着かない。茂之は成績が悪く、何人も家庭教師をつけてみたが、茂之の態度ですぐに辞めてしまう。しかし、三流大学を3年留年している、吉本(松田優作)という新たな家庭教師が、植物図鑑を持ち、海沿いの沼田家に船でやって来た。父・孝助は吉本に「成績により特別金を払う」と持ちかける。その日から吉本は、いやがる茂之を時には殴りつけながら、勉強を教え、時には喧嘩の手ほどきもした。
茂之の成績は少しずつ上がり始める。
茂之は学校で幼馴染みで同級生の土屋にいじめられていた。しかし訓練の甲斐あって、ある日の放課後に土屋を返り討ちにした。そして、茂之の成績は上がり、ついに兄と同じ西武高校の合格ラインを越えた。しかし、茂之はレベルを落とした志望校を学校に届けていた。理由を言わない茂之に、両親は困惑しつつも、ついに怒り志望校変更を吉本に頼んだ。吉本は茂之の学校に乗り込み、強引に志望校を変更させた。戻った吉本は、西武高校に行きたくない理由を、兄・慎一に訊ねた。慎一は、西武高校は土屋の志望校でもあり、小学生の時、茂之が授業中に脱糞したことを土屋が知っているため行きたくないのだと語った。それを聞いた吉本と、語った慎一は大笑いする。
結局、茂之は西武高校にみごと合格し、土屋は私立高校に行った。吉本の役目は終わり、家族の横一列の祝いの席が設けられた。父孝助は食べながら吉本に、最近ヤル気がない慎一の家庭教師の依頼する。しかし、吉本は断わり、いつしか食べ物をまき散らし、大混乱を引き起こした。そして怒りつめよる孝助を殴り気絶させる。そして、沼田家の残り3人も気絶させた。
時は過ぎ、ある春の午後、上空ではヘリコプターが飛び回っており、その騒音の中、茂之、慎一、千賀子の3人は昼寝をしている。
ヘリコプターの音は大きさをまし、それは沼田家の死んだような3人の上に覆いかぶさる・・・・・・

映画『家族ゲーム』予告


映画『家族ゲーム』出演者

松田優作(吉本勝)/伊丹十三(沼田孝助)/由紀さおり(沼田千賀子)/宮川一朗太(沼田茂之)/辻田順一(沼田慎一)/松金よね子(茂之の担任)/岡本かおり(美栄子の姉)/鶴田忍(慎一の担任)/戸川純(近所の主婦)/白川和子(美栄子の母)/佐々木志郎(美栄子の父)/伊藤克信(茂之の国語教師)/加藤善博(茂之の体育教師)/土井浩一郎(土屋裕)/植村拓也(三井順)/前川麻子(田上由利子)/渡辺知美(樹村雅美)/松野真由子(浜本道子)/中森いづみ(菊地保子)/佐藤真弓(山下美栄子)/小川隆宏(芝田友幸)/清水健太郎(若い教師)/阿木燿子(吉本の恋人)
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映画『家族ゲーム』感想



上にあらすじを書いては見たものの、我ながらこの文章はこの映画の何物も伝えてない。
なぜならこの映画の本質は、ストーリーではなく、映像の間やモンタージュの中にこそ潜んでいると思えるからだ。
この映画を傑作だと個人的に信じているのは、そんな映像の独立性を可能な限り追求しようとした、森田芳光の映像作家の矜持が鮮明に表されていると感じるからだ。

この非言語的方法論は、映像情報というものが言葉ほど限定力・説明力を持たないがゆえに、常に見る者の感性に委ねなければならない点で困難な挑戦であるにしても、この映画では間違いなく成功していると感じる。

それは、例えば松田優作の他者との距離感であったり、食事をするときの音であったり、言葉の発せられる大きさと画像の大きさの不均衡だったりする。
そこで生み出された世界は、リアルでありながら、まるで非現実な光景である。

ここにある平凡な日常でありながら異世界であるということこそ、現代における「家族」の異常を画像として埋め込んだ証拠だったろう。

つまりはこの映画を見た観客が、不協和や不整合や非日常を受け取り、この映像の集積に対して混乱を生じるという事実こそが、この作品の語る「ゲームとしての家族」の姿の異様さを、観客に伝え得たという証拠だった。
そして、その成功の鍵となったのは、松田優作という演技の空間把握力に長けた役者が、森田の共犯者として映像の独立表現に多大な貢献を成したからに違いない。


個人的な印象でいえば、この映像シークエンスを言語性に優越させるという方法論を取った日本の巨匠が、小津安二郎ではなかったか。
関連レビュー:小津安二郎の代表作
『晩春』
父と娘の永遠の契り
日本映画の世界的傑作

小津という偏執的な作家は言語的な物語を矮小化し、映像的独立性を高めつづけ、ついには小津だけに分かる映像文脈の積み重ねによって、映画映像の抽象化という世界に踏み込んだと解釈している。

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そして小津安二郎が描いた、純粋映像としての間やテンポは、言葉以上に日本の家族制度に対する『絶対的な信頼と美』をスクリーンに投影していたと個人的には思う。(左:笠智衆、右:小津安二郎)


そのために笠智衆という、記号的俳優を必要としたのは、森田にとっての松田優作と同じ事であったろう。

しかし、森田と松田の2人が作り出した映像の不安定さ居心地の悪さは、小津と笠智衆が生んだ心地よい安心と較べ、あきれるほどに遠くかけ離れている。
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(左:松田優作、右:森田芳光)
そして、この二人が生んだ、この映画にある不穏さや不協和音の果てに、現代文明は滅ぶのだろうという予兆を、その最後に禍々しく響かせて不吉だ。

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映画『家族ゲーム』解説

戦後日本の憂鬱


この映画の公開当時、1983年の日本経済は高度成長期を過ぎ、バブル時代に向かっていた。
その一億総中流社会という均質で豊かな社会に日本人は住みながら、どこか不安で落ち着かなかった。
なぜなら、戦後一貫して日本人が信じてきた「豊かであれば幸福である」という思い込みが欺瞞だと気付いたのがこの時期だったと、個人的には思えるからだ。

関連レビュー:戦後日本の理想的家族
『私は二歳』
市川崑監督の描く高度成長期の日本
戦後日本の夢見た幸福


なぜなら経済力の進展は、それまで日本人のアイディンティティであった、小津的「日本的大家族」を日本人に捨てさせた。
それは夫婦二人で生活が営める経済力があるならば、「日本的大家族」の古い因循と固陋の形に、敢えて嵌ろうと望まないという「核家族」への移行で照明されているだろう。
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つまり日本人は、従来の「日本的大家族」と「地縁」に基づく自らの存在証明を放棄し、「核家族」という名の自由と個の権利を求めたのだ。

しかし、結果的に日本人にとって小津的「日本的大家族=帰属集団」の喪失は、かくも日本人のメンタリティを不安定に、焦燥させ、不安にさせ、苦悩せしめるのだと、証明されたように思う。
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なぜなら、核家族の自由や権利は、旧来の家族制度にあった安心をもたらさなかった。
戦後日本が築きあげた世界一に肉薄する経済力をもってしても、日本人を幸福にする新たな価値を購うことは出来なかった。

その上で日本人は問わざるを得ない。
「個人の自由や権利が、金銭的余裕が幸福を生まない」としたら、何が日本人を幸福にするのかと。

その正解のない「幸福絶対条件」を追求した果てに、ついに精神的に破綻し「バブル崩壊」を生じせしめたのではないか。
いずれにせよ、映画に時代が憑依する事があるとすれば、間違いなく、この映画は当時の不安を映り込ませ、その未来のバブルの崩壊を予兆していると信じる。

監督森田芳光が持つ感性の、震える触手のような明敏さを思わずにはいられない。
ただ森田にしてみれば残念な事に、松田優作という希代の俳優の早世により、映像作家として十分その才能を映像に置き換え得なかったように思える。

もし松田優作が、森田の映画『模倣犯』の主役を演じていたなら、あの映画の意味はまるで違うものになったいただろうと思うと、残念でならない。

この『家族ゲーム』と『それから』で示された、森田と松田の共犯関係がその途上で断絶せざるを得なかったのは、間違いなく日本映画界の損失だったに違いない。

しかし今となっては、この2本を残してくれただけでも、この物故した二人の天才に映画ファンとして感謝をすべきだろう。

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森田芳光監督作品

関連レビュー:大ヒット不倫映画
『失楽園』
渡辺淳一原作の同名小説を映画化
役所広司、黒木瞳の大胆な性愛描写
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平凡な武士階級の家族の記録

戦後日本の家族を描いた映画

関連レビュー:園子温監督作品
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「自殺サークル」の姉妹作品
平成の家族の行方
関連レビュー:是枝裕和監督作品
『歩いても、歩いても』
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日本的映像表現の必然


posted by ヒラヒ・S at 17:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

傑作映画『マカロニ』イタリア式人生讃歌/感想・あらすじ・解説・ネタバレなし

人情話の教科書。

原題 Maccheroni
製作国 イタリア
製作年 1985
上映時間 106分
監督 エットーレ・スコラ
脚本・原案 エットーレ・スコラ、ルッジェーロ・マッカリ、フリオ・スカルペッリ


評価:★★★★★  5.0点



私は、この映画を愛して止みません。
傑作です。
この映画のウェットな情感と、一種奇跡を含む物語は、イタリア映画の持つノスタルジックな味わいが心に沁みる作品です。
人生に疲れた大人が見ると、明日もまた生きてみるかと思える、応援歌のような物語です。

映画『マカロニ』ストーリー


maca-remon.jpgマクダネル・ダグラス社の副社長ロバート・トラベン(演:ジャック・レモン)が、イタリアはナポリの空港に降り立った。
アリタリア航空で、難航する交渉をまとめるために、この地に出張でやって来たのだ。
数十年前、彼は第二次世界大戦の際にイタリアに進駐し、ナポリの地で現地の娘マリアと恋に落ちていた。
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その娘の兄、アントニオ・ヤゼロ(演:マルチェロ・マストロヤンニ)がロバートを訪ねてホテルに来る。
ロバートは会社の出世争いで窮地にあり、イライラして旧交を温めに来たアントニオを追い返した。

しかしロバートは、戦時中のことを思い出すうちに、若き日の自分を確かめようと、アントニオの住む町を訪れる。40年ぶりに再会するマリアは孫達に囲まれて幸せそうだった。
訪ねた町の人々から思いがけずに歓迎を受け、英雄扱いされ面くらう。
それは愛を誓ったロバートに去られた妹を慰めるため、アントニオがロバートに成り代わって、架空の冒険談を手紙で送っていたためだった。
その話は町の人々も知るところとなり、町ぐるみでロバートの活躍に喝采を送るようになっていたのだ。
驚いたロバートだが、町の中で時間を過ごすうちに、いつしか自分もかつての情熱と希望の心を蘇らせる。
更にアントニオの人生を楽しむ姿に、自らの仕事漬けの人生を省みる。
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(上:人生は生きる価値のあるものだ。だから死に打ち勝つんだ。)

しかしロバートは、会社での地位が危うくなり、急遽帰国することとなった。
しかし時を同じくして、アントニオの息子ジュリオがマフィア絡みのトラブルに巻き込まれる。
ロバートはアメリカに帰り保身を図るか、ナポリに残りアントニオ親子を救出するヒーローになるか、自らの心に問いかける。
彼が選んだ人生は・・・・・・・・・・・

映画『マカロニ』予告


映画『マカロニ』出演者

ロバート・トラベン(ジャック・レモン)/アントニオ・ヤゼロ(マルチェロ・マストロヤンニ)/ローラ(ダリア・ニコロディ)/カメリーナ(イサ・ダニエリ)/ポルテーラ(マリア・ルイーザ・サンテーラ)/ヴァージニア(パトリツィア・サッキ)


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映画『マカロニ』感想



俳優はジャック・レモンマルチェロ・マストロヤンニ
往年の映画ファンなら、これだけでも見たいと思うはず。
米伊を代表する実力派スターの夢の競演です。
ジャック・レモン(Jack Lemmon, 1925年2月8日 - 2001年6月27日)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身の俳優。本名はジョン・ユーラー・レモン三世(John Uhler Lemmon III)。戦後アメリカ映画界最高の喜劇俳優と言われた。Jack-Lemmon.jpg
1954年に映画デビューを果たし、まもなく1955年の『ミスタア・ロバーツ』でアカデミー助演男優賞を受賞。1959年に『お熱いのがお好き』に起用されてからは、ビリー・ワイルダー監督作品の常連となる。当初は単なるコメディアンと見られたが、1960年の『アパートの鍵貸します』のうだつのあがらないサラリーマン役や、1962年の『酒とバラの日々』でのアルコール依存症患者役などのシリアスな演技も見せて、現代人の持つ性格的ひ弱さを演じては右に出るものはいないとまで言われる。1973年の『セイブ・ザ・タイガー』でアカデミー主演男優賞を受賞し、主演、助演を獲得した最初の俳優となった。(wikipediaより)

マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo Domenico Mastroianni, 1924年9月28日 - 1996年12月19日)は、20世紀のイタリアを代表する映画俳優。maca-maruche.jpg
第二次世界大戦が終結した1945年に演劇の世界に入り、ローマで映画の制作スタッフとして働くとともに、ローマ大学の演劇センターで俳優のレッスンを受け始める。その後イタリアを代表する巨匠、ルキノ・ヴィスコンティ監督に才能を認められ、1947年にイタリアで公開された『レ・ミゼラブル』(原題:『I Miserabili』)で俳優としてのキャリアをスタートさせる。その後は『バストで勝負』(1955年)や『女と男』(1957年)、 ルキノ・ヴィスコンティ監督の『白夜』(1957年)などに出演し、1959年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督の名作『甘い生活』(原題:『La Dolce vita』)で、ローマの上流階級を舞台に退廃的な生活を送るゴシップ記者を演じ、世界的な名声を得る。(wikipediaより)


監督がエットーレ・スコラ。
「イタリアの山田洋次」と勝手に思っています。
「星降る夜のリストランテ」「BARに灯ともる頃」「特別な一日」など、人生の機微を描いて名人の域にあるお方です。
そんな、ツボを抑えた演出にシビレること請け合いです。
関連レビュー:エットーレ・スコラ監督を紹介
『ル・バル』
ダンス・ホールで繰り広げられる無言劇
ベルリン国際映画祭銀熊賞・受賞作品

この映画も、もちろん期待に違わず笑わせてくれてホロリとさせて、本当によく出来た映画です。
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第二次世界大戦当時、イタリアに駐留したアメリカ兵で、数十年ぶりで仕事でイタリアに来た男の役がジャック・レモン。
そのジャック・レモンと恋に落ちたイタリア娘の兄が、マルチェロ・マストロヤンニ。
ジャック・レモン演じるアメリカ兵は、恋に落ちた娘にいつか帰ってくると約束をしながら、その約束はスッカリ忘れています。
それなのになぜか、彼はマルチェロ・マストロヤンニの歓迎を受け、その妹とかつて駐留した村で自分が英雄になっている事を知る・・・・・・・

どうですか、この導入部?
いい感じでしょう?
この映画は、若き日の夢が現実に侵食された、哀れなアメリカ人の中年男をジャック・レモンが演じ、説得力があります。

日々の仕事にストレスを抱え、余裕を喪っている彼は、自らの人生を必死に走って来た、その先に見える未来に破滅の予兆を感じ慄いています。

一方のマルチェロ・マストロヤンニはイタリア式人生を謳歌し、仕事よりも恋や趣味に喜びを感じつつ生きています。
そんな、余裕のある「快楽式人生」を悠々と生きる姿を、いぶし銀の演技力で表現します。


そして、イタリア的快楽人生が、アメリカ的な仕事人生に影響を与え、ついにはキャリア以上に大事な「人生の幸福」を見出すという物語です。

そんな、人生の再生を描いて完璧な映画だと感じました。

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映画『マカロニ』解説

ハリウッド映画へのオマージュ


この映画はジャック・レモンがかつて演じてきた、シャレた都会派コメディに対するオマージュのような作品です。
エットーレ・スコラ監督は、アメリカの明るいヒューマン・コメディを愛してきたのでしょう。
それはかつてのハリウッド映画が表わした、明るく自由で元気なアメリカという国に対するオマージュでもあります。
この映画のアメリカ人が苦しみ疲れているのは現実のアメリカを反映した姿であり、このイタリア監督は自らの喜びを生み出してくれたアメリカ映画とアメリカに対して、イタリアからエールを送っているように思います。

そんな物語をイタリア映画特有のウェットな情感と、良い意味で予定調和的な世界観で、見る者の心を感動させ共感を呼びます。

しかし、実はそんなハリウッド映画に対するオマージュを描いた欧州映画がたくさん有ります。
関連レビュー:ハリウッド映画のオマージュ
『ジンジャーとフレッド』
フェデリコ・フェリーニのノスタルジックな映画
マルチェロ・マストロヤンニ主演
関連レビュー:フランス発ハリウッド映画の憧憬
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーヴェル・バーグの開幕
関連レビュー:イタリアの語る「映画こそ天国」
『ニューシネマパラダイス』
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の語る映画の快楽
旧き映画のノスタルジー



欧州映画の消失



こんな人情話のお手本のような、このお話の最後には、落語のような見事なオチまで付いています。

絶対に見て損はないですが、問題は手に入るかどうかです・・・

ホントにヨーロッパ映画は見たい作品が・・・・・・

どんどん消えていく・・・・・

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posted by ヒラヒ・S at 18:44| Comment(0) | TrackBack(0) | イタリア映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする