2018年09月21日

2018年09月20日


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2018年09月20日

各国対抗「人種差別表現」/映画と「ホワイトウォッシング」と「レイシズム」

「ホワイトウォッシング」補論・差別表現批判


バカにしていると思っていなくても、急に相手が怒りだしたなんて経験をお持ちではないですか?
私などは、根がガサツなのでケッコウあったりして・・・・・・・

今回書こうと思うのは、人種差別的な表現についてです。
よくあるのは、笑いを取ろうとしてガンバリすぎて、その人種からブーイングが入るというケースがまま見受けられます。
まずはそんな例を、日本から一つ。
『笑ってはいけない』のブラックフェィス
このエディー・マーフィーに扮した姿は、イギリスBBCほか世界各国で取り上げられ、批判を浴びました。
しかし、日本人目線からすると「これで差別なの?」という疑問の声もあったりして、なかなか線引きも難しいかとも思います。
実はイジメと一緒でイジメテル方は、相手が傷ついている事に、気付いてなかったりするのかも知れません。

そこで、差別表現の歴史から、なぜ「ブラックフェィス」が強い反発を生むのか、下に書かせて頂きました。
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差別表現の古典的例


ハリウッドの伝統芸といっても良いぐらいの、人種差別のスタンダード『ホワイトウォッシング』。
『笑ってはいけない』のブラックフェィスもこの伝統に則っていますね。
「ブラックフェィス」の代表的な俳優は、ユダヤ人エンターテナーのアル・ジョルソン。
<アル・ジョルソン『スワニー 』映画Rhapsody in Blueより >

この「ブラック・フェィス」は、アメリカで1830年ごろの舞台の寸劇として始まり、以後ミンストレル・ショー(minstrel show)として広まりました。
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ミンストレル・ショーとは、黒人に扮した白人が、踊りや音楽、寸劇などを交えた舞台で、白人労働者階級の娯楽として人気となり、アメリカ各地を巡回する劇団が数多く生まれたようです。

その内容は白人から見て、黒人を蔑み、嘲り、バカにすることで「差別的な笑い」を生むモノだったため、黒人側からすれば「ブラック・フェィス」人種差別の象徴となっています。
アメリカ国内では、奴隷制、その後の人権運動の戦いを通じて、黒人側からすればいかなる理由であろうとも「ブラック・フェィス」は絶対的タブーとなっています。(右:ミンストレル・ショーのポスター)

Tr_aljyo.jpgその証拠に、上で紹介したアル・ジョルソン(左:写真)などは、黒人の友達もいっぱいいて、黒人の歌や踊りの素晴らしさを世に広め、黒人自体のステータスを上げようと頑張った人でした。
しかし今現在、世間から非難されてしまうのは「ブラック・フェィス」の差別的意味合いゆえです。

もう一度言いますが、アフリカ系アメリカ人達の苦難の歴史を象徴するのが「ブラック・フェィス」で、最早世界標準としてタブー視される表現となっているようです。
そんなこんなでアメリカ国内では、白人がアジア人を演じる「イエローフェィス」や「インディアン」を演じることも、この「ホワイト・ウォッシュ」に含まれます。


もちろん、そんなの日本人の「知ったこっちゃない」という意見もあろうかと思います。

そう言う人も、各国のサンプルをご覧になる中でご判断頂ければと思います。
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各国『ホワイトウォッシング』なりすまし差別表現



まずは日本人差別として、古典的なこの「イエローフェイス」。
映画『ティファニーで朝食を』から、ミッキー・ルーニー演じる”ユニオシ”
典型的日本人像、吊り上った細い眼、出っ歯、眼鏡と揃い踏みのコメディー要員。

この日本人像を見て、さすがにバカにするなと思われた方もいらっしゃいますでしょう。
ある人種のステレオ・タイプな表現とは、誇張歪曲されるのが万国共通のようです。

そこで日本からも、白人をステレオタイプに描き過ぎて非難を受けたもの。
ANAコマーシャル

日本人目線からは、白人をバカにしているようには見えませんが・・・・・・
欧米からの反応は、高い鼻は白人にとってのコンプレックスで、低い鼻を望んでいるとの声。
つまりは、ユニオシの出っ歯のように、民族的特徴をバカにされたと感じるという・・・・・

そんな人種的な特徴ということで、これも日本人をネタにしたオランダの人気番組。
日本人インタビュアー『USHI(ウシ)』ラートヤ・ジャクソン編

【大意】ウシはラトーヤのスタッフに電話番号を渡し、今夜会おうと言う。ラトーヤは司会者2人の関係を聞き、ウシは恋人関係で、いつも誰かが必要だと答える。ラトーヤはウシがニンフォ・マニア(色情狂)だと言う。ウシはその言葉を知らず、ラトーヤはセックス依存症だと説明。ウシが何で分かるのと訊くと、ラトーヤは自分で言ったでしょと返す。ウシは私は病気だと思うかと訊ね、ラトーヤは違うと言ながらも、司会者なのに男性を誘惑すると言う。ウシは仕事中じゃないと反発した。ウシはあなたに写真が有ると言い、昨日レストランでラトーヤと撮った写真を見せ正体をばらした。ラトーヤは分からなかったと喜ぶ。

ウェンディ・ヴァン・ダイク演じるUshiは日本人の英語能力から正確な発音ができずに、奇妙な発言を繰り返し、失礼な質問をどんどんして相手を不快にさせます。
現地でも”オランダのテレビ番組から発せられる最も攻撃的で人種差別的なものの1つ”と報道されてるほどです。

一時期ヨーロッパでは、この日本人インタビュアーの亜流が流行し、ハンガリーの『ミツコ つり上がった目で見た世界』、フィンランドの『Noriko Show』が作られた。
フィンランドの『Noriko Show』
まあ、日本人が英語ができないのは国民病。
しかし、ヨーロッパ在住の日本人が、口を開いて日本風の英語発音をしたり、旅行に行った日本人が言葉に詰まると、ニヤニヤされるでしょうねぇ〜。

なんの!日本だって負けていません。
そんな発音を、からかったネタ。
フランス語を誇張したCM

かつて世界一優美といわれたフランス語にこの仕打ち・・・・・・
フランス人からは、当然フランス語の冒涜だとの声。
これも、言葉の他人種詐称「言語的ホワイトウォッシュ」とも言えます。

そんなフランスだって、人の事は言えません。
映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏にようこそ』から

【意訳】シェフ・ラガルド:それで?/黒人助手:カモの粉を細かく入れたみたいな。/アジア系初老助手:魚っぽい。/シェフ・ラガルド:本当だ。お前は魚とカモを一緒にした!/分子料理家:たぶんコンデンサーの問題だから、確かめなくちゃ。/分子料理家:味見して、ラガルドさん。本当のカモのエッセンス。/シェフ・ラガルド:違うな。これはラズベリー。/分子料理家:続けデ、食べ続けデ。(キッチンで爆発)/シェフ・ラガルド:どうした?/分子料理家:心配ナイ。ラガルドざん。普通の科学的反応でスカラ。
スペイン人の料理研究家は、スペイン語なまりのフランス語をオチョクられています。
またこの映画の監督は、フランス料理至上主義者のようで、最新の料理トレンド「分子ガストロノミー」に差別的表現をしています。
同作品より、ジャン・レノとミカエル・ユーン演じる日本人夫婦
【意訳】ウェイトレス:レモン味カラメル・ネギです。/ジャッキー:これが?/ウェイター:野菜畑のビーフです。この葉を嗅ぎながらお食べ下さい。/ジャッキー:難しいわ。/ウェイター:ご自分で/ジャッキー:面倒ね/ラガルド:アリガト(日本語)/ウェイター:シリル料理を堪能ください。/ジャッキー:取れない。/ラガルド:香りは面白い。スッパイ。(麺をすするのを見て)どう?/ジャッキー:胸腺だ。胸腺スパゲッティ―。

この映画は、個人的には差別的な笑いが多いと個人的には感じます。
関連レビュー:差別的「笑い」表現の生まれた理由
映画『シェフ!三ツ星レストランの舞台裏にようこそ』
ジャン・レノの「侍」とミカエル・ユーンの「ゲイシャ」
監督ダニエル・コーエンと差別表現


いずれにせよ、他の人種の姿・形・行動を描くというのは、なかなかリスキーです。
そこには「物まね」と同様、誇張しすぎるとマネをされた本人を怒らせるという、万国共通の人間心理があるように思います。
トランプ大統領の似顔絵比較
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左:実物より良く描く/中:実物を好意的にコミカルに描く/右:実物を悪意を持って描く

つまりは、上の絵で言えば右であれば誰でも怒るでしょ?という事です。

さらに言えば、真ん中の絵は「公式トランプ大統領グッズ」だそうで、トランプさんはOKという事でしょうが、人によっては怒る人だっているでしょう。

その線引きは、マネされた方の心にしかないように思います。

いずれにせよ、他人種をネタにする時は、自分達がされた時にどう思うかというのが、基本的なスタンスかとも思います。
たとえば、下の日米のTVショーのネタを見て、皆さんどう思われるでしょうか?
『サタデーナイトライブ』日本の事務所


『サタデーナイトライブ』日本のクイズショー
・妻と日本旅行に来た外人が、クイズショーを見たいと言ったら、なぜか出演する事になってしまう。
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日本バラエティー番組の外人ネタ


日本人をネタにした「笑い」を体験してみると、日本のバラエティーの「外人ネタ」も、相当差別的だと思いませんか?

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本来の人種による差別表現


『ホワイトウォシング』は、他の人種を演じる違和感を感じ、よりバカにされてる感が増すように思います。
しかし、差別表現には「なりすまし」だけではなく、その人種自身に差別的表現を演じさせる場合もあります。
それを見れば、アジア人をアジア人種が演じても、そこに侮蔑的な表現があれば許容し難いと思います。
下に、ホワイトウォッシングではないものの、差別的な表現を挙げてみたいと思います。
『素敵なかたおもい』(1984)からアジア人差別


『風と共に去りぬ』(1952)から黒人奴隷差別


『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』からインド人差別
インドの人々は奇妙な食文化や邪教の表現が、インドに対する偏見や人種差別に基づくものだと批判しています。
そんなことで、インドではこの映画の公開自体が禁止されているといいます。

けっきょく問題は、「ホワイトウォッシング」であろうとなかろうと、コメディーだろうと、シリアスドラマだろうと、その表現に「人種差別=レイシズム」が含まれていれば、現代では許されないというのが個人的な結論です。

例えば「ホワイトウォッシング」でも、『ゴースト・イン・ザ・シェル』には「人種差別」を感じませんでした。

しかし、ミッキー・ルーニー演じる、日本人"ユニオシ"はそれを感じるということでした。


そして、表現に「蔑視」ではなく「敬意」が在れば、「ホワイトウォッシング」を含め、どう描いても差別表現には見えないのではないかと思います。

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許されるべき差別的笑い


差別表現には賛同できないと今まで述べてきました。
しかし、侮蔑的な笑いにはある種の「効用」があることは認めざるを得ません。
侮蔑的な笑いはその対象を「怒らせ」「傷付け」る力があり、その対象を「貶め」「嘲る」力があります。

たとえば、その笑いの力は、古くは「宮廷の道化師」だけが王を笑いものに出来たというように、ある種の「権威」「権力」に対抗する手段として機能してきました。

それは映画の世界においても発揮されます。
『チャップリンの独裁者』(1940)より

チャップリンはナチスドイツの独裁者ヒットラーを嘲笑する映画を作った。

さらにもう一本。
ジャン・リュック・ゴダール監督『気狂いピエロ』(1965)より

ノート:観光客は現代の奴隷だ/アメリカ船員:おいそこで、何やってんだ!/マリアンヌ:チクショウ!アメリカ人だ!/フェルディナン:大丈夫、計画変更だ。簡単な事さ。ドルをくれたくなるような劇を見せてやろう。/マリアンヌ:どんな劇?/フェルディナン:分らないけど、何か奴らがすきそうな物を。/マリアンヌ:分かった、ベトナム戦争よ。/フェルディナン:分った。ベトナム戦争だ。/ノート:アンクル・サムの甥VSアンクル・ホーの姪/アメリカ水兵:ああ好きだね、とってもいいよ、好きだ、いいよ、素晴らしい。/フェルディナン:俳優達に少しばかりドルを。/アメリカ水兵:知ってるかい、ベトナムはハード・・・/マリアンヌ:ピエロ、心配しないで。こうやって取るのよ/アメリカ船員:おい、何するんだ!/マリアンヌ:ケネディー長生きしてね!/フェルディナン:奴等をまいたぞ、裏に行こう/マリアンヌ:嫌よ、踊りに行くのよ。
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板に書かれた落書きは、中国の毛沢東とキューバのカストロ議長、反米の二人の顔。
この映画にはベトナム戦争を遂行する、アメリカに対する揶揄と憤りを感じる。

「笑い」は、権力者やマジョリティーなど社会を支配する勢力に対して、正面から戦えなくとも「笑い」に偽装して抗う事を可能にします。
その時、その権力を「嘲笑」し「侮蔑」することは、社会的に成されるべき「闘い」なのだと考えます。
差別と闘う黒人コメディアン

そして同時に、「侮蔑的な笑い」が対象の力を貶める強い力があるがゆえに、マジョリティーがマイノリティーに対して行うことは、決してしてはならない表現だと思うのです。

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映画と差別的表現まとめ



「ホワイトウォッシュ」「文化盗用」など、差別表現の多くは発せられています、最も過激な多人種社会・アメリカのマイノリティーより。
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関連レビュー:「ホワイトウォッシング」問題を徹底解説
日本人を白人が演じた実例集
アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシング」反対意見
アメリカの人種差別実例


その差別には、実は根の深い〜〜〜〜い問題があって、その本質をサイードさんという文明評論家は「オリエンタリズム=西洋支配構造」という形で、鋭く突いています。
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関連レビュー:「ホワイトウォッシング」と「オリエンタリズム」解説
「ホワイトウォッシング」を喜ぶ日本
サイードの「オリエンタリズム」
「オリエンタリスト」としての日本人


個人的には「ホワイトウォッシング」には、人種差別的ではない、むしろ敬意を込めた「ホワイトウォッシング」があり、そこにこそ「人類愛」の希望を見出せると思ったりします。
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関連レビュー:他文化への敬意を込めた「ホワイトウォッシング」への希望を解説
愛のある「ホワイトウォッシング」
ジャポニズムと印象派の画家たちの「日本愛」
文化や対立を超えて輝く「人類共通文化」






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2018年09月15日

「ホワイトウォッシング」と「グローバリズム」/「文化盗用」に見る人類の真実と「ワパニーズ」の愛と希望!!

映画論(ホワイトウォッシングと日本 編)




このブログでは、これまで日本人を白人が演じた「ホワイトウォッシング」の実例と、アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシング」批判をご紹介させて頂きました。
関連レビュー:「ホワイトウォッシング」問題を徹底解説
日本人を白人が演じた実例集
アジア系アメリカ人の「ホワイトウォッシング」反対意見
アメリカの人種差別実例
上のリンクでは「ホワイトウォッシング」がなぜ問題なのかという点を、アメリカの実例から確認しています。

しかし、それが日本人にとっても同様の問題なのかというと、むしろ日本人は「ホワイトウォッシング」を望んでいると思えます。
実はそこには、文明評論家サイードが言う「オリエンタリズム=西洋優越支配体系」を信奉する「オリエンタリスト=西洋優越主義者」に、日本人がなっている事を意味していると思えるのです。
関連レビュー:「ホワイトウォッシング」と「オリエンタリズム」解説
「ホワイトウォッシング」を喜ぶ日本
サイードの「オリエンタリズム」
「オリエンタリスト」としての日本人
以上のリンクでは「ホワイトウォッシング」が海外で問題視される理由と、日本が「ホワイトウォッシング」や「文化盗用」を「オリエンタリスト=西洋優越主義者」ゆえに歓迎していると書いています。
そして、自らも西洋支配側の一員だという選民思想があるため、他のアジア人種が日本人を演じる事には抵抗を持つと分析しました。
以上を踏まえて、本来、非西洋は一致団結して西洋支配に対抗し、西洋の優越を強める「ホワイトウォッシング」や「文化盗用」に反対すべきで、日本も非西洋諸国としてそれらを許すべきではないという論旨で進んできたのですが・・・・・

実は個人的には、「ホワイトウォッシング」や「文化盗用」を許すべきだと主張したいのです。
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<目次>
愛の「ホワイトウォッシング」
愛の「ジャポニスム」
愛の「日本オタク=ワパニーズ」と「文化盗用のススメ」まとめ


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映画に見る愛の「ホワイトウォッシング」


近年、「ホワイトウォッシング」として問題になった『ゴースト・イン・ザ・シェル』や、日本人から見て奇妙な日本が描かれ、中国人女優が芸者を演じたと批判を受けた『SAYURI』。

しかし、『ゴースト・イン・ザ・シェル』のハリウッド製作者や、『SAYURI』の原作者の心には、日本文化に対する愛がありました。


さらに時代を遡れば、1957年に撮られた『サヨナラ/SAYONARA』という作品。
なんと歌舞伎役者ナカムラを白人のリカルド・モンタルバンが演じる、堂々たる「ホワイトウォッシング」映画でした。
<映画『サヨナラ』歌舞伎役者ナカムラ>
【意訳】ロイド:誰?/アイリーン:あれはナカムラ、私があった中の1人。とても有名よ。/ロイド:ライオンだ。/アイリーン:彼女がライオンに変わるの。/ロイド:え、この場でライオンになるんだ?/アイリーン:そうよ。/ロイド:それは見たいな。/アイリーン:愛してるわロイド。怖いぐらいに。いつでも、そしてどんな時でも。/ロイド:僕も愛している。君とここに居れて嬉しい。(キス)/ロイド:誰も女性とキスしないのかい。
当然、ここで日本人として非難する事は容易です。
この映画には、間違いなくサイードの言う「オリエンタリズム」の差別感を感じます。
たぶんこの製作者は無自覚の「オリエンタリスト」であることも間違いないと思います。

しかし、それでも、この映画を撮った監督ジョシュア・ローガン(写真)には、深い日本文化に対する愛があったのです。sayonara_joshua.jpg
1951年に日本で見た歌舞伎に魅せられた彼は、その公演をアメリカで実現したいと、何年も関係方面に働きかけ奔走します。
しかし遅々として進まない状況下、この『サヨナラ』の原作に出会い、これを映画化することで愛する歌舞伎を広く広められると飛びつきます。
しかし日本の歌舞伎役者には、英語でその魅力を伝えられる俳優がおらず、止むを得ずリカルド・モンタルバンを使わざるを得なかったというのです・・・・・・・・

関連レビュー:日本文化の愛と「ホワイトウォッシング」
映画『サヨナラ/SAYONARA』
日本娘とアメリカ将校の恋
日本人俳優で史上ただ一人のアカデミー賞ウィナー

つまりは、愛する「歌舞伎」をアメリカに効率よく広めたいという熱意のあまり、「ホワイトウォッシング」に走ったのです。
愛するがゆえに「ホワイトウォッシング」に訴えざるを得ないという、こんな事実もあったのでした。

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愛の「ジャポニズム」


さらに、さらに、時代をさかのぼれば「異文化盗用」と言うべき、「ジャポニズム」に行きあたります。
この「ジャポニズム」には、当然時代を反映して劣ったアジア文明を見る西洋としての「オリエンタリズム=西洋優越主義」が、社会的通念として有ったろうと思います。
しかし、そんな上から目線の玩弄対象としてではない、真に尊敬と羨望の眼差しをその「ジャポニズム」に向けた、世界的な芸術家の一群がパリにいたのです。

印象派と名付けられた、彼ら画家たちが持っていた「浮世絵」への愛を、私は本物だと信じます。

中でも印象派の巨匠「モネ」は自ら住むジヴェルニーの庭に、遠く日本から輸入した睡蓮を植えて「日本庭園」と名付け、さらにその家には浮世絵の膨大なコレクションがありました。
モネは、交流のあったパリ在住の日本画家・山下新太郎に宛てて「日本の美術に深く感謝し、日本人に本当に感謝しています。」と、手紙の中に感謝を書き送っています。

また、『ひまわり』で有名なゴッホも数百点の浮世絵を持ち、浮世絵から多大な影響を受けました。
ゴッホは弟テオに「日本美術は、因習にとらわれた教育や仕事からぼくたちを解き放ち、自然へと回帰させてくれる」「僕たちは日本の絵画芸術が好きなんだ、僕たちはその影響を受けているんだ―印象主義者はみな共通してその影響を受けている」などとその思いを手紙で吐露しています。

つまりは、モネを初めとする印象派の画家達にしても、「日本文化盗用」や、絵の中での模写、言わば「絵画ホワイトウォッシング」もあるかもしれませんが、間違いなく深い「日本文化」に対する愛があるのです。(写真:モネの「ラ・ジャポネーズ」)
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そして、愛のあるところ尊敬と信頼が生まれるはずです。
仮に人種間の対立や障害、差別や支配があったにしても、そんな分断や利害の衝突を超えて「優れた文化」は伝播し、人々をつなぎ得るのだと信じます。

それは「日本文化」だけでなく、どんな民族であってもその風土や歴史が培った文化があり、その文化にはデザインとして洗練された美を持ち得るのだと事実が示しています。
たとえば、黒人が嫌いだと言う差別的な人でも、黒人由来の「POP’S」を楽しみ、その音楽を受け入れています。
それは、反韓感情のある日本でも「K'POP」を受け入れ、反日感情のある韓国でも「アニメ」を楽しむのと一緒です。

つまり文化は、人種間の対立や分断を埋める力を間違いなく持っており、その文化を愛した人々は政治体制や宗教対立を超えてでも、共に1つになれると主張したいのです。

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まとめ:愛の「現代ジャポニズム=ワパニーズ」


そんな、異文化に対する愛の、現代的な実例を一つ上げてみます。
たとえば、「現代のジャポニズム」とでも言うべき現象があります。

アニメと日本をこよなく愛し、なぜ自分は日本に生まれなかったんだと、日々我が身の不運を嘆くような日本マニアが出現し、それを世界では「ワパニーズ(Wapanese)」と呼びます。
「多くの西洋人オタクは、しばしば「ワパニーズWapanese」として知られる。そのような人々は代表的には白人だが、大概アニメや漫画で見られる事物を真似、理想化された形で日本や日本文化を崇拝している。このような崇拝は、日本文化の外形を真似るだけの場合もあり、寿司やインスタントラーメンを食べたり、お箸を使ったりするようになる。また、通常の英語の会話で日本語を使ったりもするが、おおよそ、不正確でアニメ内の会話からの単語によるものである。(wikipedia英語版)
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<「サタデー・ナイト・ライブ」の「ワパニーズ」コメディー>

この「Wapanese」という言葉は「White Japanese」を語源とするとも、「日本人になりたい」を意味する「wanna be + japanese」を意味するとも言われます​​。(1918年9月時点では、ワパニーズはオタクの蔑称となっており、「weeaboo=ウィーアブー」という呼称を使うことが増えてるようです。)

このアニメ文化のように、人々を魅了するコンテンツであれば、その文化は発信源の人種的な枠を超えて、千里を駆け、万里を渡り、世界に届くのだと事実が語っているでしょう。
そこには、文化というモノが持つ大いなる可能性があると思うのです。
下に、そんな世界的な広がりの一端を挙げてみました。

<アニメ文化の拡散とグローバル化>


アメリカ大陸:アメリカ合衆国、ロサンゼルス「Anime Expo (2018)」
来場者数35万人越え!北アメリカ大陸最大のアニメ・コミックの祭典。他にもNYやカナダ、そして南米ではブラジル、サン・パウロでのアニメイベント「AnimeFrineds」も15万人を集めた。
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ヨーロッパ:フランス・パリの「日本エキスポ(2017)」
ヨーロッパのアニメ・コミックファンが集結するフェスティバルには30万人が訪れる。
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ヨーロッパ:ドイツのデュッセルドルフの「日本デー(2018)」
日本文化全般を紹介するこの催しは、何と60万人の来場者で、大盛況と同時に大混雑だった。
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東南アジア:タイの「ジャパンエキスポ・タイランド(2018)」
東南アジア最大の日本文化フェスは、AKB48も出演し60万人を集客した。
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中近東:UAEドバイの「MEFCC(中東映画&マンガ大会)2017」の様子
イスラムの戒律の強い中東の国では、まだ日本のアニメやコミックがオープンではないにもかかわらず、6万人規模の集客を誇る。


こんな風に、ある民族に起源をもつ「文化」が世界標準となり、人類共通の財産となりうるのだと、上の例が語っているでしょう。
しかし「文化」をある人種に固有の所有物とみなし、「ホワイトウォッシング」だと反対し、「文化盗用」だと非難すれば、その「文化」からは、人々をつなぐ力が喪われてしまうでしょう。
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そもそも日本のアニメも、手塚治虫の「ディズニー愛」に端を発しています。
さらに日本の浮世絵の独特の画面構成に「中国絵画」の影響が有ります。
そう思えば、ある文化を特定の「人種の財産」とする見方も、独善的だと言わざるを得ません。

こんな「文化の伝播=グローバリゼーション」は、むしろ積極的な「文化盗用」や「ホワイトウォッシング」によってのみ成し遂げられ、そしてその「文化」に多くの人種の創意工夫が加わって、初めて「世界文化=人類文化」と呼ぶべき姿へと昇華されるのでしょう。
そして、そんな「世界文化=人類文化」を通して、人々は人種差別や文化対立を超えて一つになれるという希望を見い出せると信じます。

それゆえ、人種固有の文化と主張し、他文化と峻別をしようとするより、むしろ可能な限り開示し、「文化盗用」や「ホワイトウォッシング」を積極的に推し進め、普遍化された「人類文化」を人々が共有するとき―――

そこには全世界を包む「人類愛」が生まれると夢見るのです。

そして、どんな深い対立があったって「愛があれば乗り越えられる」と、そう締めくくることにします。

関連レビュー:日本と西洋の文化的対立とその相克
映画『戦場のメリークリスマス』
捕虜収容所の東西文化の衝突
大島 渚 監督の愛の映画






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