2019年08月17日

アメリカ映画界選定!『偉大なアメリカ人伝説スター50人』/AFIアメリカ映画『100年100本』シリーズ!

AFI選定『偉大な50人のアメリカ人伝説スター』がコレだ!!!

AFIというアメリカ政府公認の「映画芸術の遺産を保護し前進させること」を目的とした機関があります。
その組織の概要は下の記事で書かせて頂きました。
関連レビュー:AFIってナニ?
『史上最高のアメリカ映画100本』
アメリカ映画界が選んだアメリカ映画のベスト100!!!
AFI『100年100本』シリーズの第一弾

そんな「AFI=アメリカン・フィルム・インスティチュート」が、アメリカ映画誕生から100周年の記念事業として、1998年から『100年100本』と題する映画ランキングの編纂を始めます。
今回紹介するのは、AFIが取り組んだこの事業の、2004年に発表された映画ソングのベスト100です。
この順位決定も他の『100年100本』シリーズ同様、AFIが候補作を選び、映画関係者(監督、脚本家、俳優、編集者、映画撮影技師、批評家、歴史家)の投票により決まったものです。

ちなみに、この企画の第一弾は、上の記事で紹介した『史上最高のアメリカ映画100本』でした。

それでは、まずAFIの『偉大なアメリカ人伝説スター50人』冒頭の言葉をご紹介。
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AFI『偉大なアメリカ人伝説スター50人』
AFIの100年... 100スターは、史上最高の50人の伝説的なスクリーンの頂点の-女性25人と男性25人-のリストです。
AFIの100年... 100スターCBSテレビスペシャルはシャ―リ―・テンプルの司会で、最初に1999年6月16日に放送されました。この50人の偉大なスターを現代の50スターが紹介し―合わせて100人のスターとするテレビの企画でした。
AFIが定義する”アメリカのスクリーン・レジェンド”は、1950年以前にスクリーン・デビューしたか、または、1950年以後にデビューしても死によってその業績が確定された、アメリカの長編映画の中で重要なスクリーン上の存在である、俳優または俳優グループです。

以上、大幅に意訳してます。原文はこちら⇒「AFI's 100 GREATEST AMERICAN MOVIE MUSIC」

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AFI選定『偉大なアメリカ人伝説スター50人』リスト



という事で、いよいよ伝説スターをご紹介!
当ブログで記事にした伝説スターの出演作品にリンクが貼ってあります。どの出演作品とリンクしているかは、あえて伏せさせて頂きます。興味があれば、お読みください。

<男性俳優>

1 ハンフリー・ボガート
2 ケーリー・グラント
3 ジェームズ・ステュアート
4 マーロン・ブランド
5 フレッド・アステア
6 ヘンリー・フォンダ
7 クラーク・ゲーブル
8 ジェームズ・キャグニー
9 スペンサー・トレイシー
10 チャーリー・チャップリン
11 ゲイリー・クーパー
12 グレゴリー・ペック
13 ジョン・ウェイン
14 ローレンス・オリヴィエ
15 ジーン・ケリー
16 オーソン・ウェルズ
17 カーク・ダグラス
18 ジェームズ・ディーン
19 バート・ランカスター
20 マルクス兄弟
21 バスター・キートン
22 シドニー・ポワチエ
23 ロバート・ミッチャム
24 エドワード・G・ロビンソン
25 ウィリアム・ホールデン

<女性俳優>
1 キャサリン・ヘプバーン
2 ベティ・デイヴィス
3 オードリー・ヘプバーン
4 イングリッド・バーグマン
5 グレタ・ガルボ
6 マリリン・モンロー
7 エリザベス・テイラー
8 ジュディ・ガーランド
9 マレーネ・ディートリッヒ
10 ジョーン・クロフォード
11 バーバラ・スタンウィック
12 クローデット・コルベール
13 グレース・ケリー
14 ジンジャー・ロジャース
15 メイ・ウエスト
16 ヴィヴィアン・リー
17 リリアン・ギッシュ
18 シャーリー・テンプル
19 リタ・ヘイワース
20 ローレン・バコール
21 ソフィア・ローレン
22 ジーン・ハーロウ
23 キャロル・ロンバード
24 メアリー・ピックフォード
25 エヴァ・ガードナー


★伝説のスターを紹介した、現代のスター50人(順不動)★
ケビン・ベーコン、アレック・ボールドウィン、ジャクリーン・ビセット、アーネスト・ボーグナイン、ジェームズ・カーン、ジム・キャリー、チェビー・チェイス、シェール、ケビン・コスナー、ビリー・クリスタル、クレア・デインズ、ジーナ・デイビス、ローラ・ダーン、マット・ディロン、リチャード・ドレイファス、クリント・イーストウッド、ミア・ファロー、ブリジット・フォンダ、ピーター・フォンダ、 モーガン・フリーマン、テリー・ガー、ウーピー・ゴールドバーグ、ジェフ・ゴールドブラム、ウッディ・ハレルソン、リチャード・ハリス、 ゴールディ・ホーン、グレゴリー・ハインズ、ダスティン・ホフマン、アンジェリーナ・ジョリー、マイケル・キートン、マーティン・ランダウ、 ジェシカ・ラング、シャーリー・マクレーン、マーシャ・メイソン、マーリー・マトリン、マイク・マイヤーズ、エドワード・ノートン、エドワード・ジェームズ・オルモス、ミス・ピギー、リンレッド・グレイヴ、ジュリア・ロバーツ、ジーナ・ローランズ、ケビン・スペイシー
、シルベスター・スタローン、ロッド・スタイガー、シャロン・ストーン、ビリー・ボブ・ソーントン、リリー・トムリン、エミリー・ワトソン、 ジェームズ・ウッズ

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AFI『偉大なアメリカ人伝説スター50人』リストの感想


AFIの選んだ映画100年の中で輝く、伝説の俳優リストはいかがだったでしょうか?

個人的な印象を語れば・・・・・・・・・古い人が・・・・・・・・・多い。
こうして見てみると、映画本編が古典として永遠の命を獲得するのに比べ、実は映画スターは時代を超越し輝くことは難しいのではないかと感じてしまいました・・・・・・。

それは、スターというものが、その時代を生きる人々の夢や希望を体現し象徴する存在として輝き、同時にその時代に殉じる存在なのかとも思います。

いずれにしても映画によって、たった1人の人間が世界人類の憧れの存在となるという、歴史上初めての事態が生じたのは、とてつもなくスゴイことではないでしょうか?

このAFIの他にも、ベスト100の企画は、様々な目的と意図を持って世界中で企画されています。
つたないながら、当ブログで紹介した記事を以下紹介させて頂きます。
関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『100本の偉大なアメリカ映画』
批評家の選んだハリウッド映画のベスト100!!!
映画の歴史を作ったアメリカ映画の古典


関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『21世紀最高の映画ベスト100』
21世紀に生まれた映画のベストを決定!!!
しかし2000年の映画が選出!これ20世紀でしょ?

関連レビュー:BBCのベスト映画企画
英BBC『史上最高の外国語映画ベスト100』
日本映画が高評価!!!
英語圏以外で作られた映画、オール・タイム・ベスト100


また、一般の映画ファンがどんな映画を評価しているかで、ベスト100を選んだ特集もあります。
関連レビュー:英国エンパイア誌のベスト映画企画
エンパイア誌『史上最高の100本の映画』
日本映画が高評価!!!
エンパイア読者が選ぶ、オール・タイム・ベスト100


映画の歴史に興味があれば、アカデミー賞の歴代受賞はいかがでしょうか?
関連レビュー:オスカー受賞一覧
『アカデミー賞・歴代受賞年表』
栄光のアカデミー賞:作品賞・監督賞・男優賞・女優賞
授賞式の動画と作品解説のリンクがあります。
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posted by ヒラヒ・S at 17:00| Comment(0) | 映画情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月14日

映画『軽蔑』(1967年)ゴダールが軽蔑したものとは?/感想・解説・ゴダールの反商業主義・評価

映画『軽蔑』(感想・解説 編)

原題 LE MÉPRIS
英語題 CONTEMPT
製作国 フランス・イタリア合作
製作年 1963
上映時間 102分
監督 ジャン・リュック・ゴダール
脚色 ジャン・リュック・ゴダール
原作 アルベルト・モラヴィア


評価:★★★   3.0点



60年代とは、自由と民主主義に揺らぎが生まれた時期でした。
そんな時代に監督ゴダールは、反米を唱え「共産主義」を信奉するに至ります。

また同時に60年代とは、POPカルチャーなど、あらゆるモノが消費の対象となり大衆に届けられた時代でもあります。
それはブリッジド・バルドーなど映画女優もまた、セックス・シンボルとして女性「性」を商品化され、消費されていくのです。

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<目次>
映画『軽蔑』感想
映画『軽蔑』解説/ゴダールと反商業主義
映画『軽蔑』考察/作品中から見えるテーマ
映画『軽蔑』解説/ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル
映画『軽蔑』評価

映画『軽蔑』予告

映画『軽蔑』出演者

カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)/ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピコリ)/ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)/フランチェスカ・ヴァニーニ(ジョルジア・モル)/フリッツ・ラング(フリッツ・ラング)/ラング助監督(ジャン=リュック・ゴダール)/撮影監督(ラウール・クタール)/シレン(リンダ・ベラス)
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映画『軽蔑』感想


この映画に関して言えば、当時マリリン・モンローの向こうを張って、フランス版セックスシンボルと呼ばれたブリジッド・バルドーの目力に圧倒されます。
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しかし映画自体の内容は、バルドーのスター性を生かす映画というよりも、ゴダールの政治主張を語る作品となっていると感じます・・・・・

その結果としてこの映画は、その作品中に違うベクトルを持ってしまった。

ブリジッド・バルドーの妖艶な魅力を楽しみたい観客には、ゴダールのテーマ性が邪魔になり、ゴダールの世界に入り込みたいファンにとってはバルドーの存在感が大きすぎるように見えます。

そんなこの映画の対立する要素を、以下にまとめてみました。

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映画『軽蔑』解説

ジャン・リュック・ゴダールの原理主義
ジャン・リュック・ゴダールという映画監督は、1950年代末期のフランス映画界から生まれ、世界に衝撃を与えたヌーベル・バーグの旗手として有名です。
そのスタイルは革新的で、それまで映画のプロフェッショナルが決してやらなかった、斬新な映像表現を生み出し、賛否両論を生みました。
関連レビュー:ヌーベル・バーグ解説
『勝手にしやがれ』
ジャン・ポール・ベルモンドとジャン・リュック・ゴダール監督
ヌーベル・バーグの開幕

しかし、なかなか戦闘的な方のようで・・・・・・・・

映画作品や、政治、社会の問題に関し、数々の発言によって論争や混乱を巻き起こしています。

その端的な例が1965年の『気狂いピエロ』で、この映画ではベトナム戦争を泥沼化させたアメリカ合衆国に対し批判を繰り広げます。
関連レビュー:ゴダールの反米主義
『気狂いピエロ』
ゴダール監督のベトナム戦争批判
ジャン・ポール・ベルモンド主演

そして1960年代当時のリベラルな人々が、権力に対抗する思想として信奉していた「共産主義」的主張を強く語るようになります。

そもそも1960年代後半の世界は、アメリカでの公民権運動や、日本の安保反対運動に見られるように、民主化を求める市民の声が高まり、国家権力に対し実力行使も辞さない世相だったのです。
そんな最中の1967年8月には、ゴダールは資本主義的なアメリカ映画を強く批判し、自らも商業映画を作らないとの決別宣言文を発表しました。
「われわれもまた、ささやかな陣営において、ハリウッド、チネチタ、モスフィルム、パインウッド等の巨大な帝国の真ん中に、第二・第三のヴェトナムを作り出さねばならない。 そして、経済的にも美学的にも、すなわち二つの戦線に拠って戦いつつ、国民的な、自由な、兄弟であり、同志であり、友であるような映画を創造しなくてはならない。」− ゴダール、『ゴダール全集』4巻(1968年刊)

つまりは、資本家や権力者のための映画ではなく、民衆のための映画という事でしょうか・・・・・
実際その「共産主義的理想」に対する強い意志を反映し、この宣言後1979年『勝手に逃げろ/人生』まで商業映画を撮りませんでした。

そんなゴダールの反商業主義の主張は映画界でも力を持ち、もう一人のヌーベル・バーグ運動の中心的人物だったフランソワ・トリュフォーと共に扇動し、1968年の第21回カンヌ国際映画祭を、商業的だと批判し中止へと追い込んでいます(カンヌ国際映画祭粉砕事件)。
このカンヌ事件の背景には、1968年の同時期に発生した「5月革命」と呼ばれる、歴史的事件がありました。
フランスの五月危機(ごがつきき)は、1968年5月におきた、フランスのパリでおこわれたゼネスト(ゼネラル・ストライキ)を主体とした学生の主導する労働者、大衆の一斉蜂起と、それにともなう政府の政策転換を指す。五月革命ともいう。セックス革命、文化革命、社会革命でもあった。
パリ五月革命がドゴールを倒したという説は誤謬であり、ドゴールは選挙に勝ち、政権にとどまり続けた。しかし運動の影響で政権は弱体化し、翌年にはドゴールは辞任することになる。(wikipediaより)
<5月革命の様子>

しかし、この時盟友である2人の間に溝が生じます。

カンヌ映画祭の中止だけで満足するトリュフォーに対し、ゴダールはもっと政治的メッセージを主張したのです。

ゴダールは本気で、世界を「共産主義革命」によって再生しようと考え、中途半端な妥協を許せなかったのでしょう。

そして、トリュフォーの映画『アメリカの夜』をゴダールが批判したことによって、2人は決定的に仲違いします。
そもそもトリュフォーは、自ら「政治や戦争には興味がない」と公言していた人です。
関連レビュー:トリュフォー映画の資質
映画『華氏451度』
どうしたトリュフォー?SF映画を撮って明らかになった事実!
トリュフォーはなぜ恋愛映画ばかり撮るのか?

そんな彼が、共産主義のイデオロギーを前面に掲げたゴダールと、対立するのは致し方ない成り行きだったでしょう。
トリュフォーとゴダールを描いた映画<二人のふたりのヌーヴェルヴァーグ>

こうやって追ってくると、この映画『軽蔑』当時のゴダールは、作品そのものに政治的な主張を色濃く反映させていたと見るべきでしょう。

そんな彼の作品だと見れば、この映画『軽蔑』が語るテーマは「反商業主義映画」の原理主義的主張であると個人的には思えます。

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映画『軽蔑』解説

作品ストーリーからテーマ考察

この映画『軽蔑』の内容に即し、「商業主義映画に対するアンチテーゼ」というテーマがどう語られているか追ってみたいと思います。

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まず冒頭の映画の撮影シーンで、この作品が「映画」を語ったものだと宣言します。

さらに次の夫婦の寝室での会話シーンで、その色が赤白青とトリコロールに彩られ、愛のあるフランス夫婦だと語られます。
そしてその「愛」は、ドイツ人監督フリッツ・ラングが、イタリア・チネチッタ撮影所で撮る「オデッセウス」という真の映画の存在で、更に「映画愛」として登場します。

しかし、そこにジャック・パランス演じるアメリカ人映画プロデューサーが、金の力で「真の映画」を商業主義に満ちた作品に書き換えようとします。
それは「映画愛」を金で売るのに等しい行為でしょう。

その「改変=映画を汚す」仕事を依頼されたのが、フランス人夫婦の夫ミシェル・ピコリ演じるポールでした。
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彼は、プロデューサーがエロチックなシーンを入れろという要求に、アパートの支払いができるからと応じます。

つまりは、金で「映画愛」を売ったのです。
その事は、妻をプロデューサーの車に乗せ、自分は後から行くシーンでさらに補強されます。

妻さえも、「夫婦愛」さえ、金のためにこの夫は売りかねないと語られます。
その事が分かったからこそ、フランス人の妻は夫を「軽蔑」したのでした。

その妻に生まれた「軽蔑」は、たとえ後で改心したとしても決して許される事がありませんでした。
更には「愛」を喪った妻自身も「金=アメリカ人プロデューサー」に走った所を見れば、一度「愛」という価値を喪えば「金」に支配されると語られているように思います。

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このゴダール映画の「金=商業映画」に対する見方は、100か0かに近い厳しいもので、少しでも金に目が眩めば地獄の底という断罪ぶりです。

この峻厳さは、ゴダールがそれほど強く映画の商業化に拒否反応を示してしていたという「証左」のように思います。
そんな事で、この作品を「夫婦関係のもつれ=夫婦愛の錯綜=男女の恋愛」だけで読むには、他の余分な要素が多すぎると思います。

しかし、この映画が「男女間の愛」を強く感じさせるのは、ヒロイン役のブリジッド・バルドーの存在があまりにも女性的で官能的で、ゴダールの意図を超えて主張してしまっているからではないかと感じられてなりません。
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映画『軽蔑』解説

ブリジッド・バルドーと60年代セックス・シンボル

この映画のヒロインを演じるブリジッド・バルドーは、フランスの官能的女優として人気を博しました。

ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot、1934年9月28日 - )は、フランス・パリ15区出身の女優、ファッションモデル、歌手、動物保護活動家である。頭文字が B.B.であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébéとかけて「BB」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスのマリリン・モンロー」とも形容され、20世紀のヨーロッパを代表するセックス・シンボルであった。(wikipedia より)


このブリジッドバルドーに冠せられた、「セックスシンボル」が意味したものは何だったのでしょうか?
セックスシンボル(sex symbol)とは性的魅力があり、性的魅力によって人気を得る人物のこと。
「セックスシンボル」という用語は、マリリン・モンロー、ブリジット・バルドー、ラクエル・ウェルチなどの映画スターの人気に関連して、1950年代半ばに初めて使用された。この概念は、第二次世界大戦後の女性の性的・経済的解放の増加を反映したものである。(wikipedia より)

1950年代とは、第二次世界大戦中の総力戦を戦う中で、それまで主婦の役割に限定されていた女性たちが、兵士として出征した男性不在の社会で積極的な役割を持ち、社会参画に意義を見出す女性達が声を上げだした時代でした。
すでに家庭内での主婦に飽き足らなくなった女性たちは、フェミニズム活動を繰り広げ自分たちの権利を主張します。
関連レビュー:1950年代フェミニズムの誕生
『レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで』
1950年代のフェミニズムとアメリカンドリームの行方
ケイト・ウィンスレットとレオナルド・デカプリオ主演

そんな女性たちの自立と権利の主張は、家父長制の家族における貞淑な良妻賢母という価値感を突き崩して行きます。

そんな時代に新たな価値観を提示した女優が二人、ハリウッド映画界に出現しました。

一人はオードリーヘップバーンであり、もう一人がマリリンモンローです。

オードリーヘップバーンが表したのは、そのデビュー作『ローマの休日』からして、自立する女性の気品と高貴だったように思います。
関連レビュー:新時代の「お姫様=女性像」
映画『ローマの休日』

オードリーヘップバーン主演
恋愛映画の金字塔

対して、マリリンモンローが示したのは、女性「性」を商品化することで、自らの価値を高めうるという真実でした。
この戦略的「性の商品化」は、戦前の「グラマー女優=ピンナップガール」の色気を、さらに男たちの欲望に沿う形でチューンナップし提示していると思えます。
関連レビュー:マリリンモンローという女優
映画『七年目の浮気』

60年代の「ロリータ巨乳」伝説
セックスシンボルの誕生

マリリンはヌードモデルになったという過去がスキャンダル化してもなお、むしろスキャンダルを利用して男たちの欲望を掻き立てることに成功します。

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またマリリンは、「夜寝るときに身に着けるのはシャネルの5番だけ」(裸で寝る意)などと挑発的な言葉をインタビューに語り、自らの性的魅力を売り込むことに貪欲でした。

彼女は貧しい出自の生まれで、徒手空拳で「性的魅力」を武器に体一つで成功を勝ち取ったその姿も、また女性の自立の方法として現実社会の一典型だったでしょう。
太陽のような天真爛漫さとセクシーさを併せ持つマリリン・モンローだったからこそ、当時の公序良俗に反する「性の商品化」も際どく認知されたのだと個人的には感じられます。

しかし、自ら切り開いた「性の商品化=セックスシンボル」を演じることに疲れた彼女は、悲劇を迎えることになりますが‣・・・それはまた別の話。

つまり、この映画のブリジッド・バルドーも「性の商品化」というマリリンのビジネスモデルに、全面的に乗っかっていた女優だったわけです。
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映画『軽蔑』評価


上で見たように、この映画の監督ジャン・リュック・ゴダール が主張したかったのは、共産主義的な信念に基づく「反商業主義」だと思います。

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しかし、だとすれば、その主張とは真逆の価値を体現する女優を使ってしまった点に、疑問を持たずにはいられません。

つまり、ブリジッドバルドーという「セックスシンボル=性の商品化」である女優が、ゴダールのこの作品のメッセージを裏切ってしまっているのです。
そんな矛盾が、観客にとって混乱を生むことになり、この作品の真意を不明瞭にしているように感じられ、★3個としました。

結局のところ、「共産主義」など「反自然的=禁欲的な理想」は、「性=自然」のダイナミズムに常に敗れるという事かもしれません・・・・・



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2019年08月08日

映画『戦火の馬』スピルバーグ監督の新境地!/感想・解説・考察「おとぎ話と理念」

>映画『戦火の馬』(感想・解説 編)



原題 War Horse
製作国 アメリカ
製作年 2011
上映時間 147分
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚本 リー・ホール、リチャード・カーティス
原作 マイケル・モーパーゴ


評価:★★★★   4.0点



この映画を見て、僭越ながら、スピルバーグ監督の表現力の進化を感じました。
今やスピルーバーグはハリウッド映画界を象徴するような人ですが、「激突」の昔から年々作品の幅を広げて来た軌跡を見ると、その努力は如何ばかりかと頭が下がります。

個人的にスピルバーグこそ、ハリウッド映画産業の中興の祖だと思ったりします。

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<目次>
映画『戦火の馬』感想
映画『戦火の馬』解説/スピルバーグの進化「おとぎ話と理念」
映画『戦火の馬』解説/戦争と軍馬

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映画『戦火の馬』予告

映画『戦火の馬』出演者

アルバート・ナラコット(ジェレミー・アーヴァイン)/ローズ・ナラコット(エミリー・ワトソン)/テッド・ナラコット(ピーター・マラン)/エミリーの祖父(ニエル・アレストリュプ)/ライオンズ(デヴィッド・シューリス)/ジェームズ・ニコルズ大尉(トム・ヒドルストン)/ジェイミー・スチュワート少佐 (ベネディクト・カンバーバッチ)/サイ・イーストン(ゲイリー・ライドン)/アンドリュー・イーストン(マット・ミルン)/パーキンス(ジョフ・ベル)/チャーリー(パトリック・ケネディ)/フリードリヒ(ニコラス・ブロー)/ギュンター(ダフィット・クロス)/ミヒャエル(レオナート・カロヴ)/フライ(エディ・マーサン)/エミリー(セリーヌ・バケンズ)/エミリーの祖父(ニエル・アレストリュプ)/ブラント(ライナー・ボック)/デイヴィッド・ライオンズ(ロバート・エムズ)/兵士コリン(トビー・ケベル)/ドイツ兵ペーター(ヒンネルク・シェーネマン)/軍医(リアム・カニンガム)
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映画『戦火の馬』感想


スピルバーグ監督の映画表現の拡大は、この感動的な映画『戦火の馬』を見れば、明らかだと個人的には感じました。
この映画は基本的に「ET」と同じ物語原型を持っていながら、『ET』よりもその描写が繊細で丹念になり、作家としての主張が説得力を持って語れるようになったと思えるからです。
関連レビュー:スピルバーグの代表作
映画『E.T.』
SFとスピルバーグとおとぎ話
宇宙人と少年のヒューマン・ドラマ

具体的に言及すれば『ET』『戦火の馬』の2本とも、無垢な魂を持つ弱き者に対して、無限の同情と救済を描いている点で同じテーマの変奏曲だと思います。
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その同じテーマを、『ET』ではSF設定の中で、地球に遭難した「宇宙人の子供=弱者」と「地球の子供=救助者」の交流の内に描きます。

映画『戦火の馬』では、1900年代の第一次世界大戦を舞台に「馬=弱者」と「飼い主=救助者」の関係に置き換えられています。
しかし同じ物語構造を持ちつつ、この2本の映画には差が有り、その差を確認するとスピルバーグ監督の表現力の変化が見られると思うのです。

その差異の一つが「弱者」を追い詰める「敵役」です。
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「ET」では「敵役」が「政府機関=大人」で、大人対子供という構図になっており、実はこれは「ピーターパン」の永遠の子供と悪い大人の対決の焼き直しだと思えます。

そんなおとぎ話の構造に、「子供とペット(ET)」、映画的に派手なSF的ビジュアルと、ヒット作品の要素がテンコ盛に詰め込まれていることが分かります。
対して「戦火の馬」での敵役は「戦争」です。

それゆえここで描かれている対立の構図とは、戦争という人間の作り出した罪悪とそれにより破壊される自然が表わされています。
ここには明確に「テーマ=人間による自然破壊」が表現されていると感じます。

考えてみれば、若き日のスピルバーグ作品は『激突』や『ジョーズ』、そして『ET』にしても、ある種「おとぎ話の構造=人間の深層心理の顕在化」を、現代的な舞台やSF的な道具立て、特にFXなどの特撮技術を駆使して、刺激たっぷりに描いていました。
関連レビュー:スティーブン・スピルバーグ監督作品
『激突』
スピルバーグのデビュー作品
迫りくる恐怖のトラック

それに対して、後年になるにつれ『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』で表現されるように、社会的なメッセージを語る作品に変化してきたように思います。
関連レビュー:スピルバーグとハンクスのコンビ作品
『プライベート・ライアン』
第二次世界大戦の物語
トム・ハンクス主演・アカデミー賞受賞作品

しかし、この映画で「現実的な物語」と「おとぎ話」が、見事な融合を果たしていると感動を覚えました。
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映画『戦火の馬』考察

おとぎ話と現実ドラマ

そもそも物語に「テーマ」を持ち込むという「ドラマツルギー」は、「おとぎ話」要素を薄める事に他なりません。
なぜなら「おとぎ話」の、人々の心の奥底にある無意識世界を強く深く抉るためには、悪夢的イメージとそれに伴うエモーショナルな刺激が不可欠であり、同時にそれは具体的なテーマ性、現実を語るための物語とは相反するものだからです。

その「おとぎ話」と「現実物語」の移行による迷いが端的に出たのが、スピルバーグ監督が始めて現実的な物語を題材にした、『カラーパープル』であり『太陽の帝国』です。
その作品はスピルバーグの意欲に反して「スピルバーグのアカデミー賞狙い」と揶揄(やゆ)され、興行的にも失敗をしました。
関連レビュー:スピルバーグのオスカー挑戦
『太陽の帝国』
日本軍にあこがれるイギリス少年
クリスチャン・ベールのデビュー作

その2作を見れば、やはり、現実に依拠したドラマを描くための説得力、表現技術がまだ不十分だったと感じます。

horse_steven.jpgしかしそこはスピルバーグ、その後に発表する作品で「現実物語の話法」を確実に消化し、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』によって、アカデミー監督賞を受賞しています。
この2作品は真摯なテーマを描いた完成度の高い作品で、当然ながら、現実世界のメッセージを届けるために「おとぎ話」のドラマツルギーを採用していません。

そして、やはりスピルバーグのファンタジーが持つ「おとぎ噺」の力に較べると、どこか「現実物語」は説得力に欠ける印象を持ちます。
個人的な印象としては「理念」を語る映画として見れば不完全燃焼であり、この型の映画であれば他に上手い監督がたくさんいて、やはり「ジュラシック・パーク」などの「おとぎ話」系列の娯楽作の完成度を考えれば、スピルバーグの監督としての資質はコチラにあると、個人的にはかんじられます。(右:『戦火の馬』のスピルバーグ)

例えば『シンドラーのリスト』同様、ユダヤ人ホロコーストを描いた『サウルの息子』の戦慄的な表現力に較べれば、どこかエンターテーメントを意識する分弱いと感じてしまうのです。
関連レビュー:ホロコースト映画の新たな地平
『サウルの息子』
アウシュビッツ・ゾンダーコマンドの真実
地獄における人の尊厳

しかしそんなアサハカな私の印象を、スピルバーグは嘲笑うように、この映画『戦火の馬』で超えてしまいます。
すなわち、「理念を語る現実映画」と「おとぎ話」の2系統の作品が並列していたスピルバーグ監督作が、この「戦火の馬」によって、「理念」と「おとぎ話」が融合し、「理念を語れるおとぎ話」として一つの完成を見せたように思います。
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この映画では物語としての強さと、スピルバーグの主張が、お互いに補完関係として成立し、馬に降りかかるおとぎ話的運命の変転を追ううちに、自ずから人間が犯した罪悪「戦争」が如何に自然界を毒しているかと、涙とともに考えざるを得なくなります。
しかし今まで語ってきたように、本来相反する要素である「原初的・自然発生的物語=おとぎ話」に「理念という人工物」を渾然一体の形で表現するというのは、水に油を溶け込ませるくらい難しいことです。

それを可能にするためには、語るべき理念を一度トコトンまで突き詰め原初的な「おとぎ話」の要素にまで還元するという、「理念の情念化」とでも呼ぶべき作業を経て、「物語と理念」の完全な融合を果たした結果なのだと思います。
そしてそれこそは、この映画が語った「物語=自然発生物と理念=人工物」の融合という理想を、映画の構成で謳い上げているというのは、牽強付会に過ぎるでしょうか・・・・・・・

いずれにしても、そんな、飽くなき表現の追及にたいする努力と、その結果スピルバーグ監督の成し遂げた表現の進化に、賞賛を送りたいと思います。

もっとも、2017年の映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』は「反トランプのメッセージ」を強調する社会性の強い作品でしたが、そうするとこの映画『戦火の馬』以前の、直截な作品表現になっています。
関連レビュー:ワシントン・ポストVS大統領との戦い
『ペンタゴン・ペーパーズ』
表現の自由とペンタゴン・ペーパーズ事件
ワシントン・ポストのニクソン政権への挑戦

いずれにしても、スピルバーグ監督は多くの「語り口」を高い次元で獲得し、必要に応じて使い分けられる凄い作家になったのだと、改めて確認しました。
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映画『戦火の馬』解説

戦争と軍馬


戦争で初めて馬が使用されたのは紀元前5000年ごろだとされます。
紀元前4000年から3000年の間にはユーラシア大陸で、紀元前2500年にはシュメールで使用され、紀元前1600年頃には中近東で馬が引く戦車の戦闘がありました。
<シュメールの戦車>
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その後、戦車に代わり騎兵戦術が盛んとなり、紀元前360年のギリシャでは、馬術に関する広範な論文が書かれています。

中世に至り、鎧を身にまとった騎士が活躍しますが、火薬の発明と銃の誕生により、軽騎兵が活躍するようになります。
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近代に至り、ヨーロッパではナポレオン戦争の勝利に欠かせない戦力でした。(右:ナポレオン)

また、アメリカ大陸のインディアン征服や南北戦争では騎兵隊が、それぞれ重要な役割を果たしました。
しかし騎兵は第一次世界大戦に至り、機関銃陣や「戦車=タンク」の登場によってその効力を失って行きます。

第二次世界大戦では、斥候として使用されることはありましたが、騎馬兵力は戦力的に重要な存在ではなくなります。
むしろ第二次世界大戦で馬が担った役割は、兵員と物資の輸送の荷馬として各国で使役されました。

ドイツ軍とソビエト軍は、終戦まで軍隊や物資の輸送に馬を使用しています。ドイツ軍で275万頭、ソビエト連邦で350万頭の馬を動員したと言われます。

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日本でも、明治初期から昭和20年8月15日第二次世界大戦の終戦に至るまで、多くの軍馬が犠牲になりました。

日本は戦地で使役するため、馬約100万頭を集め従軍させました。
その徴用は民間の農耕馬にも及び、そのせいで米の収穫量が大幅に減ったとさえ言われます。
そうやって駆り集められた馬達は、1頭たりとも再び戦地から戻ってきませんでした。(左: 靖国神社の「戦没馬慰霊」碑 )

歴史上、一体どれだけの動物たちが、人間の引き起こした無数の戦争の中で、命を落として行ったのでしょう・・・・・
人類の醜い争いに巻き込まれた「動物=無辜の命」の犠牲に対しては、1人の人間としてただ恥じ入り、静かに黙とうすることしかできません。



posted by ヒラヒ・S at 16:30| Comment(0) | アメリカ映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする